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対象記事 件名: 国史見在社の呼称について ( No.[33]95 )
日時: 2012/12/14 14:37:24
名前: 御津垣 

『国立歴史民族博物館研究報告148−神仏信仰に関する通史的研究−』
において、
以前、赤城おろしさんとの話題であった
「国史見在社の呼称は新しいものであろう」に関する
内容の研究報告があったので紹介します。


三橋 健 館外研究員(國學院大學神道文化学部)の論文の一節です。

P.527-528、P.530より
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 梅田義彦は「以前は、国史見在社のことを、式外旧社、式外諸神などと呼び、
国史所載社(官社を含む)の語と並んで国史見在社の称を用いるに至ったのは
明治以降である」と述べ、その証左として、明治四年五月十四日の太政官布告の
中に「式内及国史見在社ノ諸社」と記すこと、また同日長尾藩の伺に対する
同年六月十二日の太政官の指令に「式内并国史現在ノ神社」とあること、
さらに明治三十年代以前に所定された「府県郷村社格内規」の第一条中に
「延喜式若クハ六国所載ノ神社」と見えることを掲げている。
 また近藤喜博も「国史現在社の呼称の初見は何か」と求め、
「管見によれば明治年間に入ってから」と延べ、明治七年六月二十九日に、
教部大輔宍戸璣の名で出した達書第二十八号に「国史見在ノ神社」とあるのを
証拠として掲げている。
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※梅田義彦「国史見在社考」(『神衹官制度史の基礎研究』所収、昭和三十九年三月)
  「神道の思想」三巻にも掲載されてます。
※近藤喜博『稿本国史現在社神名帳』(昭和五十年二月、私家版)


たしかに、国史見在・国史現在・六国史所載という整理は確かに明治以降になされた
もののようであるが、三橋氏は江戸時代前期には『国史所載』という語が用いられている
ことを、『加能越式内等旧社記』らをもとに掲げておられた。

式外社の中で、国史見在社という区分は少なくても江戸初期にはあったということに
なるようです。


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