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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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【北海道・東北】神社・御朱印情報 ( No.[9]0 )
日時: 2009/09/11 11:16:18
名前: 御津垣  ID: 5rUlEDtM
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2013/01/28 20:50:23

北海道および、東北6県(青森・岩手・秋田・宮城・山形・福島)に関する
遠征報告・御朱印情報をお願いします。
陸奥紀行 序章 ( No.[9]2 )
日時: 2009/09/28 08:58:10
名前: 御津垣  ID: hzDFHzsc
編集: 【回数】 8回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/05 14:28:44

シルバーウイーク。とってつけたような感のネーミングである。
そのうちGWと同じように「SW」とでも略することになるのであろうか?
どうせなら、元素記号分作ってほしい。。。

さて、秋冷の時節、自分はまた東北に向かう。
連休前の週間予報では、連日の晴天!
今回は、写真の撮りなおしも含めての登拝を多数予定している。
そのような状況には、何よりの朗報であった。
(の、はずでしたけどね〜

出発に際して、若干いつもと違う事態が起きた。
職場の人間を、実家のある仙台まで送ることになったのだ。
とはいえ、もともと水沢まで行くので大した問題ではない。
東北道では交代で休憩できるし、こっちとしては願ってもないことである。
新横浜まで、(大変迷ったけど)迎いに行き、横浜青葉から東名に入る。

道路状況は概ね安定。首都高にも(めずらしく)大きな渋滞はないように見えた。

しかし、首都高に入ったあたりから、状況は一変する。
さっきまでなかった、渋滞情報を示す「赤」が一斉に現れる。
ぜんぜん進まねー 。それは、東北道に入っても変わらなかった。
なんで、こんなところで渋滞しているの?いつもはガラガラの下り車線には
大量の地方への脱出組。はっきりETC割引&大型連休をなめていました。

同乗者を、仙台のPAで降ろす。これからは、一人旅である。

まずは、向かうは水沢の駒形神社。最近なにかと足を運ぶ神社である。
本日は例祭。お邪魔にならないように写真を撮らせて頂こうと思う。
また、岩手県神社庁からいらっしゃる、於呂閉志胆沢川神社の
宮司様ともお会いすることになっていた。


つづく
いえいえ ( No.[9]3 )
日時: 2009/10/01 20:28:32
名前: era  ID: 4MGO9uXk

あたしゃ待ってますよ。

自分も十月試験で神社は小休止。
お互いに頑張りましょう。
がんばって ( No.[9]4 )
日時: 2009/10/01 22:44:57
名前: 神楽  ID: i7GnwXAQ

え、結構楽しみにしていますよー。
駒形神社のこととかー。
駒形神社例祭 ( No.[9]5 )
日時: 2009/10/04 01:20:22
名前: 御津垣  ID: lXcrI/rA
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/08 14:56:19

ちょっと、ガソリンがピンチ。
長者原SAで長い給油の列に加わり無事 給油完了。
1000円だけどね 。あとは、高速降りてから。

ナビは、平泉前沢ICで東北道を降りろと指示してくるがシカト。
水沢ICまで車を進める。こっちのが近いし。
どうせ、1000円だもんね。ついでに行きつけのガソリンスタンドも近い。
(関東の人間が、奥州市に行きつけのガソリンスタンドというのも変だが。)


例祭で、どのくらい参列者がいるか分からないので
念のため、駒形神社近くのZプラザアテルイの駐車場に車を停める。
なんかバスが数台停まっている。いつもは雑然としている場所にも
白線が引いてある。

うーん。例祭で、ここまで人が集まるのか〜。ちょっと大変だな。
(実は、翌日街中で行われる「よさこい祭り」関連だったみたい)

ともかくトイレで、スーツに着替えます。靴もフォーマルな黒のストレートチップ。
そうそう、歯磨きも忘れずに。
私服から、スーツ。サンダルから革靴。そして歯磨き。
ちょっと、視線が痛いです 。がまんがまん。

で、9:10ようやく駒形神社に到着。
こんな格好で参拝はもちろん初めて。地元の神社と、お伊勢さんくらいかな。

例祭次第を把握してなかったので、ちょっと早めのつもりであったが
開始一時間前、なんか丁度良かった感じ。ちょっと準備で慌しい感はあったが。

とりあえず。ご神職の方々にご挨拶。到着時間と格好について驚かれた。
向こうは午後くらい現れると思っていたようだけど、
それだと例祭終わっているじゃないですか〜。
まあ、駒ケ岳再登拝が、第一の目的とはお話していたのは確かですけど。ぶつぶつ。
それに、於呂閉志胆沢川神社の宮司様も帰っちゃうし。
(例祭後に、駒形神社のご神職からご紹介頂ける事となった。)

ともかく、拝殿で写真撮影させて頂けることになった。
例祭次第を確認し、拝殿でカメラの調整をする。

ちょうど、駒形保育園の園児による巫女舞の予行演習もあり撮影してみる。
うーーん。なんか調整もそうだけど。カメラの動作が遅い。
やはり、コンパクトフラッシュはもっと高速にした方がよかった。
動きについていけない。シャッターチャンスを逃してしまう。
(ちょっとのお金をケチっちゃいけません。)
また、カバーできる範囲がぜったい狭い。広角レンズほしい!
なにより、色彩とシャッタースピードが全然ダメ。
まだまだ、使いこなせてないな。。。修行修行。ふう。

例祭が始まるまで、ふらふらと。
登拝祭でご一緒だった祭典委員長がいらっしゃたのでご挨拶。
この方、市街の北ホテルの支配人も勤めていらっしゃるので、
「ホテルにもお世話になります」ともお話しておいた。神社からだといい立地なんで。
他にも、見たような方々が大勢。皆さん、「おっ、今日も来たの?」てな感じですが、
気持ちがよい方々ばかりです。


さて、例祭が始まります。定刻10:00。
斎館前から参進。修祓後に拝殿に。

厳かに例祭は進みます。雅楽はいいですね。
ちなみに「笙」って、温めながら使っているのですね。
そういえば、宮司様も、龍笛か篳篥(だったような。。。)が達者なことを
聞いた気がする。うろおぼえ〜。

献饌の儀と、徹饌の儀はお邪魔になるので拝殿の外に。
また参列者方の気を害さないようにと。
(でも、もっと遠慮しなくてもいいと後で言われ、ちょっとショック。
来年腕上げてからまた頑張ります。)

で、実際の祭典中ですが、うー、いい写真撮れない。
思ったとおり書き込み時間が長く、撮影チャンスを逃す。
シャッター速度が遅い。拝殿の内外での明るさの調整が間に合わない。
それに、やっぱりこんな時は2台必要だ。広角と、ズーム用に。。。

園児による巫女舞は、見ていてちょっと楽しい。
午後からの神楽殿でも、検討してもらえないかな〜。
午後からの参列者や、園児のご両親たちも喜ぶでしょうし。
拝殿の中ですと、一部の方々しか見れないので。

滞りなく、例祭は修了となる。
修了後は、お約束通りに、於呂閉志胆沢川神社の宮司様をご紹介して頂く。
実のところ、胆沢ダム〜奥宮への立ち入り許可証を頂ける手筈だった。
が、そんなに世の中甘くない。
 個人での立ち入りを許せば、後にも許さなくてはならない。
 事故発生時は誰が責任を取るのか?
至極当然な質問が、お役所からあり許可は得られなった。
当然、想定していたこと。とはいえ少々ショックではある。
それでも、宮司様がお時間を割いて、問い合わせ頂いたことだけでも
十分有難いこと。お礼を述べて、自分は昼食に。

昼食は、以前教えて頂いた近くのカレー屋「ジャマイカン」。
たしかにうまいとは思うけど。もうちょっと量がほしいな〜。

午後は、宮司杯民謡民舞大会。特に予定もなく写真を撮影。
参加者毎に写真撮影。立ってばかりなので、足が痛いな。それに眠く。。。
神社の裏の方で、椅子に座って一眠り。
そういえば、山神社の裏にある「奥宮遥拝所」は、ネットで見たことないですね。
全員見落としているということはないでしょうけど。不思議だ。

そうこうしているうちに、17:00近くなり大会も終盤に。
神社のご好意で、直会に参加させて頂けることになったので、
ホテルに車を置いて戻ってくることにした。
戻ってきてみると大会は終わっていたが、その後 楽しく飲食をさせて頂き
奥州での一日目は過ぎていった。

明日は、和我叡登挙神社の古社地(北上市)と、止止井神社に伺う予定。
ちなみに、「北上は、胆沢郡ではないよ。」とのご指摘を頂いた。
自分は地図で、場所を把握していなかったので、勝手に市の境あたりで、
川の流れの変化程度じゃないのかな〜と思っていたのだが。。。



つづく
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焼石駒ヶ岳登拝 ( No.[9]6 )
日時: 2009/10/05 13:01:15
名前: 御津垣  ID: kcRcA.2o
編集: 【回数】 4回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2010/11/30 09:46:52

奥州2日目。
ちょっと、というより結構頭痛い。
それでも、今日は午後から約束もあるので、ささと動かなくては。

ホテルの駐車場で、ナビに北上の和我叡登挙神社古社地の住所を入力。
あれ、予想と反して大分遠いぞ?
これじゃ胆沢郡じゃないな〜。やっぱり後で北上市史第二巻をよく見てみるか。
そもそも胆沢郡に鎮座なのに頭に「和我」が付いているのは怪しいんだよな。
郡名も「和我」から「和賀」に変わっているし。

延喜の神明帳ができるまでには、胆沢郡にあったことになるので。
和賀からに遷座があったのか?
 802年胆沢城
 804年志波城(水害→政治機能の移動)  
 812年徳丹城(機能低下)。

808年 陸奥国鎮守府が国府多賀城から胆沢城に移り鎮守府胆沢城となる。
政治機能が、胆沢城まで南下したと想定して、その経緯で和賀から移ったとか?
うーん。さっぱり分かりません。想像の範囲ですね。
そもそも郡名と同じかも不明ですし。でも、考えを巡らすのは楽しい。
知ってたら誰か教えてくだはいな。


さて、気を取り直して取り敢えずは向かいます。
目的地は、北上市飯豊町。ここにある飯豊森が古社地と言われている。
うーむ。たしかに神奈備と言えばそうだな〜。
森の入口に車を停めて、登り始めます。5分程度で頂上に到着。
今は観音堂と、石碑があるだけで当時を思い浮かべることもできません。
観音堂の写真をもっと撮りたかったが、蜂の巣が裏手にあると看板があるので
諦めて下山します。

まだ、9:00過ぎ。時間もあるんで、予定繰り上げて、
金ヶ崎駒ケ岳に登拝することにした。
途中のローソンで、遅い朝食と山で食べる昼食を購入。
朝食は、ちょっと(いやいや大分です)遅いけどカーボンローディングで
スパゲティ。昼食はお握り3つ。

登拝祭以来の、金ヶ崎登山口に。場所はナビにでないので勘でセット。
意外と道を覚えているもので、問題なく到着。ナビには表示されないね、ここ。
すでに5台ほど駐車。
準備をして、10:20登山開始。もちろん登山届けは記入済み。
クマは怖いけど、大体にして活動時間は早朝と夕方。
完全ではないけど遭遇率は大分低いと思うんですけど。まあとりあえず行きます。
クマ鈴は当然つけます。
5名程途中で抜いてきて、1:20後、頂上に到着。お一人が先着しており
のんびりされていた。
「おー、やっと念願の奥宮が撮れる」ということで、写真撮影開始。
祭りの風景もいいけど、現奥宮はデータとして残しておきたいので、
建造物のみで取りたかったのだ。来年にはもう見ることはできないのだから。

カメラは、一眼レフが不安(使えこなせてないだけ )なので、
コンパクトデジカメも持参。やはり空の色が満足に出せないが、
コンパクトカメラは問題なし。

写真撮影していると、夏油側から3名ほど登ってこられた。
奥宮の看板を見て、色々聞いてきたので説明をしておいたが、
もっと情報があればとの要望だったので、神社にもご連絡しておいた。
(「今、頂上です」と言ったら笑われてしまったが。)

ちなみに、夏油側の1名は、自分の出身中学の校長をやっていた奥さんらしい。
お住まいは、四街道らしいけど。なんで岩手の山頂で。。。世間は狭い。

今度登る予定の経塚山を望む。もう紅葉が始まっている。
あちらは頂上まで4時間かかる。

皆さんを残して一人でさっさと下山します。
約束もありますしね。
40分後、登山口に到着。まあまあのタイムかな。
着替えて、急いで止止井神社に行かなくては。
人がいないので、真っ裸になって普段着に換装します。

胆沢は、全国でも有数の扇状地なので車での下山は風景も楽しめてよい。
全開の窓から牧場地を渡る風を一身に受け、車を走らせる。
きっもちいい♪。(パチンコ CM風



つづく
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止止井神社と宮司様 ( No.[9]7 )
日時: 2009/10/05 13:10:04
名前: 御津垣  ID: tSlBJnhc
編集: 【回数】 3回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/17 16:34:32

14:15 止止井神社到着。
宮司様は居るのかな?いなければ誰か対応してくれるよとは仰っていたけど。
幸いにも氏子さん2名と参集所にいらっしゃった。
御朱印の件をお話すると、「おー待ってたよ」とのこと。
あれ、もうちょっと早くきた方がよかったかな?
それに大分 気持ちよくなっていらっしゃるようだけど、
そちらも大丈夫かな〜。
なんでも普段はあまり対応しないが、わざわざ来てくれたのでとのこと。
最近は賽銭箱に「御朱印をお送り下さい」と初穂と一緒に収められていることも
あるようらしいが、気持ちはよくないらしい。

で、御朱印(と御下がりのお米とお餅。大根とかも。 )を分けて頂いてから。
今日は、水沢の北ホテルに泊まるということ。昨日は駒形神社の様子等を
(例祭を見に行くことは電話で伝えていたので)お話していると、
「じゃあ駒形神社に飲みに行こう!」と電話をかけ始め、
向こうのご神職にお酒用意しておいてね〜てな感じでお話される。
あれ?なんか展開が変だぞ。当然 自分も含まれている話具合である。

車はどうするんだろう?と思っていたが、運転手は自分らしい。
宮司様の車はそのまま駐車場に置き去りに。
まずは、宮司様のご自宅までお送りし普段着に着替える。
その後、時間もあったので折角なので、本務の白山神社に連れてって頂いた。
(もちろん運転は、自分です。

白山神社。こちらも807年創建の歴史あるお社である。
胆沢城関連がこの年代に起きており、この年代創建は多いとのこと。
うーん。折角くるなら、式内社だけでなく風土ももっと勉強しないといけないな。

では、駒形神社に向かいます。
なんでも、白山神社の宮司様は、昔は駒形神社に奉仕されていたとのこと。
そんな訳で、よくご存知なわけです。ちなみにこの地域の神社支部長さん。

駒形神社到着。まだ、始めるにはちょっと早いかな。
とりあえず、「白山神社 お抱え運転手です。」とご挨拶。
当然笑われた。

駒形の宮司様は、「もう来たんですか?もうちょっと遅く来てって言ったのに。」
うーん、自分知らないもんね。まあ顔が笑っているから、いいでしょう?

白山の宮司様の手土産は、鮎。北上川でご自身で釣り上げたものらしい。
ちなみに、このあたりのご神職方は、釣り仲間でもあるみたい。
イカ釣りの話題でも盛り上がる。
そのうち、於呂閉志胆沢川神社の宮司様にも電話を入れて飲みのお誘い。
すごい面子だ。
ちなみに於呂閉志胆沢川神社の宮司様には、奥宮の件で、
明日もお会いすることになった。

盛岡の酒「あさ開」。初めての銘柄だけどこれ美味しい。
最初は、送っていくつもりだったので、飲まなかったのですけど。
白山の宮司様に、勧められたので。ついつい飲みすぎ。

いやはやそんなこんなで時間は過ぎ、20時近く。
折角なので街中に繰り出して「よさこい祭」を見ることにする。
権禰宜さんと街中に。白山の宮司様とは、後ほど合流することになった。
水沢の街に出たのはいいが、祭りは終わっていた。。。残念。
仕方なしに、宮司様から連絡があるまで、近くの居酒屋で飲むことに。
1時間くらい雑談していると。やっと電話。
近くの居酒屋に場所を移します。

それからは、宮司様からの歌唱判定会に突入。
厳しい審査が続きます。結果、駒形の権禰宜さん、自分ともに落選。
修行して出直します。
ところで、於呂閉志胆沢川神社の宮司様は?と頭に「?」マークはあったが
まあ、お忙しいのだろうと思い何も言わなかった。
(このあたりは翌日判明。)

翌日の約束があることをご存知だったので、2人はある時間で釈放。
宮司様は、禰宜さんがいらっしゃってまだ飲むみたい。

よい一日であったとつくづく思う。


追伸:
そういえば、本殿の後ろの石について聞こうと思っていたが忘れた。
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於呂閉志胆沢川神社奥宮 ( No.[9]8 )
日時: 2009/10/05 13:17:18
名前: 御津垣  ID: HINu/ghU
編集: 【回数】 4回   【名前】 神楽  【最終日時】 2016/06/10 22:52:03

於呂閉志胆沢川神社
胆沢郡の式内社2社「於呂閉志神社」「胆沢川神社」の合祀社である。

この神社には、奥宮が存在する。
奥宮は、「式内於呂閉志神社」そのものである。
(ちなみに「胆沢川神社」自体も古社地があるようで要調査です)

しかし、この奥宮に一般人が辿り着くことはほとんどできない。
少なくとも、あと2年(?)ぐらいは。
「岩手・宮城内陸地震」。深い爪あとを残したこの地震は、猿岩近辺にも
大きな損害を及ぼした。結果、復旧工事と安全確保の為、自由に参拝することが
できなくなってしまったのだ。


以下は、於呂閉志胆沢川神社の宮司様より伺った内容である。

現在の位置に鎮座するまでに、2回の遷座があった。
当初は、猿岩の頂上付近にあり、その後 少し下がったとこに遷座。
そして、現在地という具合である。
ちなみに、旧社地には特に祠や碑はなく平地となっているだけとのこと。
 追記:どうやら石祠はあるようだ。
     ちなみに胆沢川神社だという説もあり。

於呂閉志神社の最盛期の頃には、冬季に神職が山里に下りるときには、
お賽銭を降ろすのに馬三頭が必要であったとの話がある。
それだけの参拝者があったということだろう。それは秋田、宮城と広範囲だった。
ちなみに古い神札の残っている地域を学芸員が調査したことがあったようだ。
地域としては秋田・宮城までの広範囲に及んでいたという。
この結果より崇敬者の分布が推測できるようだ。
ちなみに、面白いことに近くの北上側では発見されていないとのこと。
※これは、伊達と南部の藩境がこの地域に
あった為であろう。

今後の奥宮についてであるが、
胆沢ダム完成後は、猿岩隧道の上部分まで、水位が上昇するとのこと。
現在 お祭りに使う椿は、このあたりではなかったか?心配だ。
猿岩への道は、ダムの対岸から新しい橋が猿岩にかかるように
作られ猿岩側に駐車場ができることになっている。
簡単に伺えるようになるのはいいが、ごみが心配だ。


ところで、昨夜の飲み会の話でしたが、
なんかその後連絡がなかったので、行かなかっただけとのこと。
白山の宮司様からの電話を待っていたらしい。
うーん。あの時の様子だと忘れたな〜

 自分の写真の使用は自由ですが、
 自他の区別の為、どこからの流用かは記すべきだと思います。
1254716238-s1.jpeg 1254716238-s2.jpeg 1254716238-s3.jpeg
氷上山登拝。迷子とクマさんと氷上神社 ( No.[9]9 )
日時: 2009/10/05 13:52:03
名前: 御津垣  ID: AYCkJBFw
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/13 14:18:48

奥宮の話の後、陸前高田の氷上山に登ることにした。
天気はちょっと曇り、今日までは大丈夫のはず。

13:30。中央コース中間にある「赤鳥居」到着。
折角なので表参道、ただし中間位置まで林道を使い車です。
すでに、2台駐車している。途中「すずらんコース」にはなかったが
こちらは時間が短くてすむので、こんな曇天でも登山客はいるようだ。
ああ、なんかすでに曇りです。「ちょっと」ではなくなった。

ささと登拝して下山しよう。2時間もあれば?
いざ!というところで携帯が鳴る。駒形の権禰宜さんからだ。
於呂閉志胆沢川神社の宮司様に会えたかどうか心配しての電話だった。
あれだけ前日騒いでいたので、心配されても仕方ないか。
とりあえず問題なかったいうこと、これから氷上山に登ることを伝える。
反応はご想像にお任せします。

登拝開始。途中、下山の2組とすれ違う。
しかし、1組目は多すぎ。乗れないよな?
45分後、祈祷ヶ原到着。奥宮の3社は独立して鎮座しているので
少々面倒である。まずは、1社違う方向にある「西御殿」に向かう。
草が自分の背より高く茂っている。林に入ると植生は変わり熊笹となる。
しかし、登山道をも覆う具合である。最近この道を使った形跡がない。
曇りや霧、暗くなるとクマさんがでてきるので嫌なんだよな。
早く用事を済ませたいが、ほとんどラッセル状態。
看板の地図を見るとそんなに離れていない感じ。
しかし、全く見当たらない。
もしかして祈祷ヶ原の草の中にあるのではないか?
不安になったので、一時戻ることにする。

草の中にはないようだ。一旦諦めて「中御殿」「東御殿」を目指す。
すでに、空は怪しい状態。雨は降りそうもないが。
まだ、時間は14時台だよ?やばいな〜

気持ちもあせる。足早にもなる。
「まわり石」という大石の先に(眺めはよい。これで晴れていたらな。。。)、
案内がある。どうやら右にいけば「中御殿」のようである。
右に行く道もあり、とりあえず進む。大分歩いただろうか?
全く見当たらない。沢らしきところまで下りてきた。
いい加減疲れたので、氷上神社に電話して場所を聞くことにする。
宮司様がでられたので、今 氷上山に登拝しているが御殿の位置が分からない旨お話する。
宮司様のお話では、中御殿は今いる道ではなく、真っ直ぐの道を
ちょっと行ったところの右にあるらしい。(電話中も怖いので、クマ鈴は鳴らしておく)
ちなみに、自分は「すずらんコース」を下山していたようで、
沢はどうやら「川原川水源」だったようだ。

気を取り直して、再び登り始める。
分岐まで戻るが、登ると結構な傾斜だったのが分かる。
さて、真っ直ぐの道を数メートル行くと、右に行く「道らしきもの」がある。
(これって、ケモノ道?)進むが、岩場にあたり覗くが先には何もないよう
に見える。うーん。時間がもったいないし、ずっとクマさんの恐怖と戦って
いるんだけど?
中御殿を諦めて、東御殿を目指すことにする。

目指して、直ぐにまた右に行く道があった。ちょっと戻るような感じな道であり
「中御殿」の看板もある。その先には、建物が見えた。
なんだ、さっきの道はやっぱり違っていたのか。
東御殿の帰りに寄ることにし、先を進みます。
15:00。ようやく東御殿に到着。
参拝・写真撮影をしてさっさと戻ります。
(写真は載せてませんが、早池峰の頂上のものと同じです)

先ほどの道をたどり「中御殿」に到着。
こちらも同じく参拝と写真撮影です。社殿の反対側にも道があるようなので
そちらに行ってみると、先ほど諦めた岩場にでた。
この道も合っていたようだ。岩場の影で見えなかっただけである。

これで、「東御殿」「中御殿」の参拝は完了した。
残りは最初の「西御殿」である。また、あの草むらを通るのは面倒、
というより怖いんですよね。クマさんには会いたくないですね。
さっきの電話で道は間違いないことは確認済み。
どうやら、諦めるのがちょっとだけ早かったようだ。
いそいで、鈴を盛大に鳴らして向かいます。

諦めた地点の数十メートル先、「西御殿」は鎮座していた。
15:20これで、全ての目的は達成した。
しかし、ミッションは下山までが含まれている。急いで下山を開始する。
そしてどうにか16時過ぎに無事車まで戻ることができた。


車を走らせ、氷上神社里宮に向かう。
参拝と合わせて、お礼にも伺おうと思います。

参拝後、社務所のベルを鳴らすと先ほど電話対応頂いた宮司様が現れる。
電話のお礼と、無事3社ともに参拝できたことを報告する。
この後予定もないことだったので、社務所に上がらせて頂いて
お話を伺うことになった。
神社に関係することより、高校野球についても話題が多かったかな?
花巻効果?というところか。地元の活躍はうれしいものである。
奥宮関係では、後日再訪して写真を撮りたいとお話したところ
一緒にキャンプをして過ごすお話に発展した。
ちょっと時期は不明であるが、はやくても11月頃であろうか?
楽しみである。

また、アイヌの言葉についても話題があった。
神社名である理訓許段・登奈孝志・衣太手は、アイヌの言葉で、
意味も教えて頂いた。
アイヌに言葉は(東京弁から見れば)独特と感じられるが柔らかい感じがする。
これをもとに気仙の言語ができたのだろうか?

