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件名: 水晶山神社 ( No.[34]24 )
日時: 2012/11/07 18:33:44
名前:
御津垣
水晶山神社 【御祭神】大物主命、大国魂命 【祭祀】 例祭 4月8日 【鎮座地】天童市川原子字水晶山1 【旧社格】郷社 【駐車場】あり
−由緒(山形県神社誌より)− 社記によれば「太古大国主神、蝦夷征伐のために東下の際、 最上湖水洋々たるを見給い、大いに御心にかない屯営を水晶山に選定し、 悉く四方の夷狄を征服し給い神蹟なるを以て大神の新魂を鎮め奉りし神社なり」 と伝えられるが創立年代詳かでない。 中世になって山岳修験が盛んになるにつれてこの水晶山も修験の山として かなり盛況を呈したと思われる。 現在太い石柱だけが残っている谷地中の石鳥居は水晶山信仰の名残りである。 その後、神仏を混淆して山麓に真義言宗玉虫山大和寺を建立し、 十一面観世音、蔵王権現を合祀、天正年間山形城主最上家の領地となる。 最上義光は山形大黒山宝憧寺を別当職に任じてこの大和寺を廃するに至る。 慶安年間山形城主松平下総守忠弘は社地として五、四三〇坪の寄進を行う。 明治十二年八月十二日郷社に列せられる。
−水晶山に関わる略年表(山口地域づくり委員会『水晶山に親しむ部会』)− 702年 大宝2年 役行者が水晶山を開山(伝承)
708年 和銅元年 行基菩薩が若松寺を開山
860年 貞観2年 慈覚大師(円仁)が立石寺を開山
867年 貞観9年 朝廷が出羽国の霊山寺を定額寺に指定(水晶山が有力) 水晶山の霊山寺には三堂一院(東堂・中堂・西堂・別院)があったと みられる。
871年 貞観13年4月3日 出羽国利神(水晶山大和神社)従五位下を授く
875年 貞観17年 大和寺(東根市猪野沢)建立
1192年 このころ谷地中の石鳥居が建てられる。
1584年 天正12年 最上義光と天童頼久の合戦、天童氏敗北。 最上氏は天童に愛宕神社を建立し宝憧寺(山形)を別当寺とする。 水晶山は宝憧寺領となる。
1792年 寛政4年 水晶山に山姥一体が建立される
1798年 寛政10年 二体目の山姥が建てられる。
1817年 文化14年 二神仏の石塔(水晶山蔵王大権現・十一面観音)建立。
1868年 明治元年 神仏分離令発布により廃仏棄釈運動おこり、仏像等散逸。
1913年 大正2年 水晶山参道並木の大杉払い下げ伐採
1915年 大正4年 杉の払い下げ記念として鳥居を建立(水晶山案内板脇)
1953年 昭和28年 大和神社と水精山神社が合併、水晶山神社となる。
写真 ・水晶山案内板脇の鳥居 ・拝殿 ・本殿(「奥の院」と呼ばれている)
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