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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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高泉神社 ( No.[9]59 )
日時: 2009/12/12 10:20:13
名前: 御津垣  ID: 2N45qF3I
編集: 【回数】 12回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2016/01/23 16:28:12

高泉神社
【御祭神】水速女命、大己貴命、少彦名命、建御名方命
【祭祀】 例祭 5月4日(旧4月29日)
【鎮座地】酒田市大字北沢字空沢32
【旧社格】村社
【駐車場】なし
【御朱印】なし


−由緒(山形県神社誌より)−
 三代実録に清和天皇の貞観七年二月二十七日、出羽國従五位下高泉神とある。
 丈余の清滝空沢山半腹の厳壁に懸り壮観を呈する。
 古来より之を以って神座とし、不動明王を安置し、旧幕府時代には高泉参りと称して、
 白衣の道者が絶えることがない繁盛を極め明治初年まで続いた。
 維新後更に、水速女命を祭り高泉神社と公称し、明治九年二月二十四日村社に列する。
 同十二年旧址に拝殿を再興。
 往昔は社領等有ったが天正年間幕府に没収せられ、今に旧社領地跡として
 大夫田の名称を残す。
 又、明治九年二月二十四日、蔵王権現として栄えた御嶽神社も村社に列せられ、
 大正二年十一月十七日、高泉神社に合祀し、旧御嶽神社境内を飛地境内とする。
 大正六年、本殿を建立、大正八年五月十一日神饌幣帛料供進神社に指定せられる。
 昭和三十二年社殿屋根を銅板葺に改修する。



それは国立国会図書館で、出羽國の不明の国史見在社調査の為、
「山形県神社誌」を調べていたときのことであった。
なんとなくめくっていた酒田・飽海の項で、『高泉』の文字が目に留まる。
酒田の高泉神社の由緒(上記)には、高泉神は当社であるとあるではないか。

三代実録にある高泉神といえば、秋田市の旧国幣小社 古四王神社。
これは江戸後期の国学者・紀行家・民俗学者である菅江真澄が残した
「真澄遊覧記」鳥梅の花湯の項の中にそのような記述があるからである。
寺内に縁があり、古四王神社宮司とも親交があった真澄が、口伝を書き綴った
ものと思われるが、その根拠は明らかではないようである。※


単純な自分は、温海温泉の熊野神社と同じように実際に訪ねて、
もっと詳しい由緒があれば分けてもらおうと考えた次第。

時は7月中旬。毎年の鳥海山参り(毎年雨付きT_T)に合わせて
訪れることとした。
神社への道は比較的分かり易い。国道345を北上し、344と合流する前の
「酒田地区広域行政組合リサイクルセンター」を目当てに右折すればよい。
少し戻る感じにはなるが、川上に向かえば左手に「高泉神社」が鎮座している。

泉とあるだけあって、社頭には湧水がこんこんと溢れていた。
鳥居の写真を撮っている間にも、農作業の前に喉を潤していくのか
軽トラックが数台やってきてはさっと行ってしまう。

社号標には、かつて書いてあったであろう社格の上部に、
控えめにではあるがはっきりと『国史現在』とある。
境内は緑にかこまれ、そこにほどよく日が差し込んで気持ちがよい。
蚊がいなければもうちょっと佇んでいたいくらいだ。

参拝と写真撮影を終えて、社頭に戻ってくると、また別の軽トラックがきて
喉を潤していく。自分もご相伴に与ろうと後ろに並ぶ。
ちょっと世間話程度に宮司様の御自宅や、神社の由緒などをお伺いしてみる。
どうやら役員クラスの方だったようで、いろいろと教えて頂けた。

上記由緒にある不動明王を祀ってある場所が、元宮でいまは車道もあり簡単に
いけるので行ってみたらどうだというではないか。
それではと御礼を述べて立ち去ることとした。
あっ、これから鳥海山登るから水汲んでおこう。

ちなみに御嶽神社は、社頭前の山腹のようであるが、
この季節は足を踏み入れるには如何な状態であった。


元宮は、比較的簡単にたどり着けることができた。
ただ、これを見て訪れる方は、空沢からはしばらく道が狭いので、
344との合流地点から八森自然公園の裏に回る方法を薦める。
片側1車線の走りやすい道ができている。

さて、この元宮であるが、嘗ては林道があり、
水が出ている箇所に祀ったのであろうが、現在では広い道路脇にポツンとある
感じである。

石造りの社の裏に回ると不動明王の像が水に打たれて祀ってある。
では参拝と、社殿の扉を開ける。開けた瞬間、扉の裏側や内部には蠢くものが。。。
これは!!カ○ド○マである。
おいおい。勘弁してください。一匹ならともかく、これはないでしょう?
内部に入る勇気はありません。外から御参りします。
そして、早々に退散!ああ、ちょっと心臓に悪いです。
(え〜、中の写真は載せません)

このようなことで高泉神社の参拝は終了した。
ちなみに宮司様にも、お話を伺おうと思っていたが、参拝後はまだ8:30前。
境内にある御自宅ならともかくまだ早い。
それにこっちも登山の準備もあるしので、滝の小屋登山口に到着してから電話をした。

宮司様のお話では、元宮ではなく本宮と仰っていた(以下本宮とします)。
また、残念ながら、分けられる由緒書きや、御朱印はないとのことであった。
ご対応頂き有難うございました。

※古四王神社と同じ寺内地区には、高泉神の論社「空素沼神社」がある。
 こちらと誤認した可能性も捨てきれない。


写真
 ・社頭
 ・本宮     
 ・不動明王像
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