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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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常陸国風土記紀行 第一回「側鷹神社」 ( No.[7]85 )
日時: 2010/01/12 15:30:17
名前: 御津垣  ID: 8y0cTeaA
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2010/01/14 09:54:34

常陸国風土記紀行 行方郡「立雨ふり、行方の国」

今回から始まりました不定期掲載『常陸国風土記紀行』。
進行は、お馴染み(?)御津垣が務めさせて頂きます。
お手伝いをしてもらうアシスタントは、残念ながらいません

(気を取り直して。。。)
さて、今回ご紹介するのは、行方市小高に鎮座する「側鷹神社」。
風土記の行方郡に「夜刀の神」の次に、記載がある神社である。


なお、本由来にご指摘があれば、神社側でも確認を行うとのコメントを頂いて
おりますので、遠慮なくご指摘頂ければと存じます。

「御朱印」はないとのことです。


〜側鷹神社発行「側鷹神社の概要」から抜粋〜
-----------------------------------------------------------------------
−所在地−
 行方市小高406番地

−御祭神−
 主祭神:高皇産霊尊
 合祀: 経津主命
     武甕槌命(合祀した鹿島神社御祭神)
     倉稲魂命(合祀した稲荷神社御祭神)
     天照皇大神(合祀した伊勢神社御祭神)
     猿田彦命(合祀した道祖神社御祭神)
     産火火出見命(合祀した愛宕神社御祭神)
     伊弉諾命(合祀した日枝神社御祭神)
     菅原道真公(合祀した天満宮神社御祭神)

−由緒−
 社伝によると、神代の昔、経津主大神が御東征のおり、この小高の地に寄られて
 天祖高皇産霊尊を祭り、石槌の剣を捧げて戦勝を祈られた。この石槌の剣が側鷹神社の
 御神宝となり、この祭りが創祀となったと言われている。
 また、常陸風土記によると、行方郡男高里(現小高、南、井貝、橋門、島並、四鹿)に
 栗家池(現車地池)があって、その北に香取神子の社があると。即ちこれが側鷹神社で
 ある。さらに新編常陸風土記にも、「小高村側高明神香取に摂社にして、風土記に
 小高香取神子の社」となるといい、香取新誌にも風土記をあげて、「この側高(鷹)も
 香取の神子なり」と言われているように、古来から小高郷の総鎮守であった。

−祭事−
 元旦祭  1月 3日  神社総代8名、神社委員19名参列し執り行う
 祈念祭  2月17日  神社総代8名参列して執り行う
 例大祭 11月23日  神社総代8名、神社委員19名参列し執り行う
 甲子祭   甲子の年  60年に一度の大祭

−沿革−
 ・大同2年創立(西暦807年)
 ・元禄12年9月本殿・拝殿改築
 ・慶長7年佐竹氏出羽秋田城に移った後、新荘氏麻生に封ぜられ、当社と産土八幡宮、
  大生村大生神社とあわせて領内三社と称し、篤く崇敬された。
 ・明治6年10月5日村社に列格。
 ・昭和14年10月拝殿改築
 ・同27年8月15日宗教法人設立。
 ・同28年拝殿屋根修理
 ・同33年本殿屋根銅板葺替
 ・同61年拝殿屋根銅板葺替
 ・平成16年本殿基礎修理

−神紋−
 左三巴

−境内地−
 2256.10平方メートル
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御神宝「石槌の剣」は、往古からそうであったか私には分からないが、
現在見る形状は、「男性器」であるという。
長さは1m程度で、檜の箱に入れられている。
この檜の箱を新しい物に取り替えるのが60年に一回の大祭「甲子祭」である。
すでに1984年に行われているので、次回は2044年となる。


宮司様にお時間を頂き、いろいろなお話をお聞きすることができました。
(ここでは書ききれませんが。。。)
貴重なお時間を割いて頂き有難うございました。



以上
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