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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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白岩神明社 ( No.[34]42 )
日時: 2013/10/06 12:58:40
名前: 御津垣  ID: k0zxRIes
編集: 【回数】 3回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2014/05/15 15:37:39

白岩神明社
【鎮座地】仙北市角館町白岩前郷1
【祭祀】 例祭 8月21日
【旧社格】村社
【御朱印】なし

−由緒(神社由緒書より)−
【御祭神、合祀神社】
一、天照皇大神       神明社(前郷)
一、水波女神        水波女神社(堂ノ口)
一、稲倉魂神        稲荷神社(寺後)新木神社(寺後)
一、素佐男神        八坂神社(寺後)
一、伊邪那美神、久々理姫神 白山社(愛宕山)
一、加具土神        愛宕社(愛宕山)
一、大山祇神        岩上社=山神社(杉沢)
一、天御中主神       古城社=荒神社(前郷山)妙見社(境内社)
一、猿田彦神        庚申社(境内社)
一、鳴雷神         雷社(雷堂)
一、菅原道真神       菅原神社=天神社(平城)
一、大国主神        寺山社=薬師堂(平城)
一、大己貴神、少名彦神   大己貴少名彦神社(入角山)市神社(境内社)

【神社沿革】
 白岩の地は、宝徳年間(足利義政の頃1450年代)白岩氏の活躍、
慶長年間(1560年)の検地などにより当時の発展の様子が伺われる。
神明社本殿に奉献され現存する棟札よりその概略を列記すれば、
一、奉造立御伊勢本地天照皇大神宮一宇想形師
   享保十年五月十六日(1725年)
   
   ※天明八年(1788年)白岩瀬戸山始まる(付記)

一、奉造立天照皇大神宮外殿一宇発之儀
   文化元年七月二十一日(1804年)

一、奉造立天照皇大神宮御神躰一宇想形儀也
   嘉永五年十一月二十二日(1852年)


一、奉再建天照皇大神宮一宇御堂発願之儀也
   安政三年七月二十日(1856年)

一、奉祭天照両皇伊邪那岐命伊邪那美命守護所
   明治三年十一月二十四日(1870年)


とある。明治三年神仏混淆禁止令が発せられ、明治五年「村社」に列せらる。
明治四十三年二月十日前記神社十一社、境内社三社、大正五年十一月二十五日菅原神社が合祀される。
この間度々社殿の修理改築が行なわれている。
 さて、合祀された各々の社も1700年代より各種棟札が保存されている。
特に稲荷神社については歴史上の記録は古く、国史大系日本三代実録第十八巻に
「出羽国白岩の神、従五位下に叙す、清和天皇貞観十二年八月二十八日此の白岩いと古し」(870年)とあり、
白岩郷土史(高木徳治著)にも「大同二年稲荷神社建立」(807年)とある。
これらの社は白岩氏築城の館山を中心に開発された白岩の里の守護神であった。
 修験(法院)高木家(現高木正太郎氏)は元亀年中(1570年代)よりこの里にて奉仕されていたが、
明治三十年高木祐太則久氏の死去により、稲荷、八坂、天満宮等の社掌であった太田時治重敬が
跡を引継ぎ現在に至る。
 大正年代以降の社、境内の整備は次の通り、
一、社殿移動、長床壱棟新築執行
   大正六年九月二十六日

一、境内北側、南側石垣築造
   大正十三年、同十四年

一、本殿屋根鉄板葺替工事執行
   昭和二十三年七月二十一日

一、拝殿葺替中殿殿増築竣工、長床解体工事執行
   昭和二十六年旧七月二十日

一、鳥居再建
   昭和五十七年十二月八日

一、幣殿拝殿増改築、基礎部改修、板戸改装、手水舎建立
   昭和六十年七月七日

一、境内南板塀建設
   昭和六十二年十二月二十日


以上が当神社沿革のあらましであります。
氏子崇敬者165戸皆様の度々の浄財を基に現在の社殿、境内の整備が出来ました。
この度秋田県神社庁仙北支部神社総代会が神明社を会場に開催されるに当たり、
小冊子を記録し、共々に今後の敬神を祈るものであります。

 昭和六十三年六月二十四日   白岩神明社




出羽国国史見在『白磐神』。
一般的には、山形県寒河江市 葉山に鎮座する白磐神社が比定社ということであるが、
秋田県仙北市にも同様な由緒を持つ神社が存在する。

角館町白岩に鎮座する神明社。こちらの合祀されている稲荷神社が白磐神であるという。
資料が少ないので、何かしら残っていないものか宮司様に問い合わせるが
これといったものは残っておらず、合祀前の旧社地も具体的には分からないとのことであった。
郷土史を国会図書館で調べるしかないかと、お礼を述べて電話を切る。

当日は、秋田市街に滞在していたこともあり
参拝と、社殿の写真を撮影する為に神明社へ移動する。

写真を撮っていると、一台の車。
「先ほど電話で由緒を尋ねられた方ですか?」と。
特に約束もお願いもしていなかったが、稲荷神社の旧社地を調べてくださっていたとのこと。
ご自身も宮司職を継いだばかりで、神社の由緒を改めて勉強しようと思っていらしたようで
今回の問い合わせを「いい機会」と、総代の方々にも問い合わせ、実際に旧社地にも
訪ねてこられたとのことであった。

昇殿参拝させて頂いて、上述のお話を伺い旧社地の地図と由緒書を頂き退去する。
(御朱印の有無は、聞いていませんでした。。。)
※2014.4末確認。「対応されていないそうです。」


御厚意に改めて感謝申し上げます。



写真
 ・社頭
 ・拝殿
 ・稲荷神社(旧地)
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