脇道にそれるが、以前ナショナリズムについて学んだことがあった。
その中で、一部学者が、気仙の言語は独立しており、
特殊であると論じているということを聞いた覚えがある。

民族や国民が、言語という概念でできているのであれば、
気仙は一つの国家として成立できてしまう。だが実際にはそうなっていない。
では、なににより民族・国民とは成立するのか?という話であった。

宗教という概念は重要な要因であることは否めない。
が、東欧を見てみると、それだけでは説明がつかない。
宗教は同じであるが、言葉が違う。
宗教と言葉は同じで、文字だけ違う。など
「想像の共同体」中で、著者はこれらの事項について一つの回答を述べている。
(うろ覚えだが)「想像により違いが生まれる」そんな感じであったと思う。
「あれとは違う」と認識し共有し集団ができ、それが民族意識となった
ということである。たぶん。


閉話休題。
お話で思い出しただけで、述べたのは気仙の言葉は独特だと
聞いたことがあるということだけなんですけどね。
時間も結構経ち、お暇することとした。
再訪については、別途連絡することとした。

明日は、経塚山登拝である。
天気が分からないが、登山口の夏油温泉に向かう。
途中、コンビニで弁当を大量に購入し、
温泉に浸かり、車中泊とした。


一言
多数派でないから、意見が違うからということで、
除外するのはただの迫害と同じと思う。
少数を内包できる、寛容で大きくあればと思う。
多様性は重要ですよ?
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経塚山(大日岳)登拝 駒形神社奥宮古社地 ( No.[9]10 )
日時: 2009/10/05 13:54:56
名前: 御津垣  ID: vaNK8pS6
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/13 18:28:43

奥州4日目。
今日は、夏油三山の一つ「経塚山」への登拝である。
さて、なぜ「登拝」なのか?
それは、駒形神社奥宮は、元々 経塚山にあったと言われているからである。
いわば古社地への登拝なのである。

ちなみに、駒ケ岳の登拝祭の時に
「なぜ一番高い山ではなく、二番目に高い山なのか?
普通(?)に考えれば一番高い山に建てられるのではないか?」
と、ご神職に伺ったことがあった。

答えとしては、元々は一番高い「経塚山」に鎮座していた。
この経塚山は大日岳と呼ばれており神仏混合のなかで、
大日岳(大日如来)=天照大神と認識するようになり、
天照大神に一番高い場所を譲り、二番目に高い駒ケ岳に
遷座したと聞いているとのことであった。たしか。
※ちなみに、和賀側(旧南部藩)の駒形神社縁起は全く異なる。
 こちらは、別の機会に。


さて、話は当日に戻る。
車中では、よく寝れなかったのでちょくちょく起きていた。
3時頃は、星空で晴れていたことを覚えている。今日はいい天気だな?
そう思った。しかし5時くらいになるとガスがでてきて状態は
あまりよくなくなった。

それでも雨は降っていないこともあり登ることにした。
7:00登山開始と考えていたが、あまりにも暇。
6:30待ちきれなくなり、登山を開始した。

頂上到着予定は、遅くて11:30。4時間7.0kmの行程である。
15分ほどで牛形山との分岐点である。経塚山・駒ケ岳と同様に夏油三山の
一座である。こちらは、また別の機会に登ることにしよう。
これからは、林道をしばらく歩くことになるが長いのなんの。
2.5kmの林道である。一応車も通れるが、ここを通るのは関係者だけだろう?
しばらくは登り坂、その後下り坂を経て、登山道に着く。
もう50分経っているのですが、いままでは登山道ではなくて
林道だったのですね?いづれにしても後、たった4.0kmです。

5分程度で有名(?)な「トラス橋」に到着。ちょっと足場が不安でしたが、
問題なく渡れました。いやなに、板が抜けないかな〜と思った次第。
その後すぐに難所が現れる。岩壁である。3mくらいだったかな?
ほぼ垂直(ほぼですよ。ほぼ。垂直じゃ登れないです。)の壁である。
若干濡れていて少々怖い。ストックは畳んで、慎重に登ります。

岩壁を越えると、九十九折の山道。急に高度を上げます。
8:30頃であろうか、尾根道を歩いていると、木々の曲がり角の向こうに突然!
人が現れた。始めて人に遭遇した。いや、しかし驚いた。
この方、焼石岳からの縦走とのこと。ここまで1:30と言っていたので、
自分は登りで2:00ということか。
しばらく行けば水場があるはずなので、状態を聞いてみたが、
臭くて飲めたものではないとのこと。
なにが臭いんだろうとは思ったが、まあいい後で確かめればいいこと。

引き続き歩きます。今回は、左膝にはサポーターを装着済み。
それなりには持つはず。
やがて、水場に着く。残りは1.6kmである。
ちなみに、水を汲んでみる。うわっ、なにこれ。温泉の成分ぽい匂いだ。
これは飲めない。もっと動物ぽい感じを想像していたんだけどな。
あと1リットルあるし大丈夫でしょう。

その後10分ほどで、「お坪の庭」に到着。ちょっとした日本庭園である。
こんな庭ほしいぞ。ちなみに案内の距離が2つあって混乱します。

9:40木道のある湿原に到着。お庭からこっちは紅葉の中を進みます。
これで晴れていたらとは思うが仕方ない。
湿原の先は、また樹林。この先は一気に開けるとのいう情報はもっていたので
頑張って歩く。やがて林は切れ、展望が開けます。
先日の駒ケ岳が見えます。望遠なら奥宮がみえるか?とレンズを交換してみる。
うーん、見えるけど。限界があるな。自分のやつでは。

この展望ですが、曇っていてイマイチ。
さらには、雨がぽつぽつと降り出してくる。
だが、雨に打たれるという表現までではない。
頂上はもうすぐ。そのまま歩き続けます。
そして、10:15経塚山山頂に辿りつく。

焼石岳見えない。紅葉はいいけど。雨が強くなった。
「駒形大明神」碑の写真を撮りたいのだが、望遠レンズでうまく撮れない。
雨で交換もできない。つらい写真撮影が続く。

雨が強くなってくたので、さっさと退散します。10分居たのかな?
雨着も上だけでも装着します。

下山中の「お坪の庭」へ降りていくところで、2人組みに会った。
「クマいませんでした?」と聞かれたので
「会ってたらこんな落ち着いてないよ!」と素で答えてしまった。
今考えると、もっと笑いのエッセンスを取り入れて返答するべきであったと思う。

水場近くまで戻ったときであろうか、水溜りができていたので、
それを避けるために、飛んでしまった。こともあろうに濡れた木の上にである。
あっ、しまった。飛んでいる時にもそう思ったのだが、やはりである。
着地した足は、前方向にすべっていく。ああ、やっぱりか。
そして暗転。自分は熊笹の覆い茂る谷間に消えていくのであった。
いや、消えてない 。1m程度で止まった。谷でなかったのが幸いであったが、
これは猛反省な出来事である。死ぬかと思った 。ケガもなかった。

ちなみに、この下山であるがいままでの下山と違い、「登り」も多いのです。
故にそんなに時間に違いはない。九十九折の道では、案の定左膝が痛くなるし。
岩壁は、雨にさらに濡れ、危険地帯と化していた。下りは怖いな。
やがて林道。どこまでつづくのこの登りな感じのあと、牛形山との分岐まで
永遠と思えるような一人旅が続く。行きもそうだけど、小さな蝶が多い。

13:00「天狗の岩」との分岐まで戻ってきた。
折角なので、そちらも見ようと向かってみたが、なかなか着かない。
うーん。見た目ですか、どっかの出羽三山みたいな感じですかね。

そんな感じで無事に下山。夏油元湯で湯に浸かって、水沢に戻ろうと思う。
足も大分痛いし。しかし、露天風呂は大混雑らしい。
内風呂でもいいとは言ったが、川向こうじゃないと空いてないらしい。
どうでもいいので500円払ってそちらに向かう。

風呂は空いていた。ゆったり湯に浸かり疲れを癒します。


明日は岩木山神社に行こうと考えていたが、天候次第。
いま持っている情報では問題なさそうである。
とりあえずは、昨日電話もあったので駒形神社に行くことにする。
経塚山登ったよとの報告もしたいので。

到着後、ざっとお話して経塚山の写真を提供して退去する。
まずは、晩飯である。
市街のすき屋に行って食事をする。ついでに最新の天気を確認。
ん!明日ダメじゃん。どうしよう。
えい、もう市街に泊まってネットで情報を入手しようと楽天で予約し、
チェックインします。


今日は疲れた。
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遠野から早池峰へ ( No.[9]11 )
日時: 2009/10/05 14:03:33
名前: 御津垣  ID: vaNK8pS6
編集: 【回数】 3回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/13 21:30:56

なんにも思い浮かびません。
ホテルに入っても、酒飲んでいたら寝ていた。

そんな感じではじまる5日目。外は小雨である。
心は憂鬱である。どうすっかな〜?とりあえずは朝飯か。
吉野家で朝食を。まだ、考えはまとまらない。
この近辺で目的をもって行くとしたら、石手堰神社かな?
でもまだ時間早いな。道の駅で時間潰すか〜。
メランコリー全開なオーラでてます。

水沢道の駅。ここ小さいですね。車で寝ていると見えちゃいます。
9:00近くまで、ノンビリしましたが流石に限界。
石手堰神社に向かいます。以前伺ったときに、御朱印は郵送で送って
頂くことなったのはいいが、ちょっと遅いので申し訳ないとは思いつつ、
ご自宅に伺うのが目的。催促そのものですね。
神社に向かう途中の県道では、マラソンを行っていた。
雨じゃなかったらよかったのにね。

さて、神社に参拝してからご自宅に電話を入れます。
うーむ、毎度のことながらつながりません。やはりダメなのかな〜?
10分間を空けて再度連絡をします。
数コール後、繋がった。宮司様につないで頂いて、御朱印の件をお伝えする。
どうやら覚えて頂けていたようだ。
住所を書いた封筒が失くしてしまい送ることができなかったことが判明した。
そのような訳で、直接お分けいただくことになった。
1時間後には兼務社の用事で、出かけられるようで、
ちょっとだけお時間を頂いて対応して頂いた。

さて、その後であるが、また暇になってしまった。
なんにも考えていない。
そのうち、皆さんが遠野について言っていたのを思い出したので、
うん、遠野ならなんか雨も似合いそうな感じだな。と勝手なイメージを
膨らませ、遠野に向かうことになった。でも晴れに出直すよ。

ナビに入力するのは、早池峰神社。なんか2社あるようだ。
とりあえずは、遠野。そのあと、花巻としよう。

車は順調に走る。まわりの風景がのどかでよい。道路の脇をなつかしい形状の
電車も走る。そういえば、途中に石上神社の社標がどんとあった。
本当に、何も調べていなかったのでちょっと残念。参拝すべき神社であった。
どうせなら遠野三山に関係する神社全てに。
(玄松子さんのとこで、帰ってから確認しました。)
うーむ、いつか山と一緒に参拝する。

山を越え、重要な神遣神社を登山届けのポストと勘違いして通り過ぎ、
漸くして早池峰神社に到着。となりの小学校(?)に車を停める。
なんか、キノコ祭りしてた。すぐ帰るなら購入したんだけど。
いつものように参拝と写真撮影後に、御朱印を分けて頂くのに社務所に
向かいます。どうやら、宮司様は留守のようだ。
「昨日は一日いたのよ。」と言われましても。。。
うーん、残念。由緒書だけ頂いて退去しようとしたが、
郵送でお送りしますと仰ってくださったので、送料分含めてお納めし退去した。
いづれ再訪はするのですけどね。

つづいては、花巻の早池峰神社である。こちらは早池峰神楽で
有名なようである。遠野側は「本社」とうたっているけど。
ちなみに、奥宮はどちらが管理しているのかな?
本宮と若宮とあるようだけど。

牧場地帯のど真ん中と突っ切ります。これはこれで気持ちいいだろうな。
その後、早池峰に近づくにつれ、山の木々は色を濃くし、いつの間にかに回りは
秋一色となっていた。(秋味飲みたい。)
小田越を通り過ぎ、河原宿を過ぎます。早池峰山はさっぱり見えません。
そしてやっと花巻側の早池峰神社に到着します。
こちらもりっぱな社務所を構える大きな神社。
一旦参道を下り、一の鳥居から写真を撮影します。
途中、社務所を覗いてみたが、どなたもいらっしゃらない。
携帯で電話しようにも圏外(めずらしい)。

神門のところに、御朱印を飾ってあったので分けて頂けるようであるが
不在ではどうしようもない。多分、ご自宅なのだろうがどこがそうなのか
近くは全部そう見えて分からない。
いづれ再訪するとして山を下る。

ダムのところの道の駅からは、またナビがいい加減な案内をする。
相変わらず距離第一優先。時間優先という設定はない!
狭い山道で、折壁峠越えである。
目的もないが、とりあえず紫波まで行って給油しようと思う。

紫波の街中で給油後、明日の予定を考える。
天気は、弘前はまだ回復しないようだ。かえって岩手の回復が早い。
それなら、早池峰山に登ろう。そして、また早池峰神社に伺ってみれば
いいじゃないかと決まった。

早池峰山に戻ります。今度はナビは無視して安全な道を選択します。
事前の計画が大事なのです。国道396号から県道43号を使います。
途中コンビニで、晩・朝・昼飯を調達。水もあるので、結構大量です。
泊まるのは河原宿登山口。またもや車中泊です。

18時くらいすでに周りは暗くなってます。これからこの山道を行く人は
いないのでしょう。車は全く通りません。
自分も照明もなくて怖いので、車からは全くおりませんでした。
ヘッドライト忘れたし。

ビールを空けて眠ります。
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早池峰山登拝 ( No.[9]12 )
日時: 2009/10/05 14:11:41
名前: 御津垣  ID: mkC91/.s
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/14 10:30:38

陸奥6日目です。

ビールは2本買ったのだが、2本目は途中で寝てしまったようだ。
車外にでる。うーむ、ガスがかかっている。またこのままなのか?
天候は回復に向かっているのは間違いないので、経塚山のように
悪くはならないだろう。
とりあえず、登る準備をする。そんな準備をしている間に、
団体さんが颯爽とやってきて、さっさと登り始めてしまった。
バスはどこで待っているのか?

団体に遅れること30分 時間は7:30。
漸く準備万端整い、登山届けを出して登り始める。
河原宿からだと標準3時間コースのようだ。
いままでの経験から、自分のペースで2.5時間だろう。
まずは、沢に沿ってのコースである。

登り始めて10分。嬉しい変化があった。頂上から徐々にガスが晴れてきたのだ。
上には真っ青な空、周りには木々の赤。消えかかるガスと射光がよい景色を
つくり、また、コントラストに変化を与え演出していた。

頂上もよく見える。しかし、その頂上は実際にはまだ遠いということは、
以前 富士山で経験しているのでよく分かっていた。
それでも、五里霧中的な状態よりよっぽど励みになる。

沢道とわかれガレ場になる。途中1組の夫婦を抜いてきた。すでに距離がある。
とはいえ、ガレ場では落石をおこさないようにしないと。
慎重に浮石を踏まないように進みます。
(1回だけ落としそうになってストックで押さえました。小さくてよかった。)

鎖場等を越えて、ようやく山頂に到着。所用時間は2.5時間。予想通りである。
鎖場付近から飛ばしてきたので少々疲れた。ガスが上がってきたので、
ガスがかかる前に頂上で写真を と急いだのだ。結局かからなかったのだが。
頂上は、先の団体さんで混雑している。ともかく、目的の参拝と写真撮影。
雲海の向こうに、岩手山・鳥海山等が見える。

写真撮影後、少々早いが昼食を摂る。
ゆっくり頂上で展望を楽しみ時間を過ごす。
30分くらいたってからだろうか
団体さんが、小田越方面に下山するようだ。
さて、自分もさっきの道を下山しよう。
下山する方向を確認していたら、近くの岩にウエストポーチが落ちていた。
あれ、さっきの団体さんかな?中身を確認する。盛岡のつなぎ温泉の
半券が入っているだけで、特に金目のものはない。
まあ、最悪そこに置いておいてもいいかな〜と言えるものだ。

とは言え、近くの監視員みたいな方がいたので、落ちていたことを伝える。
監視の方からは、小田越側の状態が見えたようで、
まだ近くにいた団体を止める(まだ居たんだ。遅いな。)。
やはり団体の一人のものだったようだ。
中身が中身なので、問題はないのでしょうが。

その後 監視員の方と軽く雑談。
なんでも車のカギを落としていった人もいて大変だったこともあるようだ。
もっとも、そんな落し物より、昨日道に迷って違う登山口に降りてしまった人を
探すのに大変だったと言っていた。(実際迷うかな。後で確かめてみたけど。)

河原宿に降りるつもりだったが、監視の方の勧めもあり小田越に降りて、
舗装道路経由に戻ることにした。こちらは植生も違うようだ。

歩きはじめて、すぐに団体に追いつく。
とはいえ、簡単には追い抜けそうもないので、周りの風景を写真に収めながら
間隔を調整せざるえない。梯子場では、のろのろしているので時間がかかる。
その後、立ち止まって説明を何度もしているので、我慢できず追い抜くことに
した。道を譲らないなこの方々。
写真は十分なので、さっさと歩きます。団体との差は広がるばかり。

やがて、岩場も終わり樹林地帯となる。紅葉の中を歩きます。
ここも青と赤のコントラストが見事。立ち止まり写真に収めます。
その樹林帯を抜ければ小田越の登山口。
天候もよく、結構簡単でしたね。ここからは舗装道路を2km歩いて戻ります。
(2km。以外と長かったです)

そういえば、団体のバスが停まっていた。
やはりツアーのようだ。岩木山・岩手山・早池峰山(あと一つあったはずだが)
と、毎日一山づつ登ってきたようだ。それで、頂上で「昨日・一昨日の鬱憤は
晴れましたか?」と聞いていたのか。天気悪かったもんな。

河原宿到着。着替えて早池峰神社に向かいます。
しかし、やはり今日も不在のようだ。ふーむ、タイミングなのかな?
さて、明日は岩木山。青森に向かいます。

東北道を北上し、岩木山神社には18:00過ぎに到着。
隣の温泉宿で、入浴させて頂き、目の前の酒屋でビールとツマミを購入し
また、灯篭にもたれかかってビールをあおります。
まだ寒くないので、外でも十分。でも前回みたいに3本は無理。
ほどほどに酔ったので、車中で眠ります。
明日晴れるといいな。
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岩木山登拝? ( No.[9]13 )
日時: 2009/10/05 14:18:42
名前: 御津垣  ID: mkC91/.s
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/14 11:06:29

陸奥7日目。
岩木山神社で、朝を迎えます。時間は5:00。
まだ、早いな。そういえば、朝飯買ってくるの忘れた。
時間もあるし、ちょっと買ってくるか〜。

ちょっと市街方面に戻ってコンビニで朝飯を食べます。

今回は、岩木山の頂上 奥宮の写真撮影が第一の目的。
さすがに、4時間の登山は今回はパス。(明日も登るし)
それに、こちらは9合目まではズルできるので、文明の利器を使いましょう。
時間を調節して、スカイラインに向かいます。

しかし、まだ早すぎたようだ。多摩ナンバーの車が、一台入口で開門を
待っているようだ。自分もそれにならって車を停めて待つことにする。
約30分後、時間は8:00ようやく開門。
8合目まで、長い道を登ります。そして、駐車場に到着。
これからはリフトで9合目に向かう。と思ったが、運転開始は9:00。
なにそれ!という感じである。

仕方ないので待つ。一緒に登ってきた方々も文句を言っている。
そもそも、スカイラインは時間で制限するな。夜間は無料のが多いのに。
とのこと。まあ、そんなところもあるけど、ここは企業がやっているから
無料はないと思うな。
そういえば、リフトは準備が整い次第 運行すると言ってくれたが、
結局9:00まで待たされることになったんだっけ。

さて、リフトに乗って9合目を目指します。
今回は、登山靴ではなくデッキシューズ。登山靴濡れていて履きたくない。
ちょっと足元が心配だが、仕方ない。

9合目からは30分の歩きである。慎重に歩きます。
岩場は、デッキシューズは危険。やはり登山靴はよくできている。
踝まで保護していることがよく分かる。岩場で足を挟むと痛い。

そんなこんなで、頂上に到着。雲上の世界である。
山頂で、工事をされている方がいらっしゃったので、社務所でも
再建しているのかな思い聞いてみた。実際にはトイレのようだった。
ついでといえばなんだが雲は取れないかな〜と、言ったところ
すぐ切れるよとの情報。ラッキー。ちょっと寒いけどそれを待ちましょう。
風があるので、雨着をウインドブレーカーに使います。

やがて、雲は風で徐々に流れていき、地上が姿を現します。
さっきまでの雲上の世界もいいけど、こっちのが断然いい。

同じように待つ人も多かった。その中の数人にはカメラの撮影をお願いされた。
ニコンのカメラの方がいて、設定は特にしていないというのに色うつりがいい。
やはりニコンがいいのかな?色がな。。。

そう、なぜ空の青色がでないのだろうか?そうずっと悩んでいたんだ。
そして、この岩木山の頂上で答えを見つけた。
そう、設定を間違えていたのだ。
はあ。

雲上の方が、諦めるとして雲が切れた状態で取り直し開始です。
うーん。これなんですよ。求めていたのは。

さて、もう十分。風も寒いので下山します。
途中、すごい数の小学生の団体に遭遇し、立ち往生します。
とはいえ無事下山。これから岩木山神社に戻って、奥宮の御朱印を
分けてもらおうと思う。(奥宮の御朱印変わっていた。
丸に頂上が、角印になってました。)

次は、巌木山神社。写真の撮りなおしである。
到着すると、なんやら怪しい団体。鳥居のところに車停めるな!
写真撮れないだろうが!(帰った後に撮影しました)

これで、青森での用事は完了。
予定では、今日中に実家に帰って明日友人と遊ぶところであったが、
消防団の練習が入ったとかで中止。やっぱ田舎だな〜。
そんなことなので、岩手に戻り写真に満足していない
経塚山に再挑戦することにした。
東北道を戻り、また夏油温泉で一泊した。
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経塚山リベンジ ( No.[9]14 )
日時: 2009/10/05 14:25:41
名前: 御津垣  ID: mkC91/.s
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/14 11:27:20

陸奥8日目。最終日です。
今日は、経塚山への再挑戦。

雨でろくに撮れなかった写真。腕や設定の問題もありますが、
とりあえず、撮りなおしで登ります。

天気予報は晴。ですけど、朝の天気は微妙。
晴れ間はあるけど、曇りですよね これって。割合的に見て。

前回同様に6:30。登山開始。
今回は、道も分かっているので心配ない。まあクマはね〜。
そういえば、前回の経塚山から膝が痛くない。吉兆吉兆。
そういう意味でも、リベンジになるのか?

さて、順調に進みます。
途中は、前回済ませているので、特に写真撮影も必要ない。
今回は、あくまで頂上付近での撮影が目的である。

〜中略(なにもないし)〜

3時間後、頂上到着。休みなしなので疲れた。平均より1時間短縮です。
駒ケ岳もよく見える。焼石岳もよく見える。
もうちょっと晴れていたら文句なしですが、写真的にはね。

しかし、雨はないけど、風強っ!
こんなところにずっと居れないよ。
写真をさっさと撮りなおします。
そして、さっさと退散しました。

駒ケ岳がよく見える場所まで戻り、風を防げるようになったのでやっと休憩です。
行きで無理したようなので、十分休憩します。
30分以上いたような気がします。

その後は、特に急がず 前回の反省(足を滑らせたこと)を踏まえて
下山します。膝も痛くならず快適な下山。登山よりよっぽど時間がかけました。


さて、下山後はまた温泉で汗を流します。
今回は、別の場所に。なんかこっちのが安かったな。
ちなみに、その宿の前にある看板がかかっていた。
「最近クマが出没しております。十分ご注意下さい」

「へー、最近クマ出没しているんだ〜」怖っ。
もっと、見えるところに置きましょうよ。

宿の人に聞いたところ、どうも駒ケ岳での遭遇報告が大多数らしいが。
それでもね〜。そんなこと聞いていたらちょっと考えていたよ?
ちなみにこの宿は、前回登拝祭でお世話になったところ。
なかなかいい宿です。

さて、水沢に戻り ご馳走ばっかりなっていた駒形神社に青森のお土産を
持っていきます。



これで、今回の奥州紀行はおわり。
東北道で関東に戻ります。
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乙でした ( No.[9]15 )
日時: 2009/10/09 20:11:18
名前: era  ID: JcaBAuwk

御津垣さんの強行スケジュール驚き
ました。早池峰と駒形奥宮が特に
印象に残りましたよ。

試験勉強どうです?自分は駄目駄目
ですよ。
乙です ( No.[9]16 )
日時: 2009/10/10 13:56:57
名前: 御津垣  ID: HTCAgET6

eraさん

試験勉強?なんのことでしょう?
さーよく分かりません。
と、現実逃避したくなる結果でした。
来週から勉強し直します。


>御津垣さんの強行スケジュール驚きました。
いやいや、今回はそんなに強行でもないのですよ。
あまり予定も入れずに、ゆっくりしようと思っていたので。

>早池峰と駒形奥宮が特に印象に残りましたよ。
早池峰山は、本当は予定外なのです。
予定もない、晴れたし、簡単だし、と条件が重なったので
登拝に及んだとあんまり褒められるようなものではありませんのですよ。
でも、登ってみてよかったと言える山でした。
このあたりは、ちゃんと書きますので後で読んで頂ければ幸いです。
(いつ? さあ?分かりません。

駒形奥宮は、晴れていて気持ちがいい日でした。
こちらは、経塚山との関連もあり奥が深いですよ。


雪が降れば、北に伺うのは一旦自主停止。
雪解けまでは、西に向かいます
霊山神社 秋季例祭 ( No.[9]17 )
日時: 2009/10/14 11:50:50
名前: 御津垣  ID: mkC91/.s

三連休。以前からの約束で妹夫婦のところに遊びにいくことになった。
まあ、約束は姪っ子のほうだが。
さて、遊び自体は中日にし、3日目は自由。
折角なので福島まで足をのばすことにした。

霊山神社。いわずと知れた旧別格官幣社である。
以前にも伺ったことはあるが、その当時は写真を撮っていなかったので
改めての再訪となる。

栃木県内から3時間強。霊山神社に到着。
なんか旗が揚がっている。うーむ今日はどうやらお祭りだったようだ。
知らなかった。(秋祭は「体育の日」に開催される)

お祭りを撮りに行くのと、神社を撮りに行くのでは、
自分では趣旨が異なるのでちょっと困る。
とはいえ、ここまできて帰るのはちょっとな。
悩んだあげく伺うことにした。

いつもなら上の駐車場に停めるのだが、今回は下の駐車場に停める。
その後、ピストン輸送の神社送迎車に乗って社殿に向かう。

おー、人がいっぱいいる。
ちなみに春祭のが多いらしい。秋は稲刈りと重なるしな、こっちは。

お祭りが神楽殿側に移ると、拝殿側は誰もいなくなる。
これは幸い。「当初の目的」と「祭り」と2種類撮れる。
バシバシ撮影します。ちなみに、オフ会で聞いた広角レンズを購入・使用!

