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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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温海熊野神社その1 ( No.[9]88 )
日時: 2011/06/29 23:44:37
名前: 御津垣  ID: tSYUbgMo
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/06/29 23:49:27

熊野神社
【御祭神】由豆佐賣神、大己貴命、少彦名命
【祭祀】 例祭 5月3日
【鎮座地】鶴岡市温海湯温海67
【旧社格】県社
【駐車場】なし


出羽国田川郡由豆佐賣神社といえば、当然 湯田川温泉の由豆佐賣神社である。
主な式内社関連著書にもそのように記述されており、
誰も疑うことはないであろう。
自分もその一人であった。山形県神社誌を見るまでは。

同じ鶴岡市の温海温泉、そこに鎮座する「熊野神社」由緒に
式内由豆佐賣神社であると記載されているではないか。

もちろん、それをそのまま信じることはできないが、
ただ、式内社の著書を妄信してもいいものであろうか?

そんなことで、素人に結果なんて出せるわけないが、
(忙しいからやめとけばいいのに)調べ始めたのであった。
もちろん調査するにしても限界がある。
調査は、主に本によるものになるが、残念ながら資料は少ない。
いづれは伺って直接関係者に確認してみようと考え始めた。
当時は2010年冬。春を待つことになった。


やがて春。
山形出身の同僚が出産の為、山形市に戻っており
その出産後の冷やかし、ん? ごほん、お見舞いついでに
とりあえず伺うこととなった。
いや、大分失礼な感じだな。これ。。。

新潟経由で北上。道の駅あつみ「しゃりん」にて車内泊。
先日、大槌でのボランティアや、陸前高田の氷上神社へのお見舞いで
被災地を見ているので、以前と違い海沿いに長く留まるのは若干怖い。

翌朝、温海温泉に向う。
車を林業センターに停め、早速神社へ。
温泉街は満開の桜である。温海川沿いの桜並木は見事である。
足湯や、休憩所はよく整備されている。
なぜ、このような時にカメラを忘れてしまったのだろう?

神社に参拝する。非常に大きな神社だ。
ただ、神職は常駐されてないようだ。

簡単な由緒等ないか、地元の観光協会に向う。
実は、道の駅にいる間、携帯で「温海嶽開山祭・登山会」の情報を
入手していたので、そちらの申し込みをしようとも思っていた。


観光協会にはすぐに到着。
当然かも知れないが、見ず知らずの自分にも気持ちよい対応をして頂いた。
上記の申し込み後、由緒について伺うと『温海嶽』に関わるリーフを
わけて頂いた。

熊野神社に関わる記述もあり、それは以下の通りである。



「温海温泉観光協会リーフ」
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 温海嶽の山頂には「熊野神社」の本殿が祀られている。社伝によれば養老5年
(721年)に僧行基が紀州熊野権現を勧請したとあるが、素朴な山岳神として
かなり古くから信仰されてきたものと思われる。温泉が湧出すると温泉神として
の性格も併せ持つようになり、湯蔵権現と崇め湯蔵権現堂を建立し祀った。
 大和朝廷の中央勢力が、越後から荘内に進出したとき、最初に接した山岳神は
温海嶽と摩耶山であったろう。平安中期926年に編纂された「延喜式」神名帳
に登載されている出羽国田川郡三座の一つ「由豆佐売社」は、
湯田川の由豆佐売神社ではなく、温海嶽の神であると主張してきたが、
昭和20年(1945年)主祭神を櫛御気野命から由豆佐売神に訂正の申請を
して内務省より承認された。式内社の「由豆佐売社」は温海嶽にあったという
ことが公式に認められたわけである。
 温海嶽は、はじめ周辺村落住民の山岳神としての信仰をうけ、浜温海の社人が
祭祀を行っていたが、いつの頃から金峰山南頭院系の修験が山麓の平清水に住み
つき、温海村の発展と共に次第に発言力を増し、社人との間にしばしば紛争を
おこした。
 戦国期の荘内領主武藤氏の祈願所として社領500町歩を、また120石を
与えられていた。江戸時代には荘内藩主酒井公の祈願所として崇敬され、
周辺氏子村落からの各登拝路も整備され、平清水の上の長床に拝殿が創建され、
信仰登山も盛んになった。今も、山中のそこここに往時をしのぶ古い石碑や祠が
埋もれていたり、修験者が篭ったという岩屋なども残されている。
 現存する山頂の本殿は天明3年(1783年)に造替完成したものであり、
また拝殿は、大正11年(1922年)に長床から現在地に移し建立したが、
昭和26年(1951年)の温海大火で類焼したため昭和33年(1958年)
に改築したものである。
 温海嶽熊野神社の氏子は今は、温海・湯温海・湯の里・一霞・釜石坂・米子・
暮坪・小菅野代の8集落で、5月3日に例大祭が斎行される。神事芸能として、
獅子舞(二人立獅子)、巫女舞が伝承され、祭時等に奉納されている。
 社領(境内地)は広く、温海嶽の山域のほとんどを含む約280町歩ある。
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その2(温海嶽開山祭)へつづく。
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