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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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姉体新山神社(奥州市) ( No.[9]87 )
日時: 2011/06/23 18:12:00
名前: 御津垣  ID: LBwvhbPI
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/06/23 18:34:59

新山神社
【御祭神】天津彦穂邇邇藝命、大日霊命、建御名方命
【祭祀】 例祭 4月16日
【鎮座地】奥州市水沢区姉体町字天神林28
【旧社格】村社
【駐車場】なし


岩手県大槌町の災害ボランティアに参加した翌日に
奥州市内のこちらの神社に参拝しました。

ちょうど、例祭の前日であった為、
社務所には氏子総代の方々が集まっておられた。
震災の影響だが、境内は問題ないように見えたが、
社号標付近の石碑は無残な姿となっていた。

さて、この新山神社については、
奥州市に編入前の前沢町史において、以下のような記述がある。


前沢町史 P.258〜260 該当箇所抜粋
------------------------------------------------------------------------
〜前略〜

以上は「延喜式」に出る「胆沢七社」であるが、これに別説がある。
出典の根拠は明らかでないが、
 ○和我叡登挙神社
 ○胆沢川神社
 ○石手堰神社
の三社に替って、

 ○鎮守府八幡宮
 ○新山神社
 ○若宮八幡宮
が入り、磐神社、駒形神社、於呂閇志神社、止々井神社と共に、
この七社が「胆沢式内社」という伝承が古くからある。

〜略〜

○新山神社
 水沢市姉体町(旧下姉体村字天神林)に在り、
延暦二十年(801)坂上田村麻呂の勧請、大同二年(807)社殿創立と
伝えられている。中世葛西氏ならびに胆沢の地頭柏山氏の寺領及供物料の寄進、
近世伊達氏の参勤をみるなど由緒ある神社である。

〜略〜

しかし、この三社は「延喜式」に見えないから、
その意味では「式内社」といえないが、いずれも安永風土記にも書かれ、
共に古くからあった神社にはまちがいない。

------------------------------------------------------------------------

根拠が明らかではないのに、
なぜこのような記載ができたかのかは分からない。

もしかしたら、神社の由緒にそのような記述があるのか?
と、岩手県神道青年会で由緒を見るもそのような記述は見えない。
所管している駒形神社宮司にも確認し、
氏子さんたちが作られた資料(※)を見せて頂いたが、
それらしい記述を見つけることはできなかった。


結局 新山神社が、延喜式内社か否かについては、
土俵に上がる以前の問題(記述資料がない)であった。
ただ、創建年代も古く、非常に由緒があり
また、地域の鎮守様として慕われていることは
間違いないだろう。


※大変失礼な言い方だが、村の鎮守様レベルの神社では、
 非常に立派な資料であった。
 氏子さんたちの熱意がうかがえた。


写真
 ・社頭
 ・拝殿
 ・参道入口
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