無料であったケンチン汁を味わい、楽しいひと時を過ごします。
きて良かったな。

蛇足:
 帰り道4号の交差点で、信号で停まって青信号に変わる時、
 後ろから追突された。一緒に停まっていた車なのだが、
 なんで、あのタイミングでやられるか不思議だ。
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濃い ( No.[9]18 )
日時: 2009/10/15 20:46:19
名前: era  ID: T3Rh3ib.

濃すぎる。御津垣さんの行動も濃い
し神主さんも濃い。
これは岩手の参拝のときの参考にな
ります。

やはりアイヌの言葉でしかた!そう
ですよね。どんな意味でしょう?
想像するだけで楽しいです。

こんどの日曜が試験です。神社中毒
にはキツイです。
もう試験おわりました?
氷上神社 ( No.[9]19 )
日時: 2009/10/15 22:05:16
名前: 御津垣  ID: HINu/ghU
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/10/06 17:45:51

eraさん

こんばんは。つたない文章をお読み頂き有難うございます。
ちょっと、具合が悪く休んでいる時期(進行形)の文なので
誤字等はご容赦。


>濃すぎる。御津垣さんの行動も濃いし神主さんも濃い。
濃い?うーん濃いかな〜


>やはりアイヌの言葉でしかた!そうですよね。どんな意味でしょう?
衣太手神(きぬたてのかみ)・・・「森の中に鎮座の神」
登奈孝志神(となこしのかみ)・・「沼を越えた彼方の神」
理訓許段神(りくこたのかみ)・・「丘にある村の神」

参考URL
 ttp://www.ganshinsei.jp/rikuzentakadashi/614a.html


>こんどの日曜が試験です。神社中毒にはキツイです。
>もう試験おわりました?
宅建ですか?自分もいづれはとりたいですね。

ちなみに東北は、もう寒くなってます。
3連休の裏磐梯で調子崩してますので、一枚羽織るものは必須です。


では、頑張ってください。
お疲れ様です ( No.[9]20 )
日時: 2009/10/16 22:08:29
名前: 神楽  ID: md5dtVss

今年は紅葉早いみたいですね。
今じゃ東北はもう終わっているのかな。
紅葉と神社、これまた絵になるから何回も行きたくなりますよねぇ。

車ぶつけられたって、ムチ打ちとか大丈夫でしょうか?
当たりってことで、縁起がいい方に持っていきましょうね。

資格試験、皆さん頑張っていますね。
私も来年受けてみようかなぁ。
駒形神社里宮 ( No.[9]21 )
日時: 2009/10/17 00:39:08
名前: 御津垣  ID: mq15Tg0Q
編集: 【回数】 3回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/19 21:44:28

相変わらず寝床からのアクセスです。
ご心配をお掛けしてますが、とりあえず鞭打ち(もっともっと♪)
いや 、ムチ打ちは大丈夫です。スピードもなかったので。
うーん、当たるということで、宝くじでもでっかく当たらないかな〜。
今度九州行ったら、宝当神社に足をのばしてみようかな?

さて、今回は、東北紀行で一度も載せてない「駒形神社里宮」です。
奥宮(式内社)に対する里宮になります。
なんで、そんな当たり前のことを述べているかというと、
それなりの理由があります。

まずは、こちらをご覧下さい。簡単な関係を示してます。
【伊達藩】
 奥宮 − 西根駒形神社 → 水沢駒形神社

【南部藩】
 奥宮 − 岩崎駒形神社

  ※1岩崎駒形神社側の縁起
   胆沢郡の縁起は、日本武尊説・上毛野胆沢公説等であるに対して、
   和賀郡の縁起では、坂上田村麻呂の愛馬にまつわる伝説をもとにしている。
   ダ・ダ・スコという岩手のタウン誌からの孫引きになりますが、
   (資料の典拠は、「煤孫寺(古館神社)由来紀」)
   「延暦二十年 坂上田村麻呂が東夷征伐に当たりこの地に陣したとき、
   秘蔵の葦毛の愛馬が突然死んだ。田村麻呂は深く憐れんで塚を築いて葬り、
   祠を建てた。嘉祥三年廻国中の慈覚大師がその由来を尋ね馬頭観音像を
   安置※2し、さらに西南の高山を見つけ、それが和賀・江刺・胆沢三郡の
   境と聞くと、三郡の鎮として馬頭観音をその山に移し、駒ケ岳と名付けた」
   とあります。

  ※2経塚山になります。
    ここは、引用ではありません。



ご存知とは思いますが、明治まで伊達・南部の両藩は、
20年に一度、交替で奥宮の造営をしておりました。

明治三十六年、水沢の遥拝所は、山頂より遷座し本社となり
西根の里宮は、本社の境外末社となった。
同年、奥宮の所有は、水沢の駒形神社であることが確定された。
それ以降、和賀町岩崎の駒形神社との関係は薄らいでいった。

さて、話を現在に戻します。
奥宮の造営が来年にあることは、すでにご存知であると思われるが、
現在この計画に関して、長らく関係が途絶えていた3社が合同で実施しよう
としていることは驚きに値し、また大変喜ばしいことである。
100年を越える歳月を経ても協力できる。非常に難しいことです。
計画の成功と、全崇敬者に幸有らんことを祈りたい。

写真
左: 金ヶ崎町西根 駒形神社
中: 北上市和賀町岩崎 駒形神社
右: 水沢 駒形神社境内 遥拝所碑


次回は、「氷上神社奥宮」です。
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陸奥紀行閑話その1(氷上神社奥宮) ( No.[9]22 )
日時: 2009/10/17 13:55:09
名前: 御津垣  ID: tSlBJnhc
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/17 16:27:29

今回は、氷上神社奥宮についてです。

迷子とクマさんの記事には、奥宮の写真を載せていませんでした。
その理由は、写真を見て頂くと分かると思いますが、
一見して違いが分からないからです。

それでは、一社だけ載せておけばいいか?
いや、それは失礼だな〜。ということで、全部載せませんでした。
今回は、全部掲載します。

そうとうの風雪なんでしょうね。これだけの覆いをしているのですから。
(早池峰山もそうでしょうし。)

そういえば、この扉の錠ですが、以前盗難にあったみたいです。
宮司様のお話では、当初 立派な錠を付けていたが、チェーンを切って
錠だけ持っていかれたとのこと。(錠だけで、鍵はどうするんだろ?)
ちなみに、中は荒らされていなかったとのことです。

では写真の説明を
左:西御殿「理訓許段神社」
中:中御殿「登奈孝志神社」
右:東御殿「衣太手神社」


この続きは氷上山キャンプ後に。
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陸奥紀行閑話その2(白山神社) ( No.[9]23 )
日時: 2009/10/17 16:45:21
名前: 御津垣  ID: tSlBJnhc

どこまで続くか分からない気まぐれ掲載です。
主題で扱っているが、ちょっとの記述で終わっているところに
焦点をあててみます。(思いつきなので、氷上神社奥宮からがそうなる。)

さて、今回は「奥州市前沢区 白山神社」。
止々井神社を見てらっしゃる宮司様の本務神社です。

いい雰囲気の神社でしたが、後の予定が詰まっていたので
早々に切り上げてきてしまった。
後日、再訪してみようと思う。写真撮り足らんし。

ああ、前沢牛。。。


−御祭神−
 伊邪那岐命
 誉田別命
 素盞男命
 月夜見命
 大日霊命
 迦具突命
 伊邪那美命
 水速女命

−由緒−
 平城天皇の大同二年(807)、大将軍坂上田村麻呂が東奥鎮撫の折
 この地を通過し、平野の中央に自生の麻が繁殖せるを感じ、
 一社を勧請し麻生神社と称す。
 往古より氏子等が報賽として麻糸を奉納せり。
 その後、康平元年(1058)源義家が安倍の一党を追討の折に
 この地に陣営し、当社に祈願す。神験の尊き霊社なり。
 後年に白山神社と改称す。

−旧社格−
 村社

−例祭−
 4月19日


そいでは。
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素敵ですね ( No.[9]24 )
日時: 2009/10/18 20:43:47
名前: era  ID: h6ToXQRA

沼を越えた彼方の神・・・グッときます。
御津垣さんの東北紀行凄く役に立ち
ますよ。岩手の式内行脚楽になりま
すよ。

よく宅建なんてわかりましたね!けっ
こう面倒ですよ。
御津垣さんの試験の結果は?
こっちはギリギリ合格くさいですよ。

体調気をつけてくださいね。紅葉は神
社スキーには素晴らしいシーズンです
かたね。自分は但馬の紅葉見にいき
ますよ。
陸奥紀行閑話その3(飯豊森) ( No.[9]25 )
日時: 2009/10/19 00:37:30
名前: 御津垣  ID: AK7SxnUc
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/19 00:38:45

今回は、北上市飯豊町にある飯豊森です。
式内社「和我叡登挙神社」古社地とされているところです。
(北上市史第二巻はまだ読んでいません。早く読まないと。

頂上には、神社じゃなくて寺院系のものがどんと構えています。
もちろん出羽三山や、山神様、庚申塚等お馴染みのものを見ることが
できます。
ちなみに灯篭等、地震で崩れているようですね。こちらも。

入口の案内には、春・秋にお祭り(祭神とある)があるようであるが、
どうやってやるんだろうか?

ともかく、外部の人間が式内どうこう言いのは申し訳ないくらいに
近隣の住民からは「里の守り神」として愛されているようです。
そうですね。鎮守神というより、むしろ古来から生活を見守っている産土神。
よい感じです


写真
右:飯豊森全景
中:飯豊森案内
左:頂上風景


追伸:
 eraさん、試験お疲れ様でした。
 解答でてましたね。自己採点された感触でしょうし
 結果は問題ないんでしょう。いいな〜。
 自分は、やっぱり理系は苦手です 。暗記ものがいいです。

 そういえば、相模は式内社論社含めてとりあえず巡拝完了です。
 別途整理してからお話します。ちょっと訳ありで11月中旬以降かな。
 ちなみに、座間の神社のことで確認したいので、あとで別スレッドに
 記載します。
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了解です ( No.[9]26 )
日時: 2009/10/19 23:09:44
名前: era  ID: CuNPHUqE

自分程度にわかることならどうぞ。

東北って飯豊って多いですよね。
なんでしょ?

明日自分も東北いってきますよ。エリア
違うんですけどね。
飯豊の意味 ( No.[9]27 )
日時: 2009/10/20 23:16:59
名前: 御津垣  ID: nY0GEUt2

こんばんは。
「飯豊」すべてについては分かりませんが、ざっと調べてみました。

分かったのは2つだけ。(諦めがはやい
東北に多い理由は、多分以下の(1)飯豊山を中心にした地域に
付けられているからではないでしょうか?
信仰の山ですし。

(1)飯豊山(イイデサン)
 「山容飯を豊かに盛るが如き」 ※典拠 wiki
 いつか登りたい山。飯豊山神社にも参拝したい。
 しかし、6時間強x2日行程は厳しい。

(2)飯豊森(イデモリ)
 長いので、以下をご参照のほど
 ttp://www.ihatov.cc/mount/04.html
飯豊の意味 ( No.[9]28 )
日時: 2009/10/21 00:21:58
名前: 赤城おろし  ID: SFDDaTgQ

>御津垣さん

 序でと言っては何ですが…
 「和氣」が多い理由はご存知ですか? もし良かったら御教示下さいませ。前々から気になっていたんですが(「だったら自分で調べろ」ってか? 笑)。
 何だか御津垣さんってコッチの方面に強そうだから…。
『和氣』の意味について ( No.[9]29 )
日時: 2009/10/21 01:46:03
名前: 御津垣  ID: HINu/ghU
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/10/06 17:46:57

webからの参照だけだと、レポートは「×」ですが。
まあ、いいでしょう。眠いし、ご勘弁のほど。
なんで「×」か? だって、書かれている根拠が不明確でしょう。


(1)尊称
こちらのがすっきりします。
--------------------------------------------------------------------------
「別」は本来「地方を分け治める者」の意で5・6世紀の皇族名に
多くついているが、男子の敬称である。のち、皇別系の姓となる。
天武天皇十三年十月に制定された「八色の姓」には入れられていない
古い時代の姓である。
--------------------------------------------------------------------------
参考
 ttp://www.zb.em-net.ne.jp/~kiokunomori/html/mukashi/shinnmei/shinnmei.html
  ↓
  ↓
「和気」「別」「わけ」とは、神の尊称かな。



(2)アイヌ語
全国にあるすべてには、対応できないでしょう。
「誉田別命」とか、上述なら説明はできますが、アイヌ語ではないでしょう。
そんな訳で以下のものは限定されます。

岩手の式内社 志賀理和気神社を例に、アイヌ語で社名を解析できないか
そんな試みをしているサイトがありました。
--------------------------------------------------------------------------
wakka=水、の訛なのか、それとも、アイヌ語で河川を表す
pet ペツ(しばしばベツとも聞かれる)だったのを「別」と表記した事があって、
それが原義が忘れられるにつれ、「わけ」と読まれるようになってしまったもの
でしょうか。

「しかり」は「回流」の意味ですが、「逆流」ではなく、蛇行している様子を
意味していると思われます。それは、三日月湖を多数作った「石狩川」が
「i-sikar」(大きな回流)と理解できるからです。

以上から、シカリベツは「回流する川」の原義だったのではないでしょうか。
北上川に近接しているこの神社の名前にしては、良く適合するように思われます。
--------------------------------------------------------------------------
参考:
ttp://www.dai3gen.net/kitakami.htm

御津垣さん ( No.[9]30 )
日時: 2009/10/21 23:01:19
名前: era  ID: bwcaUoas

飯豊の意味なるほどです。
登るのシンドイですよね。

東北情報
鶴岡市井岡の遠賀神社と由豆佐賣神
社は御朱印ありです。

別件了解です。半分死んでいるんで
明日にでもです。
由豆佐賣神社 ( No.[9]31 )
日時: 2009/10/21 23:37:53
名前: 御津垣  ID: 1jwAoHZQ
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/24 14:21:50

>eraさん

お疲れ様です。
よく、由豆佐賣神社の御朱印頂けましたね。
たしか禰宜さんは「たみや旅館」の社長でしたよね?
以前、お願いしたときは、ダメでしたのに。。。
リトライしてみます。

情報有難うございます。

でも、最大の敗因は、例祭の日だったことかな?
偶然ですけど。(去年です。)
1256135873-s1.jpeg 1256135873-s2.jpeg
鳥海山大物忌神社 蕨岡口之宮 ( No.[9]32 )
日時: 2009/10/22 23:05:16
名前: 御津垣  ID: Ivtfmlck

由豆佐賣神社の例祭に偶然伺った理由は、
鳥海山大物忌神社 蕨岡口の宮の御朱印を頂きたく
前々日から、山形県内を回っていたからです。

由豆佐賣神社は、ちょっと残念でしたが、
eraさんの情報をもとに、来年伺ってみようと思います。
ちなみに、由豆佐賣神社は温海温泉の熊野神社も論社みたいですね。
(ただ、その可能性は薄いようですが。本務神社です。旧県社)


ついでなので、鳥海山大物忌神社 蕨岡口の宮の写真を掲載。

写真
 左:一の鳥居
   ※車道で参道が切れてしまっているので、気づかない方も多いかも?

 中:旧社殿跡地への階段
   ※参道から見えますので、分かりますね?

 右:旧社殿跡地に碑
   ※階段を登りきり、右手にちょっと行った広い場所の奥にある。
    時期により草があるので、分かり辛いかも?
    また、植林がなされており、いずれは元々そうであったように
    鳥海山を遥拝(遥拝所ですから)する、ということ
    もできなくなるでしょう。


そういえば、井岡の遠賀神社も同じ日に伺って忙しすぎて
対応してもらえなかったんです。
こちらも、同じ日が例祭。
山形は5月初旬(田植え前)に例祭が多いので注意です。
ただ、祭り目的なら楽しいかも?
1256220316-s1.jpeg 1256220316-s2.jpeg 1256220316-s3.jpeg
さすが ( No.[9]33 )
日時: 2009/10/22 23:11:29
名前: era  ID: 8te4AP1k

よくご存知で!例祭か仕事の関係で
御朱印駄目だと思いましたよ。
すごく親切にしてくれましたよ。

大川周明の直筆の手紙や折口信夫
直筆の祝詞とかも見せてもらいました
よ。ほとんど一目ぼれで参拝した神社
で素敵でした。

ぜいぜひ再訪してくださいまし。

小物忌とか御朱印あるんですか?
ここは論社含めて参拝したいです。
小物忌神社 ( No.[9]34 )
日時: 2009/10/22 23:40:59
名前: 御津垣  ID: VbhWYckk
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/23 19:35:01

山形県内は、国史見在社の利神 大和神社(又は水晶山神社)以外は、
一通り事前確認はしてあり、いつ決行しようかという状態です。
とはいえ、上杉神社にも再訪したいが、しかし今は人が多い。
行ってストレスになるより、時期をずらして伺おうとか考えてしまい
及び腰になっている次第です。
(大河ドラマ終わって半年後くらいかな〜。それまでは近寄らないつもり)


さて、小物忌神社の御朱印については、5つ論社がありますが、
 「飛島小物忌神社」(伺ってない)
 「椙尾神社」(時間が合わなかった。会えなかった。
以外の情報を掲載します。
ただ、両社ともに、本務で旧県社だしあると思うのだが。。。

・三之宮小物忌神社 あり
  ただ、宮司様は会社勤めの方なので、よっぽど時間が合わないと
  書置きのものになると思います。要事前連絡です。

・飛澤神社 なし

・劔龍神社 なし


上記は、昨年に、直接伺った内容になります。

1256222459-s1.jpeg
濃すぎる ( No.[9]35 )
日時: 2009/10/23 22:46:59
名前: era  ID: Yli6F6sg

御津垣さんの情報濃すぎます。
小物忌挑戦しますよ。飛鳥の方は
自分で調べてみます。。。行けるの
かなぁ?

蕨岡口の宮の旧社地の参道素晴らし
いです。これは初めてみました。

え〜論社の熊野神社は県社だったん
ですか。そんなに社格高いの驚きで
すね。いまは論社にカウントしない人
多いですよね。古い本では、この熊野
なんて書く人もいた記憶が・・・

御津垣さんは何社くらいの式内参拝
しているのですか?
月山神社御朱印 ( No.[9]36 )
日時: 2009/10/24 15:56:49
名前: 御津垣  ID: HINu/ghU
編集: 【回数】 3回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/10/06 17:53:04

いやいや、まだまだです。
関係氏族の系譜・盛衰・移動ルート・勢力範囲・と、風土(言葉・民話・逸話)、
産土との関係なんかも把握していたら格好いいんですけどね。
それも科学的(遺伝子とか)な根拠も含められたら最高。
まあ、そんなとこに行き着くのは時間的にも金銭的にも無理ですが。

それと、すいませんが参拝数はちょっと調べられないです。
ちなみに伺ってみたいとことは、まだ増え続けると思いますが、
現在は残り4626社です。ただ、重複はあると思います。


さて、ここは東北スレなので、珍しい御朱印を一つ

通常は、2ページ使う有名な神社ですが、御朱印帳ではなく
掛軸に分けて頂く時は、ちょっと違うものになります。

自分は、使っていたのが戦前の御朱印帳で、
大きいのが合わなかったので。
1256367409-s1.jpeg 1256367409-s2.jpeg
酢川温泉神社 三宮一社 ( No.[9]37 )
日時: 2009/10/25 00:42:41
名前: 御津垣  ID: NJQFUtLk
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/25 09:23:47

こんばんは。御津垣です。
今回は、出羽国の国史見在社から「酢川温泉神」を掲載します。

酢川温泉神「酢川温泉神社」は、山形の蔵王温泉に鎮座しております。
往古からそうであったかは分かりませんが、明治までは三宮一社の形態を
とっておりました。

「本社」のあった西蔵王瀧山は、信仰上重要な位置にあったようです。
蔵王温泉から見て、山向こうには三百坊があり、山形市街のものと同様な
石造鳥居があります。
山形市街のものも、瀧山信仰のものですし、勢力的に大変大きなもので
あったと推測できます。

ちなみに、現在は酢川温泉神社の奥宮としての瀧山神社がこじんまりと鎮座する
だけですが、奥宮のお祭りでは、
 ・蔵王温泉側(酢川温泉神社)
 ・三百坊側(口の宮→桜田に遷座。地名忘れた。。。)
 ・桜田(三百坊より遷座した口の宮が鎮座)
の、三つに地域が参加されているようです。

なお、「離宮」は熊野神社→蔵王山神社となり、現在は別の運営となっている。


(1)口の宮
   酢川温泉神社
    本務神社
    御朱印あり ※旅館山形屋にて授与

(2)本宮
   瀧山神社(酢川温泉神社奥宮)
    酢川温泉神社兼務
    御朱印なし

(3)離宮
   蔵王山神社
    太子神社兼務
    御朱印なし
     ※御札やお守りは、リフトの乗り場で授与できる。
      たしか中央の山頂駅だったと思う。


写真
左:酢川温泉神社
中:瀧山神社
右:蔵王山神社


記憶を頼って記載しておりますので、
間違いあればご指摘頂ければ幸いです。

1256398961-s1.jpeg 1256398961-s2.jpeg 1256398961-s3.jpeg
結論 ( No.[9]38 )
日時: 2009/10/25 19:55:10
名前: era  ID: Tv71Dm2w

御津垣さんじたいが濃すぎました。
自分の四倍弱の参拝と、その志の
高さに倒れそうになりました。
自分は式内と考古学の調整くらいしか
思いつかないですね。反省です。

月山・・・羨ましい。凄く特殊ですね。
自分は参拝できなかったんですよ。
行った日の二日前に月山に通じる道
閉じたたそうです。

ところで国史現在社の比定地・論社
って、どのように調べています?
酢川温泉神が現存なんて知りません
でしたよ。
国史見在社ですか? ( No.[9]39 )
日時: 2009/10/25 21:26:21
名前: 御津垣  ID: gT7LoIZ.
編集: 【回数】 5回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/11/24 21:55:54

十分、御自分もいけてると思いますが?
「河輪神社」くだんでは、私はさっぱりでしたのでしたので。
単純に関心の方向性がそちらに向いてないだけだと思いますよ?
お互いにね。

ちなみに自分の調査基本は、先達のものの流用です。
後進は、だから楽なのです。

この世界のベーシックは、「玄松子」さんのところでしょうか?
もちろん間違っている箇所もそれなりにあります。
(メールしても、反応ないのですよね。忙しいのでしょうか。。。
掲示板はそれなりなのですが、人の間違いは誰もが見られる
掲示板には書きたくないですね。

だから、参考にさせて頂くだけ頂いて、自分で裏づけを!
具体的には、神社誌や、その地方の風土記などで裏づけをとればいいと思います。
インターネットも、思わぬ情報が転がっていたりしますが、
情報発信が自由な分、その正確性には疑いをもって対応した方がいいですね。
大学のレポートが、根拠が全てインターネットだと「×」になる理由です。
(自分も、ちょっと不安のところは、「?」ありますのでご注意です。

ちなみに、酢川温泉神社も同じ手順です。
インターネット→神社誌→風土記事→直接電話→現地


特にというより当たり前ですが、現地は重要です。
山頂に行かないと分からなかった(疑問に思わなかった)こともあったりします。
最近の例では、駒形神社奥宮。
「なんで、2番目に高い山なの?」そんな単純な疑問が生まれる。
経塚山が大日嶽と呼ばれ元々の旧社地であることも、この疑問があるからこそ
得られた回答であったりします。根拠の資料も入手できましたし。
後からよく見たらインターネットでは、「栗駒山」と間違った記載となってますね。

あとは、先達の情報を流用するだけではなく、
展開してあげればみんな幸せというところでしょうか?


