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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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氷上山登拝。迷子とクマさんと氷上神社 ( No.[9]9 )
日時: 2009/10/05 13:52:03
名前: 御津垣  ID: AYCkJBFw
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/10/13 14:18:48

奥宮の話の後、陸前高田の氷上山に登ることにした。
天気はちょっと曇り、今日までは大丈夫のはず。

13:30。中央コース中間にある「赤鳥居」到着。
折角なので表参道、ただし中間位置まで林道を使い車です。
すでに、2台駐車している。途中「すずらんコース」にはなかったが
こちらは時間が短くてすむので、こんな曇天でも登山客はいるようだ。
ああ、なんかすでに曇りです。「ちょっと」ではなくなった。

ささと登拝して下山しよう。2時間もあれば?
いざ!というところで携帯が鳴る。駒形の権禰宜さんからだ。
於呂閉志胆沢川神社の宮司様に会えたかどうか心配しての電話だった。
あれだけ前日騒いでいたので、心配されても仕方ないか。
とりあえず問題なかったいうこと、これから氷上山に登ることを伝える。
反応はご想像にお任せします。

登拝開始。途中、下山の2組とすれ違う。
しかし、1組目は多すぎ。乗れないよな?
45分後、祈祷ヶ原到着。奥宮の3社は独立して鎮座しているので
少々面倒である。まずは、1社違う方向にある「西御殿」に向かう。
草が自分の背より高く茂っている。林に入ると植生は変わり熊笹となる。
しかし、登山道をも覆う具合である。最近この道を使った形跡がない。
曇りや霧、暗くなるとクマさんがでてきるので嫌なんだよな。
早く用事を済ませたいが、ほとんどラッセル状態。
看板の地図を見るとそんなに離れていない感じ。
しかし、全く見当たらない。
もしかして祈祷ヶ原の草の中にあるのではないか?
不安になったので、一時戻ることにする。

草の中にはないようだ。一旦諦めて「中御殿」「東御殿」を目指す。
すでに、空は怪しい状態。雨は降りそうもないが。
まだ、時間は14時台だよ?やばいな〜

気持ちもあせる。足早にもなる。
「まわり石」という大石の先に(眺めはよい。これで晴れていたらな。。。)、
案内がある。どうやら右にいけば「中御殿」のようである。
右に行く道もあり、とりあえず進む。大分歩いただろうか?
全く見当たらない。沢らしきところまで下りてきた。
いい加減疲れたので、氷上神社に電話して場所を聞くことにする。
宮司様がでられたので、今 氷上山に登拝しているが御殿の位置が分からない旨お話する。
宮司様のお話では、中御殿は今いる道ではなく、真っ直ぐの道を
ちょっと行ったところの右にあるらしい。(電話中も怖いので、クマ鈴は鳴らしておく)
ちなみに、自分は「すずらんコース」を下山していたようで、
沢はどうやら「川原川水源」だったようだ。

気を取り直して、再び登り始める。
分岐まで戻るが、登ると結構な傾斜だったのが分かる。
さて、真っ直ぐの道を数メートル行くと、右に行く「道らしきもの」がある。
(これって、ケモノ道?)進むが、岩場にあたり覗くが先には何もないよう
に見える。うーん。時間がもったいないし、ずっとクマさんの恐怖と戦って
いるんだけど?
中御殿を諦めて、東御殿を目指すことにする。

目指して、直ぐにまた右に行く道があった。ちょっと戻るような感じな道であり
「中御殿」の看板もある。その先には、建物が見えた。
なんだ、さっきの道はやっぱり違っていたのか。
東御殿の帰りに寄ることにし、先を進みます。
15:00。ようやく東御殿に到着。
参拝・写真撮影をしてさっさと戻ります。
(写真は載せてませんが、早池峰の頂上のものと同じです)

先ほどの道をたどり「中御殿」に到着。
こちらも同じく参拝と写真撮影です。社殿の反対側にも道があるようなので
そちらに行ってみると、先ほど諦めた岩場にでた。
この道も合っていたようだ。岩場の影で見えなかっただけである。

これで、「東御殿」「中御殿」の参拝は完了した。
残りは最初の「西御殿」である。また、あの草むらを通るのは面倒、
というより怖いんですよね。クマさんには会いたくないですね。
さっきの電話で道は間違いないことは確認済み。
どうやら、諦めるのがちょっとだけ早かったようだ。
いそいで、鈴を盛大に鳴らして向かいます。

諦めた地点の数十メートル先、「西御殿」は鎮座していた。
15:20これで、全ての目的は達成した。
しかし、ミッションは下山までが含まれている。急いで下山を開始する。
そしてどうにか16時過ぎに無事車まで戻ることができた。


車を走らせ、氷上神社里宮に向かう。
参拝と合わせて、お礼にも伺おうと思います。

参拝後、社務所のベルを鳴らすと先ほど電話対応頂いた宮司様が現れる。
電話のお礼と、無事3社ともに参拝できたことを報告する。
この後予定もないことだったので、社務所に上がらせて頂いて
お話を伺うことになった。
神社に関係することより、高校野球についても話題が多かったかな?
花巻効果?というところか。地元の活躍はうれしいものである。
奥宮関係では、後日再訪して写真を撮りたいとお話したところ
一緒にキャンプをして過ごすお話に発展した。
ちょっと時期は不明であるが、はやくても11月頃であろうか?
楽しみである。

また、アイヌの言葉についても話題があった。
神社名である理訓許段・登奈孝志・衣太手は、アイヌの言葉で、
意味も教えて頂いた。
アイヌに言葉は(東京弁から見れば)独特と感じられるが柔らかい感じがする。
これをもとに気仙の言語ができたのだろうか?

脇道にそれるが、以前ナショナリズムについて学んだことがあった。
その中で、一部学者が、気仙の言語は独立しており、
特殊であると論じているということを聞いた覚えがある。

民族や国民が、言語という概念でできているのであれば、
気仙は一つの国家として成立できてしまう。だが実際にはそうなっていない。
では、なににより民族・国民とは成立するのか?という話であった。

宗教という概念は重要な要因であることは否めない。
が、東欧を見てみると、それだけでは説明がつかない。
宗教は同じであるが、言葉が違う。
宗教と言葉は同じで、文字だけ違う。など
「想像の共同体」中で、著者はこれらの事項について一つの回答を述べている。
(うろ覚えだが)「想像により違いが生まれる」そんな感じであったと思う。
「あれとは違う」と認識し共有し集団ができ、それが民族意識となった
ということである。たぶん。


閉話休題。
お話で思い出しただけで、述べたのは気仙の言葉は独特だと
聞いたことがあるということだけなんですけどね。
時間も結構経ち、お暇することとした。
再訪については、別途連絡することとした。

明日は、経塚山登拝である。
天気が分からないが、登山口の夏油温泉に向かう。
途中、コンビニで弁当を大量に購入し、
温泉に浸かり、車中泊とした。


一言
多数派でないから、意見が違うからということで、
除外するのはただの迫害と同じと思う。
少数を内包できる、寛容で大きくあればと思う。
多様性は重要ですよ?
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