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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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諏訪大神社 ( No.[16]60 )
日時: 2012/01/08 16:12:30
名前: okasurfer  ID: R9l1lxnQ
参照: http://ameblo.jp/okasurfer-bmw/
編集: 【回数】 1回   【名前】 okasurfer  【最終日時】 2012/01/08 16:24:34

諏訪大神社(山梨県甲斐市宇津谷1016 )

祭神は建御名方命

延喜式内社(甲斐國巨麻郡 倭文神社論社)
旧村社

本務社 若宮八幡宮(山梨県韮崎市若宮1―4―14)

駐車場はなし

御朱印は所管社の若宮八幡宮にて授与。(要事前連絡)

正しくは、穂坂惣社拾五社大明神宇津之谷諏訪大神社と謂う。
 第十二代景行天皇御名を大足彦忍代別尊と言い第三皇子小碓命又の名倭億久名命が倭建命と言われ三世紀末から四世紀始めにかけて、大和朝廷のために名を馳せ活やく甲斐に入り、甲斐国志による、北山・武川・逸見の賊を平定して、宇津之宮村藤塚一〇一六番地に賊徒の再び起らぬよう平穏を祷り倭文神社に伊弉諾大神・伊弉冊大神・天照皇大神・月読媛大神・素戔嗚大神を併せ祀ったのが始まりで、藤塚の西南の地に吉備彦命・大伴武日命と警護の兵を共に、一時期すごしたであろう所を初在家(現初座池)と稱し地名として今に残っている。奥殿に祀られている石神倭文神社のうらに大同二年(八〇七)とあり建保五年(一二一七)御脩複と元亀二年(一五一七)武田信玄公再建の棟札と頭椎の剣など御神宝の数々と天正十年三月(一五八三)織田・徳川連合軍の攻撃を予知して逸早くいづこかに秘匿して、今に残る建保・元亀の棟札はまことに貴重である。又武田信玄公が元亀二年再建のとき武田家の守護神、諏訪大明神と庄内の神々を併せ祀りこの時拾五社大明神と奏され尚信玄公より下された御朱印状が今は行方不明である。御朱印社領壹石九斗余、社地五千四百六十坪と慶長八年癸卯三月朔日(一六〇三)家光・慶安二年十一月十七日(一六四九)及び貞享二年六月十一日(一六八五)綱吉・享保三年七月十一日(一七一八)吉宗そのほか延享四年(一七一四)宝暦十二年(一七六二)天明八年(一七八八)天保十年(一八三九)安政二年(一八五五)万延元年(一八六〇)と数多くの徳川幕府より社領安堵の御朱印状が下されている。
 茲に注目したいのは、日本武命が當社を草創したのは四世紀初頭であり平成四年の現在、創建より実に一五九〇余年の歴史を有する貴い古社である。
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