そうそう、上総は面倒なので、神社庁に調べてもらったんですね



以上 僭越ながら回答でした。



※訂正 
神楽さん 自分の問題事項で申し訳ありません。
事実と反する事項でありますので、原文はそのままに
訂正を追記させて頂きたいと思います。
どうぞご容赦願います。

玄松子さんが、この記事をご覧になったようです。
「反応がない」という部分ですが、自分側に問題(6番です)がありました。
なお、玄松子さんの趣旨についても、以下に記載しておきます。
以下を守る限り、ほぼ回答を頂けると思います。
ちなみに一部 文章を主旨が変えない程度に表現を変えさせて頂いております。
原文はもっと柔らかいですよ。
また、自分のコメント部分も☆部分に記載します。

-----------------------------------------------------------------
メールへの返信をしない場合。
1.相互リンクしてください
 リンクは意図して相互にするものではない。
 先方がどんなサイトかわからないのにリンクはできない。
 興味を持てないサイトにリンクはできない。

2.いつも見ています・・・
 とても有難いメールで感謝しながら読んでますが、
 どんな返事を書いてよいのか迷っているうちに
 忘れてしまいます。すみません。

3.私はXXX神社に行きました・・・
 羨ましいので返事は書きません。

4.XXX神社を載せてください・・・
 僕が参拝した神社しか掲載できません。
 参拝していたとしても掲載するかどうか気分次第。
 載せる時は載せますが、載せない時は載せませんから、
 返事のしようがありません。

5.何が言いたいのか、何が書いてあるのかわからないメール。
 放置です。

 ☆自分もそうですが、相手に真っ直ぐ伝わる文章を心がけましょう。
  単語や、語尾の使い方しだいで嫌味にも見えます。
  ただ、万人に通じる文章ってあるのか?とも思います。
  実際のところ自分には分かりません。
  自分では注意しているつもりでも、
  それでも「Homines id quod volunt credunt.」はどうしてもあります。


6.いきなり添付ファイルがあるメール。
 削除です。

 ☆許可を頂いてからお送りしましょう。
  考えてみれば、このご時勢です。
  単なるテキストメールでも、見ず知らずの人からでは
  安易に受け入れられないことを考えるべきでした。


7.画像を使わせてください・・・
 一般の方から来た場合は、必ず返事をしています(と思います)。
  学校の授業などでの活用は、まったく問題無いからです。
う〜ん ( No.[9]40 )
日時: 2009/10/26 23:24:56
名前: era  ID: A9U5XU56

御津垣さんと、そんなに調査方法違わ
ないんですけどね。最初のネットで躓
いていますね。式内は所在地が掲載
しているサイト複数あるんですが式外
は、検索しても出てこないことが多い
んで諦めてしまうのが失敗ですね。

玄松子さんがスタンダードでしょうね。
数も多いんでミスもあるんでしょうね。
あとは神楽さんや他の地域を絞った
サイトがありがたいんですよね。
東北や岐阜あたりに特化したサイト
あるとアリガタイんですが、ないんで
すよね。

結局は現地!これですね。旧社地
や古い地形をトータルですよね。
あとは神職さんや氏子さんの話に
つきますね。
いやいや勉強になりますよ。感謝。
矢向神社 ( No.[9]41 )
日時: 2009/10/26 23:31:48
名前: 御津垣  ID: 0B63VJmY
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/26 23:34:12

こんばんは。御津垣です。
今回は、出羽国の国史見在社から「矢向神」を掲載します。

矢向神「矢向神社」は、山形の新庄合海に鎮座しております。
八向楯の中腹?いや崖ですよ。そこは
そんなところにどうやって行くの?
ロープとか使う山も(雪山も)やりませんよ僕は

なんて。正解は、船で川岸につけてから参道を登ります。
でも、一般の人の参拝は対岸からですよね〜。ちょっと残念です。
最上川下りこのあたりやってないのかな?

それと、まだこの頃は一眼レフなかったので、後で取り直しに行こうっと。


ちなみに御朱印は聞いてません。いや聞こうと思ったのだが、うーん
多分ないとは思います。
1256567508-s1.jpeg 1256567508-s2.jpeg 1256567508-s3.jpeg
出羽国 国史見在社 ( No.[9]42 )
日時: 2009/10/28 00:12:56
名前: 御津垣  ID: B3Ju07dU
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/08/20 00:11:53

eraさん


確かに。東北に特化しているサイトは確かに見当たりませんね。
まあ、いいじゃないですか?
自分で探し当てる楽しみ方もできるというものです。
いうなれば、パイオニアですよ。

そうそう、水戸の吉田神社で、常陸風土記の「くれふし山の蛇の社」とはどこか?
ということで、長時間お邪魔して神社誌をあさっていたことがありました。
その時に「まるで、宝探しだね」と言われましたけど、
そんなものではないでしょうか。楽しんでいきましょう!
(「くれふし山」は朝房山と言われているけど、「社」は分からない


では、出羽国の国史見在社を分かっている範囲で掲載します。

「熊通男神」と「石通男神」は、難解ですね。今のところ見つからないです。
それと、奥宮まで考えるなら、葉山と朝日連峰が絡んできます。
大変だ〜

【三代実録記載社】
真蒜神    真昼山三輪神社
城輪神    城輪神社
高泉神(論社) 古四王神社
高泉神(論社) 高泉神社
白磐神    白磐神社
須波神    霊山朝日嶽神社
利神     大和神社(水晶山神社)
酢川温泉神  酢川温泉神社
矢向神    矢向神社

小掠賣   小掠賣神社


以上です。
ありがとうございます ( No.[9]43 )
日時: 2009/10/29 21:22:25
名前: era  ID: v2cEdLrs

御津垣さんの言うとおりですね。
予備知識を少なくても楽しめるの間違
いなしですね。昨日は賀蘇神社の宮司
さんと長話したんですが楽しいもんで
すよね。

いやぁ式外社リストありがとうございま
す。出羽は、あと二回いけば一通り
参拝すんで調べ事してから再訪と思っ
たんですが。。。甘かったです。
こりゃ気合いれて行かないとなぁ。

くれふし山の蛇の宮は、あてはつきまし
たか?祠もないんですかね?
有賀神社の宮司さんには会えてない
んですよ。また行かなきゃ!
マンマ・ミーア! ( No.[9]44 )
日時: 2009/10/31 08:31:49
名前: 御津垣  ID: kvfyA91g
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/11/03 21:27:40

なんてこったい。
御朱印の日付が算用数字になってるよ〜
天神浜の水上バイク事故で、見返したら。。。
今まで知らんかった。

また、猪苗代湖まで行かなくちゃ。。。
小平潟天満宮。。。油断できん。


算用数字とか、マジックは勘弁してください。
1256945509-s1.jpeg
乙です ( No.[9]45 )
日時: 2009/11/02 23:02:14
名前: era  ID: KhfjocNI

自分も伊賀の某式内で同じ状態に
なりましたよ。

御津垣さんクラスなら猪苗代湖楽勝
ですよね・・・普通ならアホなんて言わ
れそうですが。

自分は明日今年ラスト?の東北式内
行脚してきますよ。
マンマ・ミーア! ( No.[9]46 )
日時: 2009/11/03 21:59:43
名前: 赤城おろし  ID: ysLQ5JnI
編集: 【回数】 3回   【名前】 赤城おろし  【最終日時】 2009/11/05 07:46:15

> 算用数字とか、マジックは勘弁してください。

 あいや〜!
 何と、その算用数字以外は全部スタンプじゃないっすか? 手抜きやな〜

今日は…
三瓶神社〜吉田神社(大橋)〜式内 藤内神社〜式内 青山神社〜朝房山〜奥ノ宮神社〜稲田姫 奥の院(=稲田神社 奥宮)〜式内 稲田神社〜磯蔵酒造〜雨引千勝神社〜千勝神社(下妻市坂井)〜千勝神社(下妻市古沢明神)〜血方神社(小山市田間)
に行ってきました。
画像1枚目:三つの瓶
画像2枚目:朝房山 山頂
画像3枚目:稲田姫 奥の院 好井
1257253183-1.jpeg 1257253183-2.jpeg 1257253183-3.jpeg
マンマ・ミーア! ( No.[9]47 )
日時: 2009/11/04 23:03:34
名前: 御津垣  ID: lFucFiZo

>赤城おろしさん

>あいや〜!
>何と、その算用数字以外は全部スタンプじゃないっすか? 手抜きやな〜

 あははは。。。
 おっしゃるとおりです。

 おっ、三瓶神社、朝房山に行かれたのですね。
 どんな感じですか?
 自分も伺いたいところですが、今月はちょっと無理かな〜。
 稲田神社の宮司様お元気でしたか?

 ちなみに、そっちも興味あるけど、
 「磯蔵酒造(?)」「血方神社(こわそうな )」も、とっても気になります。


>eraさん
 ラスト(?)の東北は如何でしたでしょうか?
 岩手 奥州市では、雪が降ったとのことですが、問題ありませんでしたか?

 そうそう、水沢の駒形神社の権禰宜さんから、奥宮への新参道が開通したと
 昨日(11/3)に連絡がありました。よかったよかった。

 電話を受けた時、自分は高家神社から帰るところでした。
 房総・常陸・下野の写真取り直し中。。。
 まだまだ沢山。。。
 でも玉前神社は、来年まで社殿修繕中。。。
こんばんわ ( No.[9]48 )
日時: 2009/11/05 22:40:09
名前: era  ID: Hqv93yaA

御津垣さんはヘビーに参拝していま
すね。玉前の情報感謝です。ここは
写真撮ってないんで近いうちに参拝
しようと思ったんですが止めます。

駒形根神社・荒雄川神社をメインに
参拝してきました。荒雄川神社は
たっぷり話聞けたんで満足しました。
車中泊したときの外は氷点下だったり
高速降りる直前で50mほぼ前の車が
スピンしてクラッシュしたり・・・
でも東北が楽しいですね。

駒形神社かぁ・・・行きたい!でも遠い
ですよね。
鳥海山大物忌神社(蕨岡)境内図 ( No.[9]49 )
日時: 2009/11/09 07:58:15
名前: 御津垣  ID: p3xMKVIY

>eraさん
以前お話の旧社地への参道ですが、境内図がありましたので
掲載しておきます。

○で括っている場所が、現在の本殿の位置です。
かつて高台にあった御社殿を分解して、人力で今の場所までおろして
組み立てなおしたようです。
確か、昔は遥拝所だったので、御社殿の裏が開く形状だったと思うのですが、
今の本殿にはその形状は見ることができませんね。


元ネタは、鳥海山大物忌神社発行の「鳥海山」(非売品)です。
一の鳥居まで書いてある図があればよかったのですが。。。

追伸
やはり、東北の道は怖い。
今月末に陸前高田に伺うことになったが
さてどうなることか?
ちなみに駒形根神社・荒雄川神社って御朱印とか
頂けましたか?
1257721095-s1.jpeg
マンマ・ミーア! ( No.[9]50 )
日時: 2009/11/09 23:21:11
名前: 赤城おろし  ID: QhPeV1PI
編集: 【回数】 9回   【名前】 赤城おろし  【最終日時】 2009/11/11 00:50:49

>御津垣さん
 亀レスです。すんません
> おっ、三瓶神社、朝房山に行かれたのですね。
> どんな感じですか?

 「どんな感じ」ですか?
 う〜ん、自分スピリチュアルな感覚が皆無な人なんで何とも言えませんが、一つ(どちらも)「爽やか〜」な感じのする所でした。
 三瓶神社。普段三つの瓶は「いつも三つとも口いっぱいに水を溜めている」そうですが、見た時は右側の瓶の水が減っていたようです。何か悪いコトが起きる前兆?
 朝房山。山全体は杉が植林されているよう。「クルマで行ける所まで行って、その先は徒歩で」と思っていた。途中、道を遮るかのように倒木があり「ここまでか〜」と思って、靴を履き替え、リュックを背負い、ストック片手で倒木を乗り越えて80m程行った左側に鳥居が…。「なんだよぉ〜、こんな重装備するんじゃなかった。」鳥居を潜るのが表参道なのかもしれないが、これは「道」と言うより流水路。鳥居の10mほど手前に上り道(四駆ジムニーなら登れるであろう)があるが、これが地図にも載っている西参道(?私が勝手に命名)である。頂上直前で合流する。祠のある所は小森になっているが山頂辺りだけが明るく開けていて、四阿もある。「神さまが舞い降りて来そう」な雰囲気は充分ある。
 大橋吉田神社。恐らく普段は人が訪れることも無い、少々荒れた感じのする神社。拝殿はともかく殿は一間社流造で彫り物も中々に立派な建物。

> 稲田神社の宮司様お元気でしたか?

 「名誉宮司」さんではなく、「宮司」さんですか? 宮司さんはお元気ですよ。名誉宮司さんは昨年(?)ホームに入居されたそうです。

> ちなみに、そっちも興味あるけど、
 「磯蔵酒造(?)」「血方神社(こわそうな )」も、とっても気になります。

   好井、三田(御田)伝説の場所”稲田姫奥の院”に行かれたなら覆い屋の中をご覧になったと思いますが、お供えしてあった御神酒「稲里(いなさと)」を醸造しているのが磯蔵酒造です。HPはこちらhttp
//www.isokura.jp/home.html
 「仕込み」とか「蔵出し」とか節目節目には稲田神社の宮司さんが来て祭事を執り行うそうです。
 私はアルコール添加が苦手なので買うのはいつも純米。今回は「稲里純米 土」と「稲里純米 月」の2本を購入しました。ホントは「土」だけ買って帰ろうと思って行ったのですが、店の若奥さん(?)に「『月』は一昨日発売されたばかりの新酒。山田錦を使った限定品ですよ」と言われ、「新しモン&限定品」に弱い私はマン
と若奥さんの策略に乗せられてしまったのでした(笑)。
 飲んだ感じ:良くも悪くも「関東の酒」。”甘酸辛苦渋”があり複雑で深みがあるが、越後・信州の酒にあるような「コク」に欠ける

 血方神社の由来
 少彦名命(スクナヒコナノミコト)を祭神、伊弉冊命(イザナギノミコト)[熊野神社祭神]を配神とする古い歴史を持つ神社である。
 少彦名命は血・医療の神として、血の神、下の病を治すとされ、女性の守護神として、それらが氏子をはじめ近郷近在の女性達の深い信仰を集めた。
 社名については、古くは[知賀多神社]が元の名であったが、後に、その信仰と結びつけて[血方]と書き表すようになったといわれている。 (「血方神社太太神楽」田間血方神社・神楽保存会発行パンフレットより抜粋)
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マンマ・ミーア! ( No.[9]51 )
日時: 2009/11/10 07:44:41
名前: 御津垣  ID: sgtNzlCI

>赤城おろしさん
 ご回答ありがとうございます。

>三瓶神社、朝房山
 自分もスピリチュアルな感覚はありませんが、
 「爽やか〜」はいいですね。ちょっと楽しみです。

>「なんだよぉ〜、こんな重装備するんじゃなかった。」
 あはは。お疲れ様でした。
 備えあれば憂いなしですよね。先達は苦労するのです。
 でも結果、装備がそれほど必要ないというのは後進には有難い情報です。
 (見習って、莫越山についても追記しておきます)


>「名誉宮司」さん?
 私は2度お世話になっただけですが、そこまで年配ではありませんでしたので
 「宮司」さんだと思います。
 ただ、名乗ってもいないので、記憶されてないと思いますけど。
 でも、お元気でなによりです。


>「磯蔵酒造」
 うーん。自分が伺ったときは「CC Lemon」のペットボトルが左右に
 供えられてました。たぶん中身は違うとは思いますが。。。
 若奥さんは、商売上手ですね。


>血方神社の由来
 なるほど。ご教授有難うございました。
遅くなりました ( No.[9]52 )
日時: 2009/11/11 20:27:30
名前: era  ID: Xetw4QTo

御津垣さん。返事遅くなりました。
駒形根神社・荒雄川神社ともに御朱印
ありますよ。ただ駒形根神社は、要連
絡です。宮司さんが体調を崩している
ので神社の実質的なことは息子さんが
取り仕切っているのですが、学校の先
生なので電話で時間調整が必要です。
あと式内の温泉神社も御朱印あります
よ。ここは連絡なしでもOkかも?

お〜鳥海山のネタ感謝です。来年参拝
予定なので参考にさせてもらいます。
非売品の本欲しいなぁ。

冬の東北は厳しいから気をつけてくだ
さいね。寒いですし道も怖い!
氷上山登拝その1 ( No.[9]53 )
日時: 2009/11/29 12:18:02
名前: 御津垣  ID: 2vMsXcjY

九州・関西の記事をほっぽりだしての報告です
11/27〜28で、陸前高田の氷上山に登拝してきました。
参加者は、
 氷上神社 宮司様
 水沢駒形神社 権禰宜様
 御津垣同僚
 御津垣
の4名。

目的は、氷上山中の式内3社の本社本殿(ご開帳)の参拝。
以前迷子になったときに助けて頂いた縁からなった、今回の登拝。
2ヶ月前からの計画になります。


神奈川出発は、前日深夜。
同僚を途中で拾い、一路東北道に。
同僚は、神社に特別関心がある訳ではなく、登山でのシェープアップが主目的。
(本当?山小屋でのBBQが目的では?
仙台出身で、雪道に慣れているのでいざというときの保険になるので
自分としては大助かり。

ちなみに計画にあたり、色々と用意してきたのだが、
2週前あたりから、大阪出張が発生。
戻ってきたのは、出発前夜。
急いで、2名分のパッキングをした。
(同僚は、登山の経験がないので、もろもろこちらで用意。)


さて、東北道は佐野SAで仮眠をし、運転を交代。
前回のSWと違い道は空いている。
順調に距離を稼いでいく。

駒形神社の権禰宜さんとは、一関のイオンで9時に待ち合わせ。
食材を購入して、氷上神社に向かうことにしていた。

一関には、7時ちょっと前に到着。
時間があるので、吉野家で朝食を摂り、その後イオンの駐車場で
時間まで仮眠することにした。
8:30頃 権禰宜さん到着。どうやら寝袋を忘れたようだ。
改めて、購入するとのこと。うーんやっぱりもう一つ持ってくるべきだったか。

9:00オープンなのだが、ぞくぞくと地元ナンバーの車が集結してくる。
「なんだ?」「年末ジャンボ?」「今日って大安?」「いや友引だよ」
てな会話をすることに。
どうやら、特売の広告(秋刀魚と玉子)がでていたので、そちらが目的のようだ。

ようやくオープン。肉、酒、ツマミ等を購入。
これで準備万端。権禰宜さんも寝袋を新たに購入したようだ。
出発前にトイレに行くことに。

トイレから駐車場に戻ると、なんか権禰宜さんの様子が。。。
なんでも急用がっできて泊まれなくなってしまったとか。
うーん残念 だけど、仕方ない。
ともかく登拝だけは一緒にし、一人下山することに。


運転を交代し、自分の先導で陸前高田 氷上神社に向かうことに。
途中 曇天から晴天に。うん。やっぱり空は青がいいです。


氷上神社到着は、12時ちょっと前。
待ち合わせ時間の1時間前に到着してしまった。
まあ、参拝と昼食及び準備で、時間も経つでしょう。
とりあえずは、参拝とご挨拶に伺う。
手土産は、「赤福」。

参拝後、食事を社務所内で摂らせて頂ける事になった。
宮司様や奥様のもてなしが凄い状態。かえって恐縮です


つづく
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氷上山登拝その2 ( No.[9]54 )
日時: 2009/11/29 12:23:14
名前: 御津垣  ID: DUBzxna2
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/11/29 20:27:53

さて、いよいよ時間にもなり氷上山に向かう。
自分たち神奈川組は宮司様の車に。
途中残念ながら下山される権禰宜さんは
ご自分の車で向かうことになった。

中央コースの中間地点に車を泊めて、登拝開始。
鳥居で一礼は当然。同僚は、三人を見てマネ
四人分の食材と、お酒。相当な量を運び上げます。
それでも、1時間弱で、小屋のある祈祷ヶ原に到着。
荷物を小屋に置いて、軽くして早速 中御殿・東御殿に向かいます。

いよいよ覆いを開けての本殿参拝。感動ものです。
檜の立派な御本殿でした。
早速 新たな気持ちで参拝。そして、4人で記念撮影。

つづいて、氷上山頂上の東御殿。
御本殿の形状自体は3社とも同じだが、そこに祭られている御祭神は
各々違う。故に個々に参拝する意味がある。
明日は、ここでご来光を拝むことにする。

※ちなみに、2週間前くらいに平凡社の取材で、
神奈川から参拝された方がいたとのこと。
「先こされて残念だね〜」との宮司様の弁でしたが、
あんまり残念という感はないのです。
余談ですが、3社の本殿ともに三重県出身の方のご寄進とか。
夢の中でのお告げがあり、ご寄進されたようです。
玉山金山の土地を購入された大層な資産家だったとか。

また、覆いも本当は開けて本殿を誰でも拝観できるように
したいと宮司様は仰っておりました。
自分としては、有難いお話ではありますが、色々なお社を見てきて
「千社札」「悪戯書き」等 残念な状態が多くあったので
現状としては反対です


さて、日も暮れてきたので急いで祈祷ヶ原に戻ります。
本来なら西御殿もこのまま伺うところでありますが、
権禰宜さんの下山時間を考え、今日は断念することに。
明日、権禰宜さんを除く3名で伺うことになった。
非常に残念ですが、権禰宜さんを祈祷ヶ原で見送ります

では、小屋で食事の用意です。
まずは、水汲みとマキの用意。この小屋は手入れが行き届いており
マキストーブはもとよりマキや、鉄板・網・鍋・容器等が常備されている。
自分たちで用意したものは、寄付することにした。

水汲みは、小屋近くの水場。頂上付近になぜこんなに!
というくらいの水がコンコンと湧き出ている。冷たく美味しいです。
鍋にこれでもかというくらい汲んでいく。(夜汲みに行くのは怖いから)
食材の調理前に乾杯。宮司様に乾杯の音頭をとって頂く。
途中 権禰宜さんから電話。無事下山したようだ。
(ちなみに車についた後、車道を走っている時に熊に遭遇したようだ。
不安になるだろうから、言わなかったらしい。)

大量の肉・野菜をストーブ上の網(アルミホイルを敷いて)で焼きます。
簡易蛍光灯を持ってきたので明かりも問題なし。
飲み始めは16:30前。非常に早い時間です。
ストーブを囲んで飲み食い。そして、宮司のお話が弾みます。
高校教師だった頃のお話や、部長で甲子園ベスト4まで行ったことなど。
最後の方は、こちらの民謡を披露。
うーん、自分も南部牛追唄くらい覚えておくかな〜
楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。

それでも、ご来光もあるので就寝することに。時間は23時。
翌起床は5:30予定。日の出は6:30



つづく
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氷上山登拝その3 ( No.[9]55 )
日時: 2009/11/29 12:26:41
名前: 御津垣  ID: DUBzxna2
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/11/29 20:31:38

2時頃、同僚が突然起きます。なんだろう?
(自分の寝袋 春夏仕様で寒く眠りが浅かったので簡単に起きれた。
ちなみに、同僚に渡したのは−24度まで耐えられる寝袋。嵩張るので
登山には不向きであるが今回は持参。)

どうやら、夜半から振り出した雨が、窓際から漏れてきて、
良かれと敷いたブルーシートを伝って腰から尻辺りを濡らしたようだ。
その後、ズボンを脱いで下着のまま寝たようだが、あとから聞いた話では
下着もずぶ濡れだったらしく、寒くて寝れなったようだ。
ともかく、朝になり状況が分かったので、急いでストーブにマキを入れて
もろもろ乾かすことにした。
しかし、ご来光を拝みにいく時間になってもダメそうなので、
宮司様の着替えを借りることにした。

いざ出発。風が寒い 。6時過ぎに頂上に到着。
日の出を待ちます。雲のせいで海からの日の出は期待できないようだ。
昨日見えた五葉山、焼石連峰も厚い雲に覆われてみることができない。
予定より遅れること10分ようやく太陽が姿を見せる。
参拝して、昨日伺えなかった西御殿に向かうことにした。
途中「まわり石」をまわってみることにしてみたが、ビビリが入り断念。
これ無理です。いやいや昨日の雨で滑るから安全を考えただけ

祈祷ヶ原経由で、西御殿に到着。
また覆いを開けて参拝させて頂くことに。
これにて、目的は全て達成。

昨夜のお話で、次回は、ツツジの咲く6〜7月頃、
宮司様の「その頃なら時間がつくれるかも」とのお話もあり、
再度氷上山か、宮司様ご希望の早池峰山に伺うことを
計画したい。



つづく
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氷上山登拝その4(完結) ( No.[9]56 )
日時: 2009/11/29 12:32:12
名前: 御津垣  ID: JGcRK27k
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/11/30 23:53:06

西御殿参拝後、小屋に戻り朝食と片付け。
そして1時間ほど仮眠をとることになったが、
自分は眠くないので(熊が怖いので)近くで写真撮影することにした。

その間に登山者が、3人ほど小屋を訪ねてきた。
煙突からの煙がやはり気になるようだ。

1時間後、本格的に片付けと荷物をまとめて下山することに。
朝食時の会話から、下山後「霊泉 玉の湯」温泉に浸かってから、
氷上神社に戻ることになっていた。

玉の湯。登山道の中間地点を走る林道を竹駒側に走ったところにある。
ちょっと熱めのお湯。残念ながらかけ流しではないようだ。
温泉に浸かり疲れを取り、ついでにアイスを食べる。
宮司様の奢りです。ゴチでした。

さて、いよいよ氷上神社駐車場にもどる。
写真は後日郵送することと、また来年時期がきたらご連絡すること。
もろもろお礼をのべて退去することに。
場所がら寒くなりますし、正月の準備でお忙しいと思いますので
くれぐれも、お体に御労りください。

この後は神奈川に戻ることになるが、
特に予定もないので水沢の駒形神社に参拝してから帰ることにした。
宮司代務者様はいらっしゃらなかったが、禰宜さんらがいらっしゃた。
今年最後の東北。よくよくご挨拶して退去した。
よいお年をお迎え下さい。
次回伺うのは、きっと奥宮造営の頃でしょう。


ちなみに、権禰宜さんにもご連絡。
今回は残念でしたが、次回もまたお誘いしますよ



では。
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お疲れ様です ( No.[9]57 )
日時: 2009/12/02 09:52:52
名前: 神楽  ID: XE5sdE3Y

詳細なレポありがとうございました。

読んでいて、山っていいなーって思いましたよ。
やはり自然っていいですよねぇ。
それに宮司さんたちとなんて、普通ありませんし。

私も山を始めてみようかなって。
まずは低いところから。
金鑚でヒーヒー言っているレベルですけど
お疲れ様です ( No.[9]58 )
日時: 2009/12/04 23:06:20
名前: 御津垣  ID: QdDZiPd2

はい♪山はいいですよ〜
雪山とか、ロッククラインミングとかは特殊ですけど。

冬場からいきなり登りはじめると、筋を痛めそうなので
当分は、平地でのウオーキングがよろしいかと。
春から栃木・茨城・秩父の軽めの山で慣らされるのが
いいと思います。山頂に神社もあるところですかね

さて、今回のことですが、本当に「縁」としか言えません。
自分が山中に迷子にならなければ、このようなことは
実現できませんでしたし、何がきっかけになるかなんてことは
分からないものです。
駒形神社の権禰宜さんとは、戦前の御朱印帳がきっかけですし。
もちろん、その後 登拝祭や例祭等で伺ってますが。

普段は、参拝・写真撮影・御朱印&由緒書授与との一連の流れで
立ち去る神社がほとんどです。
ですが、その一瞬でも、礼儀を忘れずに「一期一会」の心をもって
今後も巡拝したいと、今回のことでより強く思いました。
(慇懃無礼にならないように、謙虚な心で > はい 。)


さて、しばらく東北の旅はお休みです。
また来年です





さー、業務多忙でさぼっている記事書きますか〜
高泉神社 ( No.[9]59 )
日時: 2009/12/12 10:20:13
名前: 御津垣  ID: 2N45qF3I
編集: 【回数】 12回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2016/01/23 16:28:12

高泉神社
【御祭神】水速女命、大己貴命、少彦名命、建御名方命
【祭祀】 例祭 5月4日(旧4月29日)
【鎮座地】酒田市大字北沢字空沢32
【旧社格】村社
【駐車場】なし
【御朱印】なし


−由緒(山形県神社誌より)−
 三代実録に清和天皇の貞観七年二月二十七日、出羽國従五位下高泉神とある。
 丈余の清滝空沢山半腹の厳壁に懸り壮観を呈する。
 古来より之を以って神座とし、不動明王を安置し、旧幕府時代には高泉参りと称して、
 白衣の道者が絶えることがない繁盛を極め明治初年まで続いた。
 維新後更に、水速女命を祭り高泉神社と公称し、明治九年二月二十四日村社に列する。
 同十二年旧址に拝殿を再興。
 往昔は社領等有ったが天正年間幕府に没収せられ、今に旧社領地跡として
 大夫田の名称を残す。
 又、明治九年二月二十四日、蔵王権現として栄えた御嶽神社も村社に列せられ、
 大正二年十一月十七日、高泉神社に合祀し、旧御嶽神社境内を飛地境内とする。
 大正六年、本殿を建立、大正八年五月十一日神饌幣帛料供進神社に指定せられる。
 昭和三十二年社殿屋根を銅板葺に改修する。



それは国立国会図書館で、出羽國の不明の国史見在社調査の為、
「山形県神社誌」を調べていたときのことであった。
なんとなくめくっていた酒田・飽海の項で、『高泉』の文字が目に留まる。
酒田の高泉神社の由緒(上記)には、高泉神は当社であるとあるではないか。

三代実録にある高泉神といえば、秋田市の旧国幣小社 古四王神社。
これは江戸後期の国学者・紀行家・民俗学者である菅江真澄が残した
「真澄遊覧記」鳥梅の花湯の項の中にそのような記述があるからである。
寺内に縁があり、古四王神社宮司とも親交があった真澄が、口伝を書き綴った
ものと思われるが、その根拠は明らかではないようである。※


単純な自分は、温海温泉の熊野神社と同じように実際に訪ねて、
もっと詳しい由緒があれば分けてもらおうと考えた次第。

時は7月中旬。毎年の鳥海山参り(毎年雨付きT_T)に合わせて
訪れることとした。
神社への道は比較的分かり易い。国道345を北上し、344と合流する前の
「酒田地区広域行政組合リサイクルセンター」を目当てに右折すればよい。
少し戻る感じにはなるが、川上に向かえば左手に「高泉神社」が鎮座している。

泉とあるだけあって、社頭には湧水がこんこんと溢れていた。
鳥居の写真を撮っている間にも、農作業の前に喉を潤していくのか
軽トラックが数台やってきてはさっと行ってしまう。

社号標には、かつて書いてあったであろう社格の上部に、
控えめにではあるがはっきりと『国史現在』とある。
境内は緑にかこまれ、そこにほどよく日が差し込んで気持ちがよい。
蚊がいなければもうちょっと佇んでいたいくらいだ。

参拝と写真撮影を終えて、社頭に戻ってくると、また別の軽トラックがきて
喉を潤していく。自分もご相伴に与ろうと後ろに並ぶ。
ちょっと世間話程度に宮司様の御自宅や、神社の由緒などをお伺いしてみる。
どうやら役員クラスの方だったようで、いろいろと教えて頂けた。

上記由緒にある不動明王を祀ってある場所が、元宮でいまは車道もあり簡単に
いけるので行ってみたらどうだというではないか。
それではと御礼を述べて立ち去ることとした。
あっ、これから鳥海山登るから水汲んでおこう。

ちなみに御嶽神社は、社頭前の山腹のようであるが、
この季節は足を踏み入れるには如何な状態であった。


元宮は、比較的簡単にたどり着けることができた。
ただ、これを見て訪れる方は、空沢からはしばらく道が狭いので、
344との合流地点から八森自然公園の裏に回る方法を薦める。
片側1車線の走りやすい道ができている。

さて、この元宮であるが、嘗ては林道があり、
水が出ている箇所に祀ったのであろうが、現在では広い道路脇にポツンとある
感じである。

石造りの社の裏に回ると不動明王の像が水に打たれて祀ってある。
では参拝と、社殿の扉を開ける。開けた瞬間、扉の裏側や内部には蠢くものが。。。
これは!!カ○ド○マである。
おいおい。勘弁してください。一匹ならともかく、これはないでしょう?
内部に入る勇気はありません。外から御参りします。
そして、早々に退散!ああ、ちょっと心臓に悪いです。
(え〜、中の写真は載せません)

このようなことで高泉神社の参拝は終了した。
ちなみに宮司様にも、お話を伺おうと思っていたが、参拝後はまだ8:30前。
境内にある御自宅ならともかくまだ早い。
それにこっちも登山の準備もあるしので、滝の小屋登山口に到着してから電話をした。

宮司様のお話では、元宮ではなく本宮と仰っていた(以下本宮とします)。
また、残念ながら、分けられる由緒書きや、御朱印はないとのことであった。
ご対応頂き有難うございました。

※古四王神社と同じ寺内地区には、高泉神の論社「空素沼神社」がある。
 こちらと誤認した可能性も捨てきれない。


写真
 ・社頭
 ・本宮     
 ・不動明王像
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「鳥海山大物忌神社本社 古社地を訪ねて」補完 ( No.[9]60 )
日時: 2009/12/12 13:03:15
名前: 御津垣  ID: EMLCA0Nw
編集: 【回数】 9回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/09/04 22:20:03


・荒神ヶ岳本社の焼失

享和元年三月上旬の記録

『鳥海山煙気之控』
三月上旬(新暦では四月上旬)、山上に登りて見るに、
瑠璃の壺あたりより焼け始め、荒神ヶ岳本社付近は大谷となり、本社は見えず。

『鳥海町史』
雪中登山して鳥海山の噴火を見る。
荒神ヶ岳御堂は焼け崩れ、長床は三棟とも破損し、
本社御堂は影もなくなっている。噴煙が所々に見える。



・新山と現本社地の形成

享和元年七月中旬の記録

『文化大地震附鳥海山噴火由来』石辻阿部政吉筆記
十日ばかり過ぎて、少し煙が薄らいだ。
山頂を見たところ、いつしか七高山と荒神岳の間に厳々たる大山が湧き出ていた。
その後、月を追って焼も薄くなった。
文化八年(1811)、山頂新岳附近の地を平均して本社(神社)を建てた。
その後少し煙気もあったが、文化九、十年までに、噴火活動は終わった。




参考資料『鳥海山 −自然・歴史・文化−』 発行 鳥海山大物忌神社

写真
 ・古社地 石祠
 ・古社地 大黒様
 ・新旧本社位置関係(外輪山から) 赤丸部分が古社地
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膽澤川神社 旧跡を探る1 ( No.[9]61 )
日時: 2009/12/12 13:55:36
名前: 御津垣  ID: DPa.wFrs
編集: 【回数】 12回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/12/20 15:09:40

膽澤川神社の石碑

若柳元山田 茂井羅堰の分流付近にある。※地図を参照
------------------------
 延喜式神名帳陸奥百座内
 膽澤川神社 
 別当
 横枕屋舗孫左右衛門
 奉寄進之
------------------------
この石碑は、1947年に明神川原で発見され、
現在の地に移し建てられたものである。


膽澤川神社は、大同2年(807)坂上田村麻呂の勧請と伝えられる。
主祭神は、「沢女命と水速女命」の2柱である。
『胆沢風土聞誌』(1773)によると「膽澤川神社は祭神水速女命」。
『胆沢郡誌』(1974)では、「祭神沢女神と水速女神」とある。


もとは、胆沢川上流にあったが、社地が欠け崩れ落ちて
「字横枕に遷座」されたという。

『風土記御用書出』(1777)には「横枕明神社跡」と記され、
社屋は洪水によって流失し大祭のみが執行されていたらしい。
この時点で石碑が埋もれてしまっていたかは不明であるが、
横枕に膽澤川神社に疑定されるものが
存在していたことは確かなようである。


明治初年代に、土橋に於呂閇志神社遥拝所が建てられると、その隣に社屋を再建。
明治40年に合祀されて於呂閇志膽澤川神社として現在に至っている。


※横枕屋敷は、現在の「字上田中」にあたる。
 寛永(1624〜1645)以来の家系の集落である。


参考「旧跡をたどる胆沢の歴史散歩」
   「胆沢町史」
   「『安永風土記』記載百姓屋敷調べ : 220年前の散居の復元」
1260593736-1.jpeg 1260593736-s2.jpeg 1260593736-s3.jpeg
膽澤川神社 旧跡を探る2 ( No.[9]62 )
日時: 2009/12/29 16:04:26
名前: 御津垣  ID: 1aW0/1QI
編集: 【回数】 12回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/12/23 15:00:22

『胆沢郡誌』(1974)によれば膽澤川神社の本社は、
胆沢川水源地 小字体丸 焼石沼付近であるという。

膽澤川神社縁起の坂上田村麻呂勧請の項は、
胆沢城の田村麻呂が、出羽の雄勝城の支援の為、
胆沢川の上流を通ったという伝承からきている。

坂上田村麻呂が整備・使用したこの道は、仙北街道という。
岩手県奥州市水沢を起点に、秋田に至る街道である。
ただ、今日では車道の発達により下嵐江(奥州市胆沢区)から
手倉(秋田県東成瀬村)までを特に指しているようである。
もともとは軍道の性格が強かったが、出羽・陸奥地方の平定後は、
経済・文化・産業の道として賑わって行く。

しかし、この街道から焼石沼付近に行くためには胆沢川の渓谷を越えるか、
十里峠から大森山に稜線沿いに行くしかないであろう。
人里からも離れており、祭祀を行うに相当な労力であろう。
そう考えると、本当にもともとそこに鎮座していたのかが疑わしくなる。
胆沢川自体が信仰の対象なので、源流地点を本社にあてるのは問題はないが、
それは後年のことではないであろうか?


源流地域 三界山南麓には「膽澤川神社、昭和五年、高橋重右エ門」
という石碑があるという。
鎮座疑定地の様子と合わせて確認の為、焼石岳登拝することになった。

しかしながら、石碑の詳細な位置が不明であった為、
胆沢区「胆沢総合支所商工観光課」に問い合わせた。
上記の石碑については分からなかったが、9合目の焼石神社に
目的のものとは別の「膽澤川神社」の石碑があるとの回答を得た。


実際に焼石岳に訪れたのは、9月末の休日である。
目的地が、東成瀬コース沿いにある為、秋田側からのアプローチとなる。
濃霧の平泉・前沢ICを降りて、国道397号 通称「焼石連峰ビーチライン」を
秋田に向けて走る。濃霧の為、左側にある胆沢川の谷が非常に怖い。
やがて霧は徐々に晴れていくが、小雨がぱらつく状態となる。

東成瀬3合目の登山口には、7時前に到着。駐車場には誰もいない。
雲の流れが速い。天候の回復を車内で待つことにした。
9時過ぎ。これ以上の時間は待てない。天候は若干日差しが差す程度。
小雨は雨具がなくとも問題ない程度である。

頂上までの所要時間は約3時間。
目的の焼石沼まで2時間。焼石神社までは2.5時間であろう。

途中いろいろ見所もあるが、花を目当てであれば時期的に遅い。
天候もあまりよくないので、先を急ぐ。
途中6合目手前では、胆沢川を3回ほど沢越えしなくてはならない。
雨で増水している状態で大変であった。本降りなら沢登り程度の準備が必要であろう。

8合目手前 左には三界山が近くに見える。
三界山南麓といっても今いるコースも南麓にある。
途中脇道や石碑がないか注意しながら進む。
やがて長命水に着く。この情報があったので水は最低限しか持参していない。
水を補給し、焼石沼に向かう。

このあたりは放牧地跡でもある。
なるほど、ここが山奥であることが信じられない風景である。
焼石沼を含め、多数の池塘が存在し、季節には花畑の様相となる。
それが、焼石岳・モッコ岳・三界山と青空がよい景色をつくることであろう。
(幸いこのあたりでは、青空と日差しを得ることができた。)

焼石沼付近を簡単に探索してみるが、石碑らしいものは見当たらない。
長命水の上流部分や、モッコ岳の上部が気になるが藪漕ぎの準備は
してきていない。単独行でもあるので冒険は避けるべきであろう。
特にモッコ岳には、右側から上部に巻き道があるように見えた。
あの上部にはなにかあるのではないかと思えてしまう。
位置関係から言って、モッコ岳は鎮座地として最適のように思える。
いつかあの場所を調べてみよう。

ここからは急登となるので焼石沼脇で大休憩をとる。
実はブランクがあり、少々ムリをした感もあったのだ。
休憩も終わり、焼石神社に向けて急登を進む。
ふくらはぎに若干の違和感がある。
とは言え、また天候が悪化するように秋田側から風が入ってくる。
すでに、日差しはない。少々ムリをしても進まなくてはならない。
(結論を先に言ってしまえば、9月以降は日本海からの空気が入りやすく
秋田側は曇りやすく思える。このルートは焼石沼の花畑がよいのだが、
開山〜8月までにしたほうがいい。)

11:30焼石神社着。日差しはなく小雨状態である。
風が冷たく、急ぎ雨具で体温の低下を防ぐ。
『膽澤川神社』の石碑が分かりやすく立っていた。
この石碑は、昭和13年に奉納されたもののようである。
先に調べた石碑からは8年後のものである。
近くには真新しい豊水祈願の碑もあり、
この焼石岳・胆沢川が、胆沢平野にどれだけ重要かが垣間見ることができる。

しかし、焼石神社=膽澤川神社なのだろうか?
そのあたりは、後日 宮司さんに確認しよう。
焼石神社からは、先ほどの焼石沼やモッコ岳が望める。
岩陰の祭祀形態や、この風景からここに鎮座しているのであろう。


さて、これから上部は、岩場を越え低木(?)の中を歩くことになる。
雨風を遮るものは存在しない。
岩場には矢印がありルートを間違うことはないが、その先が問題である。
焼石神社までの状態と異なり、ここが同じ登山ルート?と疑わしいくらいの
状態である。
ところどころにビニール紐はあるが分かり辛い。
藪払いをしていないのではと思ってしまう。
岩手側と比べて登山者が少ないのか?

いづれにしても、頼りのビニール紐が見当たらない。
そうこうしているうちに、無理を強いてきた足がつりはじめる。
頂上に行っても強風で寒そうだし、天気も足もこんな具合なので
ここで諦めることにした。9.5合。あとちょっとなんだけど。

下山は、無理せずにゆっくりと。
6合目を過ぎたあたりから、右膝の外側筋が痛み始める。
昨年に鳥海山でやった左膝と同じ状態である。
全治2ヶ月くらいかな〜と思いつつも、歩かないと降りられない。

このころには改善した天候の下、
「運動の汗」と「冷や汗」と「ベソ」をかきながら無事に下山を果たす。

登山口。登った道を見返す。
そして、いつかリベンジしてやると心に誓う(その日は意外とすぐ来た)。



※仙北街道は「東成瀬 まるごと自然館」を参照されるとよいです。
http://marugoto.higashinaruse.com/04_senboku/map.html

※『続日本後紀』承和8年(841)に記述の
 江刺郡擬大領上毛野胆沢公毛人が祀ったという説もあるようであるが、
 詳細は不明。


参考「胆沢町史」
   「古のブナ道 仙北街道」
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膽澤川神社 旧跡を探る2〜蛇足〜 ( No.[9]63 )
日時: 2009/12/29 16:10:05
名前: 御津垣  ID: 1aW0/1QI
編集: 【回数】 7回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/12/23 16:26:29

焼石岳登拝リベンジ〜返り討ち〜編


9月末 休日で登拝した焼石岳。これは土曜日のことであった。
下山後、胆沢区の「すぱおあご」で温泉に浸かる。
足の痛みはそれほどでもない。鳥海山でも温泉では大丈夫だったが、
その後は、歩くのも辛い状態になったから油断はできない。
特に下りは、気をつけないといけない。

その後は、水沢の駒形神社に顔を出すことにした。
今回は、Zプラザアテルイで車中泊の予定なので、駐車場より向かうことにした。
出口に向かう途中に、目の前を見慣れた車が通り過ぎる。
おお、権禰宜さんだ!って、あれ待ち合わせか?
女性だったらからかってやったのに、残念なことに厳つい兄ちゃん2人。
挨拶されているし、学校の後輩かな?
まあ、いいや。今回は約束してないので邪魔にならないように。

神社に参拝して、なじみの方々にご挨拶して退去。
さて、いつもの「萬福食堂」に行きたいところであるが、
さっきの権禰宜さんらがいるのではないかと、時間をずらすことにした。
明日の予定などを考えながら車で休憩し、ほどよい時間で萬福さんに移動する。
案の定、さっきまでいたらしい。

食事と軽く飲んで、車に戻る。


星がキレイだ。横浜とは大違い。明日も晴れそうだ。
足は階段も問題ないくらい調子がよい。
「よし、明日はつぶ沼側からリベンジしよう!」
それは、後悔の始まりであった。


岩手県側から焼石岳へのアプローチは3つある。
・経塚山を越え縦走する夏油コース
・最短の中沼コース
・つぶ沼コース
である。
ただし、最短の中沼コースは、以前の岩手・宮城内陸地震の
普及作業中で選択はできなかった。(2011.9.28復旧済み)

今回は、消去法で「つぶ沼コース」を選択した。
目標は、頂上に辿り着いて無事戻ってくること。それだけ。
途中に探すものはない。

Zプラザアテルイより、途中コンビニで昼食のラーメンとおにぎりを購入し、
つぶ沼駐車場に向かう。
天気は大変よい。空には虹がかかり気持ちもよい。

着替えをし、荷物を「急いで」詰め込み出発する。
右ひざには最初からサポーターを巻く。
登山口出発は9:00。少々遅い。

ここから頂上までは4.5時間程度。
戻りは概算で18:00となってしまう。
実際にはそこまではかからないが、登山計画としては失格であろう。

さて、そんなことを考えていたわけではないが、
少々急ぎ足となってしまう。右ひざの状態の心配なので、意図して速度を緩める。

最初は、心地よい林間コースである。木々の間から落ちる日差しがよい。
ただし足元は、ぬかるみが広がる。このあたりは水はけが悪いようだ。
足をとられながら、転ばないように慎重に進む。

10:30石沼に到着。予定より30分短縮できている。
水がエメラルドグリーンで大変美しい。
時間があれば沼まで降りてみることもできたのだが。

これまでにあった登山者は5名。う〜ん少ない。
ちなみに昨日は、10名はいた。


銀明水避難小屋に到着は11:30。ここは予定通りである。
これまで休憩らしい休憩はしていない。そこで休憩することする。
チョコと水分を補給。ベンチに座って足を休める。
先行していたパーティーにはここで追いついた。
10分休憩後、出発。やがて大雪渓の場所に辿り着く。
さすがに雪渓はないが、傾斜が厳しく一部登山道が崩落していた。
トラバースする道を慎重に進む。

この先は、沢沿いの岩場である。
ここまで足に問題はないが、ここからが正念場であろう。


12:30泉水沼到着。足が痛い。右ひざが痛いです。
さっき抜いていった方々にも軽く抜き返されました。
でも、ここまでは小屋からは予定タイムできているんですよ?

沼の向こうには、目指す焼石岳山頂が見える。
ちなみに左に見える横岳って1473mで、焼石岳1507mより低いのに
なぜか高く見えるのです。山塊が大きいから錯覚しているのかな〜


沼から上はガレ場。さらに足に堪えます。ストックはダブルがいい。
今度 買ってこよう。持ち替えながら進みます。

そうして、頂上に到着は12:50。予定より30分早い。
足が調子よければもうちょっと短縮できたのに。
まあいい。昨日の分まで風景を楽しみます。
秋田側を覗くと雲が沢山。岩手側と大分違います。
頂上は風が強く、休憩の為 岩手側の岩陰に入ります。

遅くなったがやっと昼食です。
今朝買ったラーメンと、おにぎりの出番です。
さあ、出ておいで!返事がありません。
そう、両名とも不在でした。

なに〜、車に忘れてきたんか〜!

楽しみにしていた昼食は、山の向こうに残っていた。
一緒に行こうって言った(かは知りません)が、自分ひとりで旅を
続けていたようです。


はあ、仕方ない。立ち直るのみ時間が掛かったようであるが
下山時間を考えるとそうもゆっくりもしていられない。
幸い菓子類(チョコ・キャラメル・飴)が沢山あったので、
それでカロリーをつけて、13:30下山を開始する。

下山は、足に負担がかかる。
登り以上に右ひざが痛く、顔をしかめる。
避難小屋までの道は、拷問に近いものがあった。

15:10。石沼付近で、登ってくる人に会う。
小屋泊まりかと思ったが石沼までと言う。
石沼までとはいえ、なにもこんな時間にくることもなかろう。


16:20登山口着。
断じて言おう。最後の階段は、世の中の不条理の象徴であると。
なんで自分が苦しい思いをしなくちゃいけないんだ?
ああ、人生不可解だ。

と、大げさに嘆くくらい痛かった訳であるが、なんとか無事でした。
はい、自分が全部悪いのです。


駐車場で着替えを済ませ、付いてきてくれなかった昼食さんらと再会を果たした。

ベンチに座り、胆沢ダムを見下ろしながら、ラーメンをすすった。
はあ、生きていてよかったよ。と。


追記
右ひざの痛みは、その後10月末まで続くのであった。


終幕
1262070605-s1.jpeg 1262070605-s2.jpeg 1262070605-s3.jpeg
参戦します ( No.[9]64 )
日時: 2010/01/07 22:45:22
名前: era  ID: 21t3KdM2

モデムが壊れて一ヶ月近いネット断絶
生活から復帰。

御津垣さん。荒雄川神社は逆でした。
すみません。

荒雄川神社(大崎市岩出山)
式内社:玉造郡 荒雄川神社
御朱印: あり

伊達神社(加美郡色麻町)
式内社:色麻郡 伊達神社 名神大
御朱印:あり

鼻節神社(宮城郡七ヶ浜町)
式内社:宮城郡 鼻節神社 名神大
御朱印:あり
特記:
  本務 柏木神社

佐倍乃神社(名取市愛島)
式内社:名取郡 佐具叡神社を合祀
御朱印:あり

日高見神社(石巻市桃生町)
式内社:桃生郡 日高見神社
御朱印:あり

飯野山神社(石巻市飯野宮下北)
式内社:桃生郡 飯野山神社(論社)
御朱印:あり

大嶋神社(石巻市住吉町)
式内社:牡鹿郡 大嶋神社(論社)
御朱印:なし

鳥屋崎神社(石巻市山下町)
式内社:牡鹿郡 鳥屋神社(論社)
御朱印:なし

拝幣志神社(石巻市八幡町)
式内社:牡鹿郡 拝幣志神社 名神大
御朱印:なし

曾波神社(石巻市蛇田)
式内社:牡鹿郡 曾波神社
御朱印:なし

子松神社(大崎市古川新田)
式内社:新田郡 子松神社(論社)
御朱印:あり

志波姫神社(大崎市古川桜ノ目)
式内社:栗原郡 志波姫神社 名神大(論社)
御朱印:あり

東屋沼神社(福島市)
式内社:信夫郡 東屋沼神社 名神大
御朱印:あり

黒沼神社(福島市松川町浅川)
式内社:信夫郡 黒沼神社(論社)
御朱印:あり

参戦します ( No.[9]65 )
日時: 2010/01/08 10:30:56
名前: 御津垣  ID: HGb0EnzQ

eraさん
 本年もよろしくお願い致します。
 情報有難うございました。
 早速修正させて頂きました。

 夜勤明けで眠いです。。。
○出羽國 式内社・国史見在社の情報整理 ( No.[9]66 )
日時: 2010/01/09 10:16:08
名前: 御津垣  ID: 5lWeZPzI
編集: 【回数】 24回   【名前】 神楽  【最終日時】 2018/06/08 13:23:29

間違いや追加情報あれば
情報ご提供頂ければ幸いです。


〜延喜式内社〜
飽海郡 大物忌神社 名神大
鳥海山大物忌神社(飽海郡)
駐車場:あり


飽海郡 小物忌神社
小物忌神社(酒田市山楯)
駐車場:あり

小物忌神社(酒田市飛島)
駐車場:なし

飛澤神社(酒田市)
駐車場:あり

劔龍神社(飽海郡)
駐車場:あり

椙尾神社(鶴岡市)
駐車場:あり


飽海郡 月山神社 名神大
月山神社(東田川郡)
駐車場:あり

月山神社(飽海郡)
駐車場:あり


田川郡 遠賀神社
遠賀神社(鶴岡市井岡)
駐車場:あり

遠賀神社(鶴岡市遠賀原)
駐車場:なし

遠賀神社(鶴岡市外内島)
駐車場:なし


田川郡 由豆佐賣神社
由豆佐賣神社(鶴岡市湯田川)
駐車場:なし

熊野神社(鶴岡市温海)
駐車場:なし


田川郡 伊?波神社
出羽神社(鶴岡市)
駐車場:あり


平鹿郡 鹽湯彦神社
塩湯彦神社(横手市)
駐車場:あり


平鹿郡 波宇志別神社
波宇志別神社(横手市)
駐車場:なし


山本郡 副川神社
副川神社(南秋田郡)
駐車場:あり

八幡神社(大仙市)
駐車場:なし

嶽六所神社(大仙市)
駐車場:なし

添川神明社(秋田市)
駐車場:なし



〜日本三代実録記載社〜
真蒜神
真昼山三輪神社(仙北郡)
駐車場:なし


城輪神
城輪神社(酒田市)
駐車場:あり


高泉神
古四王神社(秋田市)
駐車場:あり

高泉神社(酒田市)
駐車場:なし

空素沼神社(秋田市)
駐車場:あり


白磐神
白磐神社(寒河江市)
駐車場:未確認

神明社に合祀(仙北市)
駐車場:なし


須波神
霊山朝日嶽神社(西村山郡)
駐車場:あり(登山口)

諏訪神社(川西町)
駐車場:あり

諏訪神社(尾花沢市野黒沢)
駐車場:未確認


利神
水晶山神社(大和神社)(天童市)
駐車場:あり

富明神神社(山形市)
駐車場:未確認


酢川温泉神
酢川温泉神社(山形市)
駐車場:あり

温泉神社(一関市)
駐車場:あり


矢向神
矢向神社(新庄市)
駐車場:あり
まとめます。 ( No.[9]67 )
日時: 2010/01/12 00:03:55
名前: 御津垣  ID: ehUxjH1M

陸奥国の式内社ですが、
茨城の「八溝嶺神社」が抜けてしまうので、
旧国名で、修正をかけます。
修正後、県毎のものは削除します。

>神楽さん
本年もよろしくお願い致します。
(挨拶が遅くなりました。)
上記 茨城の一社になりますが、東北スレに
記載したのですが、ご了承頂けますよう
お願いします。

了承頂けれてから修正にかかります。

問題なしですよ ( No.[9]68 )
日時: 2010/01/13 17:14:42
名前: 神楽  ID: iTtQnQN2

>>神楽さん
>本年もよろしくお願い致します。
>(挨拶が遅くなりました。)
>上記 茨城の一社になりますが、東北スレに
>記載したのですが、ご了承頂けますよう
>お願いします。

今年もよろしくお願いします。
関東の神社でも問題なしですよ。
こんばんわ ( No.[9]69 )
日時: 2010/01/13 19:50:17
名前: era  ID: xlGYUCnY

御津垣さん遅くなりました。今年もよろ
しくお願いします。

小松神社の論社の大崎八幡や敷玉
早御玉神社の論社の若宮八幡は
神主さんが境内に住んでいるんで
御朱印あるかもしれません。二社とも
素晴らしい神社でした。再訪しますよ。
こんばんわ ( No.[9]70 )
日時: 2010/01/14 10:05:33
名前: 御津垣  ID: 8y0cTeaA
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2010/01/14 10:06:20

>eraさん
大崎八幡、若宮八幡の情報有難うございました。
自分自身も、参拝の参考にさせて頂きます。

しかし早く、春がきてほしいものです。
東北・日本海側は、すごい状態だし。
ホント ( No.[9]71 )
日時: 2010/01/15 23:26:17
名前: era  ID: giCiAYQg

寒いですね。春が来ないと東北は
無理ですよね。
飯野山神社は特にお薦めなんです
が社殿を改装中なので来年の春以降
に参拝してください。

大阪も書き込みますよ。
○陸奥國 式内社の情報整理 1/3 ( No.[9]72 )
日時: 2010/01/23 17:38:25
名前: 御津垣  ID: 5lWeZPzI
編集: 【回数】 30回   【名前】 神楽  【最終日時】 2018/06/08 13:27:43

間違いあると思いますので、ご指摘頂ければ幸いです。
また、追加情報も合わせてお願い致します。


〜延喜式内社〜
白河郡 都都古和氣神社 名神大
都都古和氣神社(東白川郡棚倉町馬場)
駐車場:あり

都々古別神社(東白川郡棚倉町八槻)
駐車場:あり


白河郡 伊波止和氣神社
伊波止和気神社(白川郡古殿町)
駐車場:なし

磐戸別神社(白河市)
駐車場:あり


白河郡 白河神社
白河神社(白河市)
駐車場:あり

鹿嶋神社(白河市)
駐車場:あり


白河郡 八溝嶺神社
八溝嶺神社(久慈郡大子町)
駐車場:あり


白河郡 飯豊比賣神社
飯豊比賣神社(白河市)
駐車場:なし


白河郡 永倉神社
永倉神社(西白河郡)
駐車場:なし

永倉神社(石川郡)
駐車場:未確認


白河郡 石都都古和氣神社
石都々古別神社(石川郡)
駐車場:あり

近津神社?(茨城県大子町)
駐車場:あり


苅田郡 苅田嶺神社 名神大
刈田嶺神社(刈田郡蔵王町宮)
駐車場:あり

刈田嶺神社(刈田郡蔵王町遠刈田温泉)
駐車場:あり


名取郡 多加神社
多賀神社(仙台市太白区)
駐車場:あり

多賀神社(名取市高柳)
駐車場:あり


名取郡 佐具叡神社
佐倍乃神社に合祀(名取市愛島)
駐車場:あり


宮城郡 伊豆佐賣神社
伊豆佐賣神社(宮城郡利府町)
駐車場:なし


宮城郡 志波彦神社 名神大
志波彦神社(塩釜市)
駐車場:あり


宮城郡 鼻節神社 名神大
鼻節神社(宮城郡七ヶ浜町)
駐車場:あり


宮城郡 多賀神社
多賀神社(多賀城市高崎)
駐車場:?

陸奥總社宮(多賀城市市川)
駐車場:あり

浮嶋神社(多賀城市浮島)
駐車場:?

多賀神社(多賀城市市川)
駐車場:?


黒川郡 須伎神社
須岐神社(黒川郡大衡村)
駐車場:あり


鳴上賀茂明神宮(黒川郡大和町)
駐車場:あり


黒川郡 石神山精神社
石神山精神社(黒川郡大和町)
駐車場:なし

鹿島天足別神社(黒川郡富谷町)
駐車場:なし※2
  ※2 大亀山森林公園に駐車を推奨


黒川郡 鹿嶋天足別神社
鹿島天足別神社(黒川郡富谷町)
駐車場:なし※2
  ※2 大亀山森林公園に駐車を推奨


黒川郡 行神社
行神社(黒川郡富谷町)
駐車場:なし

船形山神社(黒川郡大和町)
駐車場:?


賀美郡 飯豊神社
飯豊神社(加美郡加美町)
駐車場:あり


賀美郡 賀美石神社
賀美石神社(加美郡加美町)
駐車場:?


飯豊神社(加美郡加美町)
駐車場:?


色麻郡 伊達神社 名神大
伊達神社(加美郡色麻町)
駐車場:あり


玉造郡 温泉神社
温泉神社(大崎市鳴子温泉)
駐車場:あり


玉造郡 荒雄川神社
荒雄川神社(大崎市鳴子温泉)
駐車場:あり(社殿前に少しあり)

荒雄川神社(大崎市岩出山)
駐車場:あり


玉造郡 温泉石神社
温泉石神社(大崎市鳴子温泉)
駐車場:なし(近くに空き地あり)


曰理郡 鹿嶋伊都乃比氣神社
鹿島緒名太神社(亘理郡亘理町)
駐車場:あり※社前に1台


鹿島天足和気神社(亘理郡亘理町)
駐車場:あり(鳥居前に1〜2台)

月山神社に合祀(亘理郡亘理町)
駐車場:?


曰理郡 鹿嶋緒名太神社
鹿島緒名太神社(亘理郡亘理町)
駐車場:あり※社前に1台

鹿島天足和気神社(亘理郡亘理町)
駐車場:あり(鳥居前に1〜2台)


曰理郡 安福河伯神社
安福河伯神社(亘理郡亘理町)
駐車場:なし


曰理郡 鹿嶋天足和氣神社
鹿島天足和気神社(亘理郡亘理町)
駐車場:あり(鳥居前に1〜2台)


信夫郡 鹿嶋神社
鹿島神社(福島市島野谷)
駐車場:未確認

鹿島神社(福島市小田)
駐車場:あり

鹿島神社(福島市岡島)
駐車場:未確認

鹿嶋神社(伊達郡)
駐車場:あり


信夫郡 黒沼神社
黒沼神社(福島市)
駐車場:あり(福島県護国神社と兼用)

黒沼神社(福島市松川町金沢)
駐車場:あり

黒沼神社(福島市松川町浅川)
駐車場:あり


信夫郡 東屋沼神社 名神大
東屋沼神社(福島市)
駐車場:あり


信夫郡 東屋國神社
東屋國神社(福島市)
駐車場:未確認


信夫郡 白和瀬神社
白和瀬神社(福島市)
駐車場:あり


志太郡 敷玉早御玉神社
敷玉早御玉神社(大崎市古川)
駐車場:なし

敷玉早御玉神社(大崎市三本木)
駐車場:あり


磐城郡 大國魂神社
大國魂神社(いわき市)
駐車場:あり


磐城郡 二俣神社
二俣神社(いわき市)
駐車場:なし


磐城郡 温泉神社
温泉神社(いわき市)
駐車場:あり


磐城郡 佐麻久嶺神社
佐麻久嶺神社(いわき市)
駐車場:あり


磐城郡 住吉神社
住吉神社(いわき市)
駐車場:あり


磐城郡 子鍬倉神社
子鍬倉神社(いわき市)
駐車場:あり
○陸奥國 式内社の情報整理 2/3 ( No.[9]73 )
日時: 2010/01/23 17:41:52
名前: 御津垣  ID: MyHiF0dg
編集: 【回数】 36回   【名前】 神楽  【最終日時】 2018/06/18 21:35:58

間違いあると思いますので、ご指摘頂ければ幸いです。
また、追加情報も合わせてお願い致します


〜延喜式内社〜
標葉郡 ?野神社
?野神社(双葉郡)
駐車場:あり
  
綿津見神社(相馬郡)
駐車場:あり


牡鹿郡 零羊埼神社 名神大
零羊崎神社(石巻市湊)
駐車場:あり


牡鹿郡 香取伊豆乃御子神社
香取伊豆乃御子神社(石巻市折浜)
駐車場:なし

和渕神社(石巻市和渕町)
駐車場:あり※鳥居左手に鳥居マークの書かれている神社用の駐車場


牡鹿郡 伊去波夜和氣命神社
伊去波夜和氣命神社(石巻市大宮町)
駐車場:なし

伊去波夜和氣命神社(石巻市水沼)
駐車場:なし


牡鹿郡 曾波神社
曾波神社(石巻市蛇田)
駐車場:あり


牡鹿郡 拝幣志神社 名神大
拝幣志神社(石巻市八幡町)
駐車場:なし


牡鹿郡 鳥屋神社
鳥屋崎神社(石巻市山下町)
駐車場:?

鳥屋神社(石巻市羽黒町)
駐車場:あり


牡鹿郡 大嶋神社
大嶋神社(石巻市住吉町)
駐車場:なし

黄金山神社(石巻市鮎川浜金華山)
駐車場:なし


牡鹿郡 鹿嶋御兒神社
鹿嶋御兒神社(石巻市日和が丘)
駐車場:あり


牡鹿郡 久集比奈神社
久集比奈神社(石巻市高木)
駐車場:?


牡鹿郡 計仙麻神社
龍神社(気仙沼市港町)
駐車場:?

朝日山計仙麻神社(石巻市北村)
駐車場:あり

羽黒神社(気仙沼市後九条)
駐車場:?

黄金山神社(石巻市鮎川浜金華山)
駐車場:なし

計仙麻大嶋神社(本吉郡南三陸町)
駐車場:?


桃生郡 飯野山神社
飯野山神社(石巻市飯野宮下北)
駐車場:?

飯野山神社(石巻市飯野外吉野戸場柄)
駐車場:なし※社殿まで車でも行けるが、馬力がある車じゃないときつい


桃生郡 日高見神社
日高見神社(石巻市桃生町)
駐車場:あり


桃生郡 二俣神社
二俣神社(石巻市三輪田)
駐車場:なし

石上神社(東松島市浜市東浮足)
駐車場:あり


桃生郡 石神社
石神社(石巻市雄勝町)
駐車場:あり

石上神社(東松島市浜市東浮足)
駐車場:?

鹿石神社(東松島市矢本)
駐車場:?

龍口神社に合祀(石巻市龍口山)
駐車場:なし

石上神社(石巻市桃生町)
駐車場:?

岩倉神社(本吉郡本吉町)
駐車場:?


桃生郡 計仙麻大嶋神社 名神大
大島神社(気仙沼市亀山)
駐車場:あり

御崎神社(気仙沼唐桑町)
駐車場:あり

計仙麻大嶋神社(本吉郡南三陸町)
駐車場:?


桃生郡 小鋭神社
賀茂小鋭神社(石巻市福地)
駐車場:なし

白鳥神社(石巻市桃生町)
駐車場:?

大島神社(気仙沼市亀山)
駐車場:あり

大土山虚空蔵尊堂(登米市津山町)
駐車場:あり


行方郡 高座神社
高座神社(南相馬市原町区)
駐車場:あり(境内前に1台ほど)


行方郡 日祭神社
日祭神社(南相馬市原町区)
駐車場:あり(境内に1台ほど)


行方郡 冠嶺神社
冠嶺神社(南相馬市原町区)
駐車場:なし

冠嶺神社(南相馬市鹿島区)
駐車場:なし(道路沿い東側にある集会所に駐車スペースあり)


行方郡 御刀神社
御刀神社(南相馬市鹿島区)
駐車場:あり


行方郡 鹿嶋御子神社
鹿嶋御子神社(南相馬市鹿島区)
駐車場:あり


行方郡 益多嶺神社
益多嶺神社(南相馬市小高区)
駐車場:あり


行方郡 多珂神社 名神大
多珂神社(南相馬市原町区)
駐車場:あり

貴船神社(南相馬市小高区)
駐車場:?


行方郡 押雄神社
押雄神社(南相馬市原町区)
駐車場:なし


栗原郡 表刀神社
表刀神社(栗原市築館)
駐車場:あり(境内わきの空き地)

表刀神社(大崎市古川小野)
駐車場:あり

新山神社(栗原市栗駒泉沢)
駐車場:?


栗原郡 志波姫神社 名神大
志波姫神社(大崎市古川桜ノ目)
駐車場:あり


志波姫神社(栗原市高清水)
駐車場:あり

志波姫神社(栗原市志波姫)
駐車場:あり


栗原郡 雄鋭神社
雄鋭神社(栗原市栗駒稲屋敷)
駐車場:あり

御嶽神社(栗原市鶯沢)
駐車場:?

伊勢宮(栗原市築館)
駐車場:?


栗原郡 駒形根神社
駒形根神社(栗原市栗駒沼倉)
駐車場:あり


栗原郡 和我神社
和我神社(栗原市築館)
駐車場:あり

和我神社(栗原市栗駒桜田)
駐車場:?

御賀八幡神社(栗原市若柳)
駐車場:?


栗原郡 香取御兒神社
香取御児神社(栗原市築館)
駐車場:?

鹿嶋神社に合祀(栗原市築館)
駐車場:なし


栗原郡 遠流志別石神社
遠流志別石神社(登米市石越町)
駐車場:あり


膽澤郡 磐神社
磐神社(奥州市衣川区)
駐車場:なし

膽澤郡 磐神社末社
女石神社(奥州市衣川区)
駐車場:あり


膽澤郡 駒形神社
駒形神社(奥州市水沢区)
駐車場:あり


膽澤郡 和我叡登挙神社
和我叡登挙神社(奥州市衣川区)
駐車場:なし

和我叡登挙神社(北上市)
駐車場:なし

和我叡登挙神社(奥州市胆沢区)
駐車場:なし


膽澤郡 石手堰神社
石手堰神社(奥州市水沢区)
駐車場:あり(鳥居前に3台程度)


膽澤郡 膽澤川神社
於呂閇志膽澤川神社(奥州市胆沢区)
駐車場:あり


膽澤郡 於呂閇志神社
於呂閇志膽澤川神社(奥州市胆沢区)
駐車場:あり


膽澤郡 止止井神社
止止井神社(奥州市前沢区)
駐車場:なし
○陸奥國 式内社の情報整理 3/3 ( No.[9]74 )
日時: 2010/01/23 17:49:29
名前: 御津垣  ID: ongkZjVE
編集: 【回数】 15回   【名前】 神楽  【最終日時】 2018/06/18 21:38:31

間違いあると思いますので、ご指摘頂ければ幸いです。
また、追加情報も合わせてお願い致します


〜延喜式内社〜
新田郡 子松神社
子松神社(大崎市古川新田)
駐車場:あり

子松神社(田村市)
駐車場:未確認

大崎八幡神社(大崎市田尻八幡御殿坂)
駐車場:あり


磐瀬郡 桙衝神社
桙衝神社(須賀川市)
駐車場:あり


會津郡 伊佐須美神社 名神大
伊佐須美神社(大沼郡)
駐車場:あり


會津郡 蠶養國神社
蠶養國神社(会津若松市)
駐車場:あり


小田郡 黄金山神社
黄金山神社(遠田郡涌谷町)
駐車場:あり

黄金山神社(石巻市鮎川浜金華山)
駐車場:なし


?磨郡 磐掎神社
磐椅神社(耶麻郡)
駐車場:あり

磐梯神社(耶麻郡)
駐車場:あり


斯波郡 志賀理和氣神社
志賀理和氣神社(紫波郡紫波町)
駐車場:あり


氣仙郡 理訓許段神社
冰上神社(陸前高田市)
駐車場:あり

尾崎神社(大船渡市)
駐車場:あり


氣仙郡 登奈孝志神社
冰上神社(陸前高田市)
駐車場:あり


氣仙郡 衣太手神社
冰上神社(陸前高田市)
駐車場:あり

五葉神社(大船渡市)
駐車場:あり※境内

五葉山神社(住田町)
駐車場:あり


安積郡 宇奈己呂和氣神社 名神大
宇奈己呂和氣神社(郡山市)
駐車場:あり


安積郡 飯豊和氣神社
飯豊和氣神社(郡山市)
駐車場:なし

安達太良神社(本宮市)
駐車場:あり


安積郡 隠津嶋神社
隠津嶋神社(郡山市喜久田町)
駐車場:あり

隠津嶋神社(二本松市)
駐車場:あり

隠津嶋神社(郡山市喜湖南町)
駐車場:あり


柴田郡 大高山神社 名神大
大高山神社(柴田郡大河原町)
駐車場:あり


宇多郡 子負嶺神社 名神大
子眉嶺神社(相馬郡)
駐車場:あり


伊具郡 熱日高彦神社
熱日高彦神社(角田市島田)
駐車場:未確認


伊具郡 鳥屋嶺神社
鳥屋嶺神社(伊具郡丸森町)
駐車場:未確認


磐井郡 配志和神社
配志和神社(一関市)
駐車場:あり


磐井郡 舞草神社
舞草神社(一関市)
駐車場:あり


江刺郡 鎮岡神社
鎮岡神社(奥州市江刺区)
駐車場:なし
○陸奥國 国史見在社の情報整理 ( No.[9]75 )
日時: 2010/05/11 21:56:59
名前: 御津垣  ID: DtEMT34M
編集: 【回数】 27回   【名前】 神楽  【最終日時】 2023/01/06 21:54:46

鹿島大神苗裔神卅八社は、ここじゃないかな〜といところを記載してます。
間違いは分かったら修正しますm(_ _)m

本記事は、あずさんの多大な協力があってこその記事であります。
改めて御礼申し上げます。



〜日本三代実録記載社〜
(八牡姫)(小結)温泉神
温泉神社(いわき市)
駐車場:あり

温泉神社(二本松市)
駐車場:未確認


鹿島大神苗裔神卅八社
[菊多郡一座]
鹿島神社(いわき市山田町)
駐車場:なし


[磐城郡十一座]
鹿島神社(いわき市泉町)
駐車場:あり
特記:
 もともとはいわきコンピュータ・カレッジ付近に鎮座
 遷座時に下記渡辺町と分かれる

鹿島神社(いわき市渡辺町)
駐車場:未確認
特記:
 もともとはいわきコンピュータ・カレッジ付近に鎮座
 遷座時に上記泉町と分かれる

鹿嶋神社(いわき市常磐上矢田町)
駐車場:なし

立鉾鹿島神社(いわき市平中神谷)
駐車場:あり

鹿島神社(いわき市小名浜)
駐車場:あり

鹿島神社(いわき市四倉町)
駐車場:なし

鹿島神社(いわき市平神谷作)
駐車場:なし
特記:
 郷土史家 諸根勿来はここを比定社としているが、
 「いわきのお宮とお祭り」では大永五年勧請とあり
 年代が合わない。

鹿島神社(いわき市平下大越)
駐車場:未確認
特記:
 白山神社境内摂社
 郷土史家 諸根勿来が比定しているが
 現在 白山神社境内に鹿島神社は存在いない。
 合祀もされていないとのこと。

鹿島神社(いわき市内郷高野町)
駐車場:なし
特記:
 郷土史家 諸根勿来はここを比定社としているが、
 「いわきのお宮とお祭り」では保元元年勧請とあり
 年代が合わない。

鹿島神社(いわき市平下高久)
駐車場:未確認
特記:
 現在該当の村社は見当たらない。
 近隣神社に合祀されているか?

鹿島神社(いわき市大久町)
駐車場:なし
特記:
 御津垣推定

鹿嶋大神宮(郡山市西田町)
駐車場:あり
特記:
 神社由緒に鹿島大神苗裔神卅八社の一座とある。
 磐城郡にとりあえず入れるが、安積郡とかにならないか?


[標葉郡二座]
鹿島神社(双葉町大字鴻草)
駐車場:なし

八幡神社に合祀(双葉町大字郡山)
駐車場:あり


[行方郡一座]
鹿嶋御子神社(南相馬市)
駐車場:あり


[宇多郡七座]
鹿島神社(相馬市石上)
駐車場:あり

鹿島神社(相馬市新沼)
駐車場:未確認

鹿島神社(相馬市馬場野)
駐車場:なし

鹿島神社(相馬市尾浜字船越)
駐車場:なし

未確認(未確認)
駐車場:未確認

未確認(未確認)
駐車場:未確認

未確認(未確認)
駐車場:未確認


[伊具郡一座]
鹿島神社(伊具郡)
駐車場:あり

鹿島神社(角田市)
駐車場:未確認


[曰理郡二座]
鹿島天足和気神社(亘理郡)
駐車場:あり

鹿島緒名太神社(亘理郡)
駐車場:あり


[宮城郡三座]
多賀神社(多賀城市)
駐車場:未確認

塩竃神社(塩竃市)
駐車場:あり

未確認(未確認)
駐車場:未確認


[黒河郡一座]
鹿島天足別神社(黒川郡)
駐車場:あり


[色麻郡三座]
鹿島神社(加美郡)
駐車場:あり

鹿島神社(加美郡)
駐車場:未確認

伊達神社(加美郡)
駐車場:未確認


[志太郡一座]
古川神社(大崎市)
駐車場:あり

八坂神社に合祀(大崎市)
駐車場:あり


[小田郡四座]
鹿島台神社(大崎市)
駐車場:あり

鹿島神社(美里町北浦)
駐車場:未確認


[牡鹿郡一座]
鹿島御児神社(石巻市)
駐車場:あり



− 日本三代實録卷第十二 -

『三代実録』巻十二貞観八年(八六六)正月廿日丁酉

常陸國鹿嶋神宮司言。大神之苗裔神卅八社在陸奧國。
菊多郡一。磐城郡十一。標葉郡二。行方郡一。宇多郡七。伊具郡一。曰理郡二。
宮城郡三。黒河郡一。色麻郡三。志太郡一。小田郡四。牡鹿郡一。聞之古老云。
延暦以往。株大神封物。奉幣彼諸神社。仁而還。絶而不奉。由是。諸神爲祟。
物恠寔繁。嘉祥元年。請當國移状。奉幣向彼。而陸奧國。稱无舊例。不聽入。
宮司等於外河邊。弃幣物而歸。自後神祟不止。境内旱疫。望請。下知彼國。聽出入。
奉幣諸社。以解神怒。其幣用大神封物。又言。鹿嶋大神宮惣六箇院。廿年間一加修造。
所用材木五万餘枝。工夫十六万九千餘人。稻十八万二千餘束。採造宮材之山在那賀郡。
去宮二百餘里。行路嶮峻。挽運多煩。伏見。造宮材木多用栗樹。此樹易栽。亦復早長。
宮邊閑地。且栽栗樹五千七百樹。樹卅四株。望請。付神宮司。令加殖兼齋守。
太政官處分。並依請。
止止井神社古社地 ( No.[9]76 )
日時: 2010/05/12 20:31:32
名前: 御津垣  ID: wIlDg0B2
編集: 【回数】 3回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/08/28 14:29:36

止止井神社跡(胆沢区南都田字清水下地内)


於呂閉志胆沢川神社に向う国道397号途中 
JA岩手ふるさと南都田ライスミル手前に、「二本木遺跡」がある。

ここが、現在 前沢区に鎮座する式内 止止井神社の古社地である。


駐車スペースはないので、どこかに停めてから
歩いて訪ねることになります。


ちなみに、二本木遺跡は、関東系・関西系の
両方の土器が出土した8世紀の遺跡です。


参考「旧跡をたどる胆沢の歴史散歩」
1273663892-s1.jpeg 1273663892-s2.jpeg 1273663892-3.jpeg
追加 ( No.[9]78 )
日時: 2010/05/20 21:40:53
名前: era  ID: nZnBAX.Q

行方郡 益多嶺神社
益多嶺神社(南相馬市小高区)
御朱印:あり
駐車場:あり


行方郡 多珂神社 名神大
多珂神社(南相馬市原町区)
御朱印:あり
駐車場:あり
特記:禰宜さんから御朱印もらえますよ。
  本務 相馬小高神社

駒形神社の帳面欲しいなぁ。
陸中一宮 駒形神社奥宮造営 お手伝い? ( No.[9]79 )
日時: 2010/06/08 09:37:24
名前: 御津垣  ID: LzmPof5c

(mixiの日記と同じです。)

6/4(土)は、予定通り陸中一宮の駒形神社奥宮造営のお手伝いに伺った。
ただ、出発が遅れたせいで、東北道ではほとんど休みなく運転を続けなければ
ならなかったし、途中 宇都宮あたりでは激しい雷雨にも遭遇し、
先行きに一抹の不安を抱えての北上でもあった。

さて、集合場所「Zプラザアテルイ」到着は、集合時間の30分前、
全然休憩できません。泣き言は言いません。さっさと着替えをすませます。

すでに雨。。。
なにゆえ、自分が手伝う日にかぎって。泣きたくなる (おい!)。
非常に、ムカついたので明日も手伝って帰ることにした。
だって、いい写真撮れないもん

初日は、途中雷鳴轟く天候状態の為、早めに切り上げることとなった。
荷上げ実績は、15kgの土嚢袋(砂利)一つのみである。


明日もお手伝いということで、駒形神社参篭所に宿泊させてもらうことに。
まあ、その前に、胆沢区の教育委員会に頼んでおいた郷土史の本の受領と、
「すぱおあご」で温泉に浸かることになったのだが。。。

さて、もろもろ用事を済ませて、神社に戻り台所で、
皆さんの仕事が終わるのを大人しく待つことに。
待っている間に、明日は記録ビデオの撮影があることを聞かされた。
「一番遠いところから来ている人ということで、インタビューしてもらうので
考えておいて!」って、ちょっと待て〜〜


仕事が終わられたので、何時もの如く飲みに街に繰り出す。
「まんぷく食堂」小さな店ではあるが、毎回連れてってもらうところ。
自分も好みの味である。しかし少々、飲みすぎました。

翌日6:00起床。頭が痛い。。。気持ちが悪い
神社の台所では、ボランティアの為の昼食(おにぎり)を作っていた。
ちょっとご相伴に。。。おいしゅうございました。


神社からバスに乗って登山口に、今日は晴れ!
これでもかっていう晴れ。暑い!
いや、もうちょっと曇っていてもいいのですが。

バスから出て準備していると、早速カメラマンが。。。
すいません。うまく答えられませんでした

そうそう、「荷上げするものには重いものもありますが」とも聞かれた。
その時には考えてもみなかったが、重たい材料を運び上げたからこそだと思うが
充実感や達成感、一体感だけではなく、
歴史や伝統、人々の想い、願い。様々なものも一緒に抱え上げていたのかなと。当然軽いわけがない。

それと、前にも書いたけど、今回は明治以降途絶えていた
奥州(伊達)と北上(南部)の里宮の協力があっての事業。
金銭面での差は当然あるだろうが、造営終了後も関係が続くことを
祈りたい。
「結局 造営のお金だけが目的?」なんてことにならないように
お互いに頑張ってほしい。まあ、大変なことでしょうけどね。

いづれにしても、歴史ある延喜式内社の元宮である、現奥宮の造営に
立ち会えたことは貴重な経験であり、有意義なことであったと思う。

ちなみに、この日は30kg。都合45kgでした。
不甲斐ない。運動不足で、飲みすぎです。m(_ _)m


その後、約束してあった胆沢の於呂閇志胆沢川神社まで伺って
宮司さんに、新聞の不足情報をお伺いしてから、帰宅した。
自宅到着は2:30でした。
1275957444-s1.jpeg 1275957444-s2.jpeg 1275957444-s3.jpeg
非売品?「鳥海山」 ( No.[9]80 )
日時: 2010/07/16 19:14:58
名前: 御津垣  ID: acpl1.dI

eraさん

以前欲しがっておられた非売品の
「鳥海山」(大物忌神社発行)は、
吹浦の口之宮で、\3000で分けてくれる
そうですよ。

先日鳥海山に登った時に伺いましたので
間違いはないと思いますが。
ありがとうございます ( No.[9]81 )
日時: 2010/07/19 19:57:03
名前: era  ID: vJNhyDJ6

御津垣さん感謝です。大物忌に行く励
みになります。山形は遠いんですよね。

相変わらず神社に御奉仕頭さがります。
自分は荒らしに行くだけですからね。

今年は東北は相馬しか行けてないんで
御津垣さんの文章みて東北行脚したく
なりました。
駒形神社奥宮 竣工祭・登拝祭 ( No.[9]82 )
日時: 2010/08/09 17:47:07
名前: 御津垣  ID: etA8xZgo
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2010/08/19 23:00:50

昨年同様に陸中一宮 駒形神社奥宮 登拝祭に参列してきました。
今回は、すでにご報告の通り荷上げボランティアに参加し完成した
新しい奥宮での祭典となりました。

前日は、赤城おろしさんと悪天候の中の鳥海山登拝。
(ちょっとだけ「止めよう」というコメントを期待してました
4回ほど迷うという頼りない道案内をしてしまいました。
下山後、ガス欠の危険信号の中、急いでブルーラインを下る。
秋田側に降りると少々心配だったので、遠回りでも山形側に降りることにした。
なんとかガソリンスタンドに駆け込み給油。
そしていつも通りに「あぽん」で入浴。
ただ今回は時間がないので、カラスの行水です。

さて、やっと水沢に向う。予定到着時間は0時すぎ。。。
これはダメでしょう。>自分
実際には23時過ぎに到着。大変ご迷惑をお掛けしました。


さて、翌日登拝祭への参列は、104人。
昨年と比べると多い多い。約2倍です。
ほとんど荷上げボランティアと同じ顔ぶれ。
関係者の方々にも、顔を覚えてもらったのか声をかけられる

安全祈願・神楽奉納・記念撮影と進み、いよいよバスで
金ヶ崎ウガイ清水登山口に向います。

本当は、自分も班に割り当てられていたのですが、
人が少なくなった社殿の写真撮影したいので、
宮司さん・権禰宜さんの最終班(?)に入れさせて頂きました。

ただ、宮司さんも権禰宜さんもすごくペースが速い
ついていくのもやっと。最後に入山したのに、どんどん先の班を追い抜き
20分以上前に入山した第二班まで追いついてしまった。

途中、上賽の河原。奥宮の社を望むことができる。
「あ〜、超望遠持ってくるんだった。。。」とも思ったが、
なぜか超望遠を持参すると悪天候になるというジンクスがあるので
今日は止めておいた。(後日、超望遠レンズを持って登ったけど、
登山口で天気が良かったのにあっというまに土砂降りになりました 。)

それにしても、風が強い。
そんな状態なので、本当ならパラグライダーからの写真撮影も行われるはずで
あったのだが、安全を考えて断念となった。

漸くして頂上。修復されたご神馬3体と金幣を納められる。
その後、宮司さんが着替えている間に荷上げボランティア等、
奥宮造営の貢献者の名前があるのを拝見させて頂く。
ただ、みんな考えることは一緒。自分の名前を探す。
「あっ、あそこにあった。」とか「誰々さんのあったよ」とか。
みんな嬉しそうです
僕の名前も、なんかいい位置にありました。そんなに貢献したかな。。。
そういえば、今回参加できなかった同僚の名前も見つけたので、
携帯で撮ってメールを送ってあげた。
「このような場所に載っていいものでしょうか?」って返事。あはは

さて、そんなことをしているうちに祭典が始まります。
今回は、新しく造営されたということで大殿賀祭と鎮座祭がまず行われ、
そして奥宮登拝祭が続きます。
僕は、藩境の石の近くでの参列。今回は参列ということで写真は撮ってません。
集合記念写真があればいいのです!(本当は、ちょっと後悔。。。)


祭典の後は、御下がりのお酒を頂きます。ここで飲むお酒は最高
なぜかカメラが近づく。いい顔していたかな?
カメラマンにもお酒を勧めていた絵になってしまったような?
まあいいか。


さて、名残惜しいが下山の時刻となる。
日帰りの方々は、登ってきた道を引き返すことになる。
夏油温泉に泊まる人たちは、荷上げのお駒参道での下山。
山男4人は、厳しい夏油温泉までの道を行くようだ。
皆さんお疲れ様でした。なんか職員ぽく見送ります。

さて、僕は最後まで残って念願の写真撮影開始。
工務店の社長も完成写真撮影の為、残っていらっしゃる。
ただ、むこうはキャノンのいいカメラ。。。
自分も1Dsが欲しい。

撮影は満足。さあ、急いで下山します。
みんなが下山してから大分たっていたのだが、
出発せずに待ってくれていた。
急いでバスに乗り込み出発。
(後日、聞いた話だとバスの後を宮司さんが走ってついてきていたそうだ。
気づいていたら写真撮ったのに失敗した)

夏油温泉。山男4人はすでに一風呂浴びてひっかけていやがる。
ちょっと早すぎでしょう?自分も急いで風呂に向うが、すごい状態。
イモ洗い状態か?

漸く一風呂浴び、そして納会に参加。
ここはいつも(といっても二回目だが)通り。飲んで騒いで時間となる。
そんで飲み足りない人間(自分を含めて)は、ロビーに移動して
二次会となる。その前にビールを運んだり、プロジェクターを運んだりと
急がし急がし。

0時過ぎまで飲んで散会。
翌日の、気分は爽快。やはり温泉から参加した権禰宜さんの「ウコンのちから」
が効いているか?

朝食の後は、温泉をあとにし北上の里宮に向います。こちらは南部藩。
そして、金ヶ崎の里宮へ。こちらは伊達藩。
各々 お参りし、宮司様のお話を拝聴します。
今後も続くといいですね。こういう関係は。

このあと、水沢の本社に戻り解散となりました。
大分、最後はやっつけ仕事になってしまいましたが、
これで報告完了とさせて頂きます。



そういえば、そろそろwikiの由緒も書き換えてもらえるかな?
もう、北上の里宮とも関係も回復したしね。

そうそう、翌週の8/7鳥海山、8/8駒ケ岳と
同じことをしてました。ただ、天気は反対でしたけど。
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確認できた御朱印について ( No.[9]83 )
日時: 2010/09/18 04:22:42
名前: あず  ID: OIB8vU7U

はじめまして、御朱印をいただけた神社ですが…

伊具郡 熱日高彦神社
熱日高彦神社(角田市島田)
御朱印:あり(参道途中の社務所でいただけました。)
駐車場:?

名取郡 多加神社
多賀神社(仙台市太白区)
御朱印:あり(社域の東の宮司さんのお宅でいただけます。「莚」の字の緑色の印です)
駐車場:あり

曰理郡 鹿嶋天足和氣神社
鹿島天足和気神社(亘理郡亘理町)
御朱印:なし
駐車場:なし(参拝の際は、そばの都市公園に停めるのがいいと思います)
*境内には鹿嶋緒名太神社と位置不明の鹿嶋伊都乃比氣神社の石祠があります。





確認できた御朱印について ( No.[9]84 )
日時: 2010/09/22 18:51:05
名前: 御津垣  ID: Ny6a8CF2

>あずさん

はじめまして。
情報有難うございました。

早速リストを更新させて頂きました。
今後も情報があればよろしくお願い致します。

自分は、最近 山ばかりで巡拝の続きが滞っている状態です。


では失礼します。
確認できた御朱印について ( No.[9]85 )
日時: 2010/09/27 02:31:33
名前: あず  ID: .NUDG29U

>御津垣さま
こちらの掲示板にはお世話になっております。自分も近隣の神社ばかりな生活です どうぞ登山の際はお気をつけ下さいませ。

昨日、多珂神社(南相馬市原町区)などを兼務している相馬小高神社で伺ったのですが、多珂神社など兼務社はほとんどの日が無人で、祭典日などしかいらっしゃられないそうなので事前に確認したほうがいいようです。
瀧山神社登拝 ( No.[9]86 )
日時: 2010/10/25 21:38:09
名前: 御津垣  ID: BQyPjv5s
編集: 【回数】 3回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/08/22 21:20:56

それは、夏の暑い盛りのこと。
実家から転送されて届いた暑中見舞い。

送り主は、蔵王温泉の旅館山形屋。
「國史見在社 酢川温泉神社」宮司様の旅館からであった。

印刷の文面に、手書きの文がつづく。
『竜山神社が昭和二年頃建立されて大変古くなりましたので
今秋から明春にかけて新しく建立される事になりました。』


瀧山神社(竜山神社)は、西蔵王の瀧山山頂に鎮座する神社である。

瀧山は、刈田岳、熊野岳、地蔵岳などと比べて知名度は低いが、
蔵王はもちろん、山形市街、朝日連峰、月山、鳥海山と眺望に優れ、
コースも変化に富み、かつ比較的簡単に登ることができる。
自分は、名山の一つだと考えている。


瀧山神社(竜山神社)の由緒の概略は以下の通りである。
参考: 『山形の蔵王』 山形市観光協会発行
-----------------------------------------------
708(和銅元)   岩波石行寺、行基菩薩開基、観音堂創建
709(和銅2)   半郷松尾院、行基菩薩開基と伝える。
834〜(承和年間) 龍山開山のため、口の宮・堀田山神社開基と伝える。
851(仁寿元)   瀧山神社創立。
           離宮熊野神社(現 蔵王山神社)
           口の宮酢川温泉神社と、三社一宮。
867(貞観9)   最上郡霊山寺、定額寺指定。三百坊栄える。
873(貞観15)  朝廷、酢川温泉神に、従五位下。
973(天延元)   龍山惣門・鳥居ヶ丘石造明神鳥居、建立と伝える。
1109(天仁2)  成沢八幡神社石鳥居、建立と伝える。
1187(文治3)  西行法師、来訪。
1258(正嘉2)  北条時頼、龍山三百坊の腐敗・堕落・横暴を怒り、
           閉山させたと伝える。
           瀧山山頂から今の中桜田に遷座。
1865〜(慶応年間)西蔵王高原に、慶応年間に建立と見られる、
           三百坊石鳥居が残っている。
-----------------------------------------------

5月の例祭では、三地区
 「蔵王温泉」※1
 「神野(かんの)」※2
 「中桜田」※3
の氏子が、瀧山に登拝し祭典を続けている。

※1 酢川温泉神社の奥宮でもある。

※2 蔵王温泉から見て、瀧山の反対側。
   瀧山三百坊があった場所。最上石鳥居も有名。

※3 国道13号。東北芸術工科大学付近。
   口宮(里宮)が鎮座。


瀧山には、ここでも書いているが昨年5月に登拝している。
御社殿の状態が良くないことは実際に目にしていたし、
山形屋に逗留した際に宮司様から建て直しの考えがあることも
聞いていたが、予想外に行動が早い。
昨年の登拝の頃は、まだカメラの機能を把握してなかったので、
いずれ撮り直しをしなくてはいけないと考えていたのだが、
今秋までに伺う必要がでてきた。

しかしながら、秋までは他県での用事(70%駒形神社さん)で
身動きができない。
実際の行動には、10/16まで待つことになった。

その週は珍しく問題の多い週であった。
出発の金曜日も問題対応の為の残業を強いられた。
疲労した体に鞭を打つように、急いで帰宅し荷物を詰め込む。
一路、山形蔵王へ。

東北道の渋滞もなく、順調に距離を稼ぐ。
途中休憩をはさみ、瀧山前のゲレンデ駐車場に到着は6:00過ぎ。
天気予報では、晴れの予想であったが雨が降り始める。
ついさっきまでは、晴れていたのになんという天気の変化であろう。
今回は、撮り直しがメインなので、雨なら登拝はしない。
車中で眠りながら天候の改善を待つことにした(不貞腐れてます)。
天候の改善が見られたのは10:00過ぎ。
漸くである。天気予報はやはり当てにならない。

もろもろ用意をし、登山口出発は10:20。
特に迷うことはない。ほとんど一本道。
途中、蔵王温泉が一望できる場所、火口壁が見える場所などで
休憩をとりながら、頂上到着は11:18。
帽子が飛ばされるほどではないが風が強い。
下で晴れていたのに、また曇ってしまっている。

参拝後、食事をしながら天候の改善を待つことにした。
風除けのため、御社殿の前の茂みに背を預けるようにして座り込み
ラーメンを作る。はー、風で寒かったからスープの暖かさが有り難い。

しばらくすると、別のコースから2組の登山客。
寂しかった頂上が賑やかになる。
時間があれば、刈田岳まで縦走しても楽しいのだろうけど。。。
登りはじめも遅かったし、まだ天気が回復していないので
動くこともできない。今日は、ここだけで諦めよう。


どのくらい待ったのだろうか。
風で雲が飛ばされ、青空を覗かせる。
日の具合も考え、ここだというタイミングで急いで撮影。
決して満足のいく状態ではないが、このコンディションでは仕方がない。

撮影後は、寒いので急いで下山。
さっさと着替えよう。着替えていると後ろから声が。。。
目の前の喫茶店の方だった。
珍しいナンバーだったので、下山するのを待っていたようだ。
山の様子や、神社の話をしているうちに、時間も過ぎていく。
その後、立ち話もなんなのでということで、喫茶店でコーヒーを
ご馳走になりながら、ゆっくりお話をした。
しかし、ご馳走にばっかりになってはと、
程よい(?)時間で、退去することに。

2:00ちょっと過ぎ。
大分早いが、荷物だけ預けて外湯にでも入ろうと山形屋に。
玄関に入ると、社長さん(宮司様)がお出迎え。

とりあえず、荷物を部屋に入れさせてもらってから
酢川温泉神社に参拝することにした。
その後、再度宿に戻って、カメラを置いてから公衆浴場に。
残念ながら、宿の前の「上湯」は工事中。
ちょっと道を下って、「下湯」に。
はー、いい湯だ。肌がつるつるになります。
そうそう、自分は知らなかったが蔵王の湯は、全国で二番目に酸性が強いらしい。

その後は宿に戻り、夕食まで部屋でのんびり。
夕食は、今回は軽めに。
前回は蔵王牛コースだったが、ちょっと量が多すぎたので。

夕食後、今度は宿のお風呂を頂いたら、
宮司様をつかまえていろいろ質問。
(すいません。お疲れのところm(_ _)m)

まず建立のスケジュールから。
なんか、自分が聞いてくることを分かってらっしゃったようで、
いろいろ資料を用意してくださっていた。
三地区合同の会合でのメモからだと以下の通り。

瀧山神社建立スケジュール
2011年
 5/8  瀧山神社例祭
      神社清祓
 5/10 解体工事開始
 5/13 ヘリコプター資材運搬
 5/15 基礎工事
 5/30 落成式


下で、組んだ御社殿を一度解体して、ヘリで運搬。
頂上で再度組み立ての算段らしい。

また、御社殿の装飾案など色々とお話もあった。
装飾については、酢川温泉神社の元宮である薬師神社にある飾り
蟇股(かえるまた)を同じようにつけるのも一案らしい。

ちなみに、この薬師神社の蟇股(かえるまた)は、
昔は十二支分あったらしいが、盗難で丑と兎のみしか
残っていなかったとのこと。
しかし、東北芸術工科大学の方々が、他の干支の彫刻の作成や、
残っていた丑と兎の修復をしてくださったらしい。
いい話だ。

ちなみに、東北芸術工科大学は、酢川温泉神社の扁額もその後
修復していたようだ。


夜も遅くまで、お話していたが、さすがに明日に響くので
部屋に戻ることにした。
その際、資料を5冊ほどお借りした。
これは、自分はまだまだ寝れそうもないな〜
と思いつつも、時間を忘れて読みふけっていたのだった。

(借用した資料)
・東北芸術工科大学 蟇股製作報告
・東北芸術工科大学 扁額修復報告
・蔵王温泉観光協会発行案内(復刻版)
・吉備津彦関係本 
  ※蔵王温泉は、吉備津彦と関連があるようだ。
   日本武尊に従軍し、蔵王温泉に縁のある吉備多賀由がそれのようだ。
・ヘリコプター荷上げ写真資料


翌朝、資料はちゃんと返却。
その後は、地蔵岳・熊野岳・刈田岳まで登り、宮司様の宿で改めてお風呂を頂いてから帰宅しました。
ちょっと疲れたけど、よいリフレッシュとなりました。
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姉体新山神社(奥州市) ( No.[9]87 )
日時: 2011/06/23 18:12:00
名前: 御津垣  ID: LBwvhbPI
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/06/23 18:34:59

新山神社
【御祭神】天津彦穂邇邇藝命、大日霊命、建御名方命
【祭祀】 例祭 4月16日
【鎮座地】奥州市水沢区姉体町字天神林28
【旧社格】村社
【駐車場】なし


岩手県大槌町の災害ボランティアに参加した翌日に
奥州市内のこちらの神社に参拝しました。

ちょうど、例祭の前日であった為、
社務所には氏子総代の方々が集まっておられた。
震災の影響だが、境内は問題ないように見えたが、
社号標付近の石碑は無残な姿となっていた。

さて、この新山神社については、
奥州市に編入前の前沢町史において、以下のような記述がある。


前沢町史 P.258〜260 該当箇所抜粋
------------------------------------------------------------------------
〜前略〜

以上は「延喜式」に出る「胆沢七社」であるが、これに別説がある。
出典の根拠は明らかでないが、
 ○和我叡登挙神社
 ○胆沢川神社
 ○石手堰神社
の三社に替って、

 ○鎮守府八幡宮
 ○新山神社
 ○若宮八幡宮
が入り、磐神社、駒形神社、於呂閇志神社、止々井神社と共に、
この七社が「胆沢式内社」という伝承が古くからある。

〜略〜

○新山神社
 水沢市姉体町(旧下姉体村字天神林)に在り、
延暦二十年(801)坂上田村麻呂の勧請、大同二年(807)社殿創立と
伝えられている。中世葛西氏ならびに胆沢の地頭柏山氏の寺領及供物料の寄進、
近世伊達氏の参勤をみるなど由緒ある神社である。

〜略〜

しかし、この三社は「延喜式」に見えないから、
その意味では「式内社」といえないが、いずれも安永風土記にも書かれ、
共に古くからあった神社にはまちがいない。

------------------------------------------------------------------------

根拠が明らかではないのに、
なぜこのような記載ができたかのかは分からない。

もしかしたら、神社の由緒にそのような記述があるのか?
と、岩手県神道青年会で由緒を見るもそのような記述は見えない。
所管している駒形神社宮司にも確認し、
氏子さんたちが作られた資料(※)を見せて頂いたが、
それらしい記述を見つけることはできなかった。


結局 新山神社が、延喜式内社か否かについては、
土俵に上がる以前の問題(記述資料がない)であった。
ただ、創建年代も古く、非常に由緒があり
また、地域の鎮守様として慕われていることは
間違いないだろう。


※大変失礼な言い方だが、村の鎮守様レベルの神社では、
 非常に立派な資料であった。
 氏子さんたちの熱意がうかがえた。


写真
 ・社頭
 ・拝殿
 ・参道入口
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温海熊野神社その1 ( No.[9]88 )
日時: 2011/06/29 23:44:37
名前: 御津垣  ID: tSYUbgMo
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/06/29 23:49:27

熊野神社
【御祭神】由豆佐賣神、大己貴命、少彦名命
【祭祀】 例祭 5月3日
【鎮座地】鶴岡市温海湯温海67
【旧社格】県社
【駐車場】なし


出羽国田川郡由豆佐賣神社といえば、当然 湯田川温泉の由豆佐賣神社である。
主な式内社関連著書にもそのように記述されており、
誰も疑うことはないであろう。
自分もその一人であった。山形県神社誌を見るまでは。

同じ鶴岡市の温海温泉、そこに鎮座する「熊野神社」由緒に
式内由豆佐賣神社であると記載されているではないか。

もちろん、それをそのまま信じることはできないが、
ただ、式内社の著書を妄信してもいいものであろうか?

そんなことで、素人に結果なんて出せるわけないが、
(忙しいからやめとけばいいのに)調べ始めたのであった。
もちろん調査するにしても限界がある。
調査は、主に本によるものになるが、残念ながら資料は少ない。
いづれは伺って直接関係者に確認してみようと考え始めた。
当時は2010年冬。春を待つことになった。


やがて春。
山形出身の同僚が出産の為、山形市に戻っており
その出産後の冷やかし、ん? ごほん、お見舞いついでに
とりあえず伺うこととなった。
いや、大分失礼な感じだな。これ。。。

新潟経由で北上。道の駅あつみ「しゃりん」にて車内泊。
先日、大槌でのボランティアや、陸前高田の氷上神社へのお見舞いで
被災地を見ているので、以前と違い海沿いに長く留まるのは若干怖い。

翌朝、温海温泉に向う。
車を林業センターに停め、早速神社へ。
温泉街は満開の桜である。温海川沿いの桜並木は見事である。
足湯や、休憩所はよく整備されている。
なぜ、このような時にカメラを忘れてしまったのだろう?

神社に参拝する。非常に大きな神社だ。
ただ、神職は常駐されてないようだ。

簡単な由緒等ないか、地元の観光協会に向う。
実は、道の駅にいる間、携帯で「温海嶽開山祭・登山会」の情報を
入手していたので、そちらの申し込みをしようとも思っていた。


観光協会にはすぐに到着。
当然かも知れないが、見ず知らずの自分にも気持ちよい対応をして頂いた。
上記の申し込み後、由緒について伺うと『温海嶽』に関わるリーフを
わけて頂いた。

熊野神社に関わる記述もあり、それは以下の通りである。



「温海温泉観光協会リーフ」
------------------------------------------------------------------------------
 温海嶽の山頂には「熊野神社」の本殿が祀られている。社伝によれば養老5年
(721年)に僧行基が紀州熊野権現を勧請したとあるが、素朴な山岳神として
かなり古くから信仰されてきたものと思われる。温泉が湧出すると温泉神として
の性格も併せ持つようになり、湯蔵権現と崇め湯蔵権現堂を建立し祀った。
 大和朝廷の中央勢力が、越後から荘内に進出したとき、最初に接した山岳神は
温海嶽と摩耶山であったろう。平安中期926年に編纂された「延喜式」神名帳
に登載されている出羽国田川郡三座の一つ「由豆佐売社」は、
湯田川の由豆佐売神社ではなく、温海嶽の神であると主張してきたが、
昭和20年(1945年)主祭神を櫛御気野命から由豆佐売神に訂正の申請を
して内務省より承認された。式内社の「由豆佐売社」は温海嶽にあったという
ことが公式に認められたわけである。
 温海嶽は、はじめ周辺村落住民の山岳神としての信仰をうけ、浜温海の社人が
祭祀を行っていたが、いつの頃から金峰山南頭院系の修験が山麓の平清水に住み
つき、温海村の発展と共に次第に発言力を増し、社人との間にしばしば紛争を
おこした。
 戦国期の荘内領主武藤氏の祈願所として社領500町歩を、また120石を
与えられていた。江戸時代には荘内藩主酒井公の祈願所として崇敬され、
周辺氏子村落からの各登拝路も整備され、平清水の上の長床に拝殿が創建され、
信仰登山も盛んになった。今も、山中のそこここに往時をしのぶ古い石碑や祠が
埋もれていたり、修験者が篭ったという岩屋なども残されている。
 現存する山頂の本殿は天明3年(1783年)に造替完成したものであり、
また拝殿は、大正11年(1922年)に長床から現在地に移し建立したが、
昭和26年(1951年)の温海大火で類焼したため昭和33年(1958年)
に改築したものである。
 温海嶽熊野神社の氏子は今は、温海・湯温海・湯の里・一霞・釜石坂・米子・
暮坪・小菅野代の8集落で、5月3日に例大祭が斎行される。神事芸能として、
獅子舞(二人立獅子)、巫女舞が伝承され、祭時等に奉納されている。
 社領(境内地)は広く、温海嶽の山域のほとんどを含む約280町歩ある。
------------------------------------------------------------------------------


その2(温海嶽開山祭)へつづく。
温海熊野神社その2 ( No.[9]89 )
日時: 2011/07/04 18:08:20
名前: 御津垣  ID: 4oIP4DNc
編集: 【回数】 5回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/07/05 13:02:23

5/15本日は、『温海嶽開山祭・ブナの森登山会』である。
天気もまあまあといったところだ。雨男など言わせないぞ

今回の参加目的は、山頂の熊野神社本殿への登拝。
温海嶽については、あまり情報がなく一人で登ることに気後れしていた。
そんな時に、このようなイベントを知りいそいそと申し込みをした次第。


前回あれほど見事だった桜はすでに葉桜、
若い緑が川沿いの風になびいていた。
ああ、カメラを忘れたことが大変悔やまれる



集合は7:30熊野神社拝殿前。
登山の集合時間としては遅いくらいだが、標高からいってこのくらいなのだろう。
若干早く到着したが、受付はできるようであったのでさっさと済ませる。

受付では、下山後のお風呂をどこにするか、くじ引きで決めていた。
まあ、関東でも知られる萬國屋とかは入浴料も高いし、
これはこれで公平なのでしょう。
自分はといえば。。。まあまあ^_^;。ご想像にお任せします。

登山ルートについての説明。
今回は、残念ながら保険の関係でピストン行程。拝殿跡には行かない。
まあ、仕方がない。楽しみは次回に残しておこう。

え〜、一番遠いということで、玉串奉奠よろしくとのこと
数年前の自分なら「えっ?」という感じでしょうが、さすがに今は余裕もある。
(伊勢原の高森神社ではテンパってたけど)


やがて、宮司様がおいでになり、いそいそと開山祭祭典の準備を開始する。
話しかけるにもお邪魔かなと思い、ひと段落するまで、境内で写真を撮影。
朝方は逆光になるようだ。

写真撮影もほどなく完了。
宮司様の様子を伺って、由緒について確認してみる。
神社誌を見て参加という理由に大変驚かれていた。
由緒等重要な資料は、大方 昭和初期に焼失してしまったらしい。
現存するものを下山後に分けてもらうことになった。
御朱印も分けて頂けることになり、朱印帳を預けておくことにした。

「開山祭・安全祈願祭」。厳かに式典はすすむ。
自分は玉串奉奠の関係で前方に参列。
当然 式典の写真はない。※
 ※式典の写真を参照されたい方は、
 「温海温泉 旅館かしわや」ブログをご覧ください


登山は、拝殿左側の登山口より開始。
参加は60人ほどになる。ちょっと多いけど大丈夫か?
アスファルトの道の後、沢沿いを進む。
滝なども多く、景観に富む。マイナスイオンが一杯。なんか癒される
やがて沢沿いの道から未舗装の林道にでる。

その後は、『ブナの森遊歩道』である。
この遊歩道は、「温海嶽を愛する会」の方々が、
切り開いたものとのこと。温海嶽に対する愛情がうかがえる
そうそう「山と渓谷4月号」にも掲載されたようだ。

ただ、この道、沢を回りこむ細い道もあり、結構スリリング。
自然に視線は下に、慎重に歩を進めることになる。

突然、前方から悲鳴。
「なんだ!」顔を上げる。
自分の直前を歩いていたパン屋の女将さんが、
遊歩道にせり出した立木にぶつかっていた。
そのまま後ろにのけぞり、沢に落ちてゆくではないか!
それはまるでスローモーションのようであった。

この沢には名も無かったが、これ以降「パン屋沢」と
名が付けられるだろう。。。

などと冗談を言っている場合ではない

幸い、沢は浅く、受身も取れていたので、怪我はないようだ。
沢を登り、遊歩道に復帰。しかし、ズボンはびしょ濡れ状態。
話を聞くと、やはり下向きに歩いた為、立木に気がつかなかったらしい。
立派な木であるが、この場で切り倒すことに決まった(?)

頂上への所要は、約2.5時間。
参加者全員に配慮した為、標準と比べて大分遅い感じだ。

自分は、念願の熊野神社本殿に参拝。
参加者に御神酒が振舞われる。
車で先回りされたのか、宮司様は正装でいらっしゃった。

宮司様を中心に全員で記念撮影。
その後、昼食となった。温海嶽山頂部は平地が多く見晴らしもよい。
登山の道程で、採取してきた山菜等含め沢山ご馳走になってしまった。
あれ?お昼買ってこなくてよかった感じだぞ。

昼食中、山頂から見える山々について説明して頂いた。
月山、朝日、飯豊、鳥海など。摩耶山と日本国がまたいいらしい。
海側では、鼠ヶ関の向こうに粟島がみえる。
残念ならが、佐渡ヶ島までは見ることはできなかった。



楽しい昼食の後下山。
他ルート(旧拝殿地)には未練があるが、
今回は団体行動。諦めましょう。。。

沢沿いの道の、下山は慎重に。
みんな無事に熊野神社里宮に到着です。


直会殿では、孟宗汁のふるまい。
なぜか?自分が参加した感想を述べることになった。。。
テンパって何言っているかよく分かりません
そういうことは、事前に言っておいてくださ〜い。

そんな余談はともかく。
登拝前にお話しておいた資料と御朱印を宮司様より頂く。
資料の内容は、下記の通り(宮司様より掲載許可済み)。

正直なところ、式内社としての根拠資料としては弱い感じである。
資料が焼失、存在しないことが惜しい。
(縣社には昇格している)

ただ、現状 否定する資料もないので、
式内由豆佐賣神社は論社2社として掲載してゆくつもりだ。
そして今後も引続き調べていこうと考えている。
(でも最優先は、胆沢川神社だけど。。。焼石登らんと)

いずれにしても、温海が、
 お湯よし
 人よし
 自然よし
と、三拍子揃った場所であることは間違いないであろう。
高速のICもできることで、今後の益々の発展を期待したい。


また、秋の閉山祭登山にも参加したいと思う。
きのこ汁じゃ〜


熊野神社縣社昇格考證課通過論文
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本社を以て延喜式内社由豆佐賣神社に充つるに就ては古来他に論社の存在あるを以て、
今遽かにそれと決定するを得ず然れども地方の古社にして蓋し武藤氏の頃より
領主の崇敬を受け祈祷を命ぜられたる際には本社より守札を献ずるを例とせるが如し、
江戸時代に入りて元和年間酒井氏藩主として入部するや爾後同氏累代の崇信を
受く、今其の主たる事項を挙げれば社地平清水より蝋漆役を免除したる事、
社殿の榮造の時に大壇那となりたる外城下及群中へ勧化を許し又木材を給したる事
藩主巡國又は入湯の際には代参を派し祈祷を命じ初穂を献ずるを例としたる事等にして
就中宝永六年長床を建立翌七年引続き社堂造立の時には大壇那と為りて
之が工を起したるは見るべき事實とす其他獅子頭の廻村を許し
天明二年忠徳の代棟札論争の時之が和解に努めたる等藩主との交渉頻りにして
その事歴見るべきものあり
 思うに本社は古くより巨多の山地を有し多数の社坊を擁し社運甚だ有勢なるに
加之此の地温泉湧出せるを以て自然藩主との関係を密接ならしむるに至りしもの
なるべし、上述の如く本社は地方の古社にして領主、藩主の崇敬見るべきものあるを
以て由緒上縣社に昇格せられ支障なしと認む

 昭和十一年十二月二十六日
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写真
 ・里宮拝殿
 ・温海嶽本殿覆屋
 ・熊野神社本殿
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確認した御朱印について ( No.[9]91 )
日時: 2011/08/09 23:45:24
名前: ヨルカ  ID: IKWw9iLM
参照: http://ameblo.jp/idjericho/

こんばんは、私が確認しました御朱印について御報告いたしますね。

信夫郡 鹿嶋神社
鹿島神社(福島県伊達郡国見町)
御朱印 : あり
駐車場 : あり

柴田郡 大高山神社
大高山神社(宮城県柴田郡大河原町)
御朱印 : あり
駐車場 : あり
(駐車場は参道の鳥居から国道4号線を白石方面に少し走ったところ、社殿の真裏辺りに位置しています。)
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古川・志波姫神社について ( No.[9]92 )
日時: 2011/09/02 16:22:07
名前: あず  ID: RmpYKShI
参照: http://www.panoramio.com/user/2662284

いつも拝見させていただいております、あずと申します。

大崎の志波姫神社ですが、先月参拝したところ宮司さまが帰幽されたそうで、
御朱印やご祈祷など神社にご用の方は事前にご連絡いただきたいとの伝言でございました。よろしくおねがいします。
古川・志波姫神社について ( No.[9]93 )
日時: 2011/09/03 12:01:11
名前: 御津垣  ID: CDV2jqGE

あずさん

お久しぶりです。
音沙汰がなく、少々心配しておりました。
そちらの状況が分かりませんので、
ご無事でなによりですとは簡単には言えませんが、とりあえず安心しました。

さて、リストに情報を追記させて頂きました。
有難うございました。


そういえば、最近eraさんも見かけません。
東北によく行っていたみたいだけ大丈夫かな?
鼻節神社に行ってきました! ( No.[9]94 )
日時: 2011/09/04 15:50:37
名前: あず  ID: 9yuMrvQY
参照: http://www.panoramio.com/user/2662284

>>御津垣さま
ご心配のお言葉ありがとうございます。

自分の住んでいる亘理町は、報道の通り沿岸部が壊滅的な状況を被りました。
3つある式内社はすべて古代の街道があった山沿いにあるため、灯篭などを除けば被害は少ないと思われます。
ただ、益多嶺神社や多珂神社を担当している相馬小高神社などは原発の関係で参拝できないそうです。
福島の神社については、ヨルカさんのブログに詳しく書いてあると思います。大高山神社の御朱印、いいですねえ。
( ヨルカさんのブログではBachstelzeでお世話になっております( ´∀`) )

残念ながら、浪江町の苕野神社は社殿ごと流出してしまいました。
悠久の歴史を持つ貴重な神社がなくなってしまったことが悔やまれます。
去年参拝したときに宮司さんご夫妻にいただいた苕野神社の御朱印と東北式内社マップは思い出の品です。

本日、七ケ浜町の鼻節神社に参拝しました。灯篭と社務所以外はボランティアの方々により
修復されたため参拝できました。ただ、参拝の際は道が分かりにくくなっており、津波により
未舗装路が増えているのでご注意ください。
御朱印を柏木神社でいただきましたが、津波は社殿目の前まで来たそうです…。
あれ…… ( No.[9]95 )
日時: 2011/09/13 22:32:26
名前: ヨルカ  ID: t4pf3zLM
参照: http://ameblo.jp/idjericho/

御返事を書こうと思ったら消えてた…… (;´・ω・)

赤城おろしさん、田出宇賀神社の情報ありがとうございました!
社務所と本殿の配置が逆だとか、参拝しただけでは分からない部分まで分かって非常に参考になりました(`・ω・´)

南会津は行きたいところがたくさんあるんですが、なかなか行く機会も無く……
冬になったらまず行けなくなるので、早めに行く機会を作りたいです。
あれ…… ( No.[9]96 )
日時: 2011/09/14 07:56:45
名前: 赤城おろし  ID: NZsFtwDQ

>ヨルカさん
> 御返事を書こうと思ったら消えてた…… (;´・ω・)

 レスありがとうございます。
 スンマセン  10日、龍口神社の例大祭に参加させて頂き、そのあと田出宇賀神社・熊野神社へ御朱印を頂きに参りました。その後、只見に行き滝神社と三石神社をお参りしたのですが、この2社(に限らず、この辺りの神社の殆ど)を兼務してるのが田出宇賀神社の宮司さんで御朱印を頂きました。

 …で、そのことを踏まえて編集しようといぢっていたら… 消えてしまいました(^_^;)
 すいません。どうやら意図だけは伝わったようなので、いずれ訪問記事書いて埋め合わせします。
御朱印について ( No.[9]97 )
日時: 2011/09/17 16:20:55
名前: あず  ID: tc1ywgbI
参照: http://www.panoramio.com/user/2662284

こんにちは、いつもお世話になっております!
御朱印についての報告です。

伊具郡 鳥屋嶺神社
鳥屋嶺神社(伊具郡丸森町)
御朱印:あり
駐車場:あり
 本務社の小斎鹿島神社でいただけました!

あと、津波で流失してしまった浪江町請戸の苕野神社や、
現在原発事故のため参拝できない益多嶺神社、某かんなぎで有名な鼻節神社などの
御朱印の画像を貼ってみました。何かの資料やこういう神社があったという記憶にでもなれば…と思います。

鼻節神社の御朱印にある「国府厨印」は、鼻節神社で明治時代に発見されたもので、
海産物調達の際に西暦840年以前に国府多賀城で使われたものではないかと言われる印章です。
1316244055-s1.jpeg
栗駒郡表刀神社の御朱印について ( No.[9]98 )
日時: 2011/09/24 11:15:27
名前: ヨルカ  ID: y5tG/TMo
参照: http://ameblo.jp/idjericho/

先日駒形神社に参拝しまして。
帰りがけに大崎市古川の斗瑩稲荷神社にお参りして御朱印を頂いたんですが。
その際に、兼務されている、

栗原郡 表刀神社
表刀神社(大崎市古川小野)
御朱印:
駐車場:あり
特記:
  本務 斗瑩稲荷神社

についてお伺いしたところ、「御朱印は有るんだけどもハンコ類は総代さんに全部預けてある」そうで……
その時にはいただけませんでした。
預けてある御朱印がいつ戻ってくるのかも分からず。。。

>赤城おろしさん

おお……そういうことでしたか……!
というか、滝神社に三石神社…!
以前に三石神社の社殿の画像を見てからというもの、行ってみたかったんですが御朱印がいただけるとは……!
今度南会津にお参りしたら是非チェックしてみます(`・ω・´)


>あずさん
原発で入れない地区の神社の御朱印、素敵なのが多いですね……
近々南相馬市の緊急時避難準備区域の指定が外れるそうなんで、
30キロ圏→20キロ圏になれば小高神社・益多嶺神社は参拝可能になるんですが、
除染が進むかどうかがカギですねえ……
御朱印報告です! ( No.[9]99 )
日時: 2011/09/26 21:21:43
名前: あず  ID: zCtd5c/E
参照: http://www.panoramio.com/user/2662284
編集: 【回数】 4回   【名前】 あず  【最終日時】 2012/01/05 00:34:46

お世話になっております、あずでございます。
御朱印についての報告です。

多賀神社(宮城県名取市高柳字下西12)
御朱印:あり
駐車場:あり
 ※車がない場合は、名取駅からバスやレンタサイクルでもいけます。

津波で被害を受けた閖上の近くですが津波の被害も少なく、
社殿も以前と同じく荘厳なままでした!
御朱印のご報告 ( No.[9]100 )
日時: 2012/01/05 00:38:18
名前: あず  ID: d4oeQ9vc
参照: http://www.panoramio.com/user/2662284
編集: 【回数】 1回   【名前】 あず  【最終日時】 2012/01/14 23:44:46

あけましておめでとうございます〜。ご報告です。

宮城郡 伊豆佐賣神社
伊豆佐賣神社(宮城郡利府町)
御朱印:なし
駐車場:なし
 宮城県宮城郡利府町神谷の熊野神社が兼務しています。

黒川郡 行神社
行神社(黒川郡富谷町)
御朱印:なし(ただし、熊野神社・行神社用の神璽朱印と両社名の墨書をいただくことはできました)
駐車場:なし、参道入り口付近へ止めるのがいいかと。
特記:
  本務の熊野神社でいただきました

黒川郡 須伎神社
須岐神社(黒川郡大衡村)
御朱印:あり(墨書なしの御朱印のみ)
駐車場:あり

☆2012年1月14日追記です☆
伊具郡 鳥屋嶺神社
鳥屋嶺神社(伊具郡丸森町)
御朱印:あり
駐車場:あり
特記:
  本務 小斎鹿島神社

あと、伊去波夜和氣命神社(石巻市大宮町)の御朱印なんですが、
今日参拝して聞いたところ、大震災の大津波で御朱印が流出してしまったそうです。
現在は御朱印の代わりに朱墨で社名を記入することで対応していただけました。

御津垣さんもmixiしてらっしゃったんですね!自分もしてるんで足跡残して見ました( ´∀`)
御朱印のご報告 ( No.[9]101 )
日時: 2012/04/05 23:22:07
名前: 御津垣  ID: qPFeHN8g

あずさん

記事見逃してました。。。
今は、4月。何をやっているのか。。。

mixiの足跡って、もう消えてしまったみたいです。
気づかずに申し訳ありません。

御朱印は、流されても作れますからね。

瀧山神社 ( No.[9]102 )
日時: 2012/05/04 16:53:08
名前: 御津垣  ID: cxDtG2kU

No.86記事の『瀧山神社』。

ずっと忘れていましたが、
昨年無事に建替えられてました。

お話のあった「蟇股(かえるまた)」は付いてませんが、
昨年登拝したときの写真を掲載します。

写真
 瀧山神社
 瀧山頂上
 瀧山頂上より山形市街方面。先に月山。
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鳥海山と山頂美術館 ( No.[9]103 )
日時: 2012/05/04 18:23:23
名前: 御津垣  ID: cxDtG2kU
編集: 【回数】 3回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2012/05/04 18:28:38

とうとう東北スレの第一弾もこれで終わり。
終わりを飾るのは、自分の好きな鳥海山で。

鳥海山大物忌神社の本社が鎮座しているので、
一宮巡りなどで訪れる方も多い。

昨年、この神社の参篭所に個室ができた。
個室料金を払えば、落ち着いて滞在も可能というわけだ。
(混み具合で大部屋扱い、個室の使用は出来ない。)

さて、この個室であるが実はちょっとした美術館を兼ねている。
毎年、作品を募集する形式のようであるが、
部屋毎に作品が異なりテーマがあるようだ。


山頂美術館の松本館長は、開山に向け
現在 作品の募集活動に大忙しのようだ。
今年はどんな作品が展示されるのであろうか。


写真:
 チョウカイフスマ、本社と社務所
 鳥海山頂美術館館長
 鳥海山大物忌神社全景


館長のブログ:
http://ameblo.jp/chairobrand/

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