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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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[9] 【北海道・東北】神社・御朱印情報
日時: 2009/09/11 11:16:18
名前: 御津垣  ID: 5rUlEDtM
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2013/01/28 20:50:23

北海道および、東北6県(青森・岩手・秋田・宮城・山形・福島)に関する
遠征報告・御朱印情報をお願いします。
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古川・志波姫神社について ( No.93 )
日時: 2011/09/03 12:01:11
名前: 御津垣  ID: CDV2jqGE

あずさん

お久しぶりです。
音沙汰がなく、少々心配しておりました。
そちらの状況が分かりませんので、
ご無事でなによりですとは簡単には言えませんが、とりあえず安心しました。

さて、リストに情報を追記させて頂きました。
有難うございました。


そういえば、最近eraさんも見かけません。
東北によく行っていたみたいだけ大丈夫かな?
古川・志波姫神社について ( No.92 )
日時: 2011/09/02 16:22:07
名前: あず  ID: RmpYKShI
参照: http://www.panoramio.com/user/2662284

いつも拝見させていただいております、あずと申します。

大崎の志波姫神社ですが、先月参拝したところ宮司さまが帰幽されたそうで、
御朱印やご祈祷など神社にご用の方は事前にご連絡いただきたいとの伝言でございました。よろしくおねがいします。
確認した御朱印について ( No.91 )
日時: 2011/08/09 23:45:24
名前: ヨルカ  ID: IKWw9iLM
参照: http://ameblo.jp/idjericho/

こんばんは、私が確認しました御朱印について御報告いたしますね。

信夫郡 鹿嶋神社
鹿島神社(福島県伊達郡国見町)
御朱印 : あり
駐車場 : あり

柴田郡 大高山神社
大高山神社(宮城県柴田郡大河原町)
御朱印 : あり
駐車場 : あり
(駐車場は参道の鳥居から国道4号線を白石方面に少し走ったところ、社殿の真裏辺りに位置しています。)
1312901124-1.png 1312901124-2.png
温海熊野神社その2 ( No.89 )
日時: 2011/07/04 18:08:20
名前: 御津垣  ID: 4oIP4DNc
編集: 【回数】 5回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/07/05 13:02:23

5/15本日は、『温海嶽開山祭・ブナの森登山会』である。
天気もまあまあといったところだ。雨男など言わせないぞ

今回の参加目的は、山頂の熊野神社本殿への登拝。
温海嶽については、あまり情報がなく一人で登ることに気後れしていた。
そんな時に、このようなイベントを知りいそいそと申し込みをした次第。


前回あれほど見事だった桜はすでに葉桜、
若い緑が川沿いの風になびいていた。
ああ、カメラを忘れたことが大変悔やまれる



集合は7:30熊野神社拝殿前。
登山の集合時間としては遅いくらいだが、標高からいってこのくらいなのだろう。
若干早く到着したが、受付はできるようであったのでさっさと済ませる。

受付では、下山後のお風呂をどこにするか、くじ引きで決めていた。
まあ、関東でも知られる萬國屋とかは入浴料も高いし、
これはこれで公平なのでしょう。
自分はといえば。。。まあまあ^_^;。ご想像にお任せします。

登山ルートについての説明。
今回は、残念ながら保険の関係でピストン行程。拝殿跡には行かない。
まあ、仕方がない。楽しみは次回に残しておこう。

え〜、一番遠いということで、玉串奉奠よろしくとのこと
数年前の自分なら「えっ?」という感じでしょうが、さすがに今は余裕もある。
(伊勢原の高森神社ではテンパってたけど)


やがて、宮司様がおいでになり、いそいそと開山祭祭典の準備を開始する。
話しかけるにもお邪魔かなと思い、ひと段落するまで、境内で写真を撮影。
朝方は逆光になるようだ。

写真撮影もほどなく完了。
宮司様の様子を伺って、由緒について確認してみる。
神社誌を見て参加という理由に大変驚かれていた。
由緒等重要な資料は、大方 昭和初期に焼失してしまったらしい。
現存するものを下山後に分けてもらうことになった。
御朱印も分けて頂けることになり、朱印帳を預けておくことにした。

「開山祭・安全祈願祭」。厳かに式典はすすむ。
自分は玉串奉奠の関係で前方に参列。
当然 式典の写真はない。※
 ※式典の写真を参照されたい方は、
 「温海温泉 旅館かしわや」ブログをご覧ください


登山は、拝殿左側の登山口より開始。
参加は60人ほどになる。ちょっと多いけど大丈夫か?
アスファルトの道の後、沢沿いを進む。
滝なども多く、景観に富む。マイナスイオンが一杯。なんか癒される
やがて沢沿いの道から未舗装の林道にでる。

その後は、『ブナの森遊歩道』である。
この遊歩道は、「温海嶽を愛する会」の方々が、
切り開いたものとのこと。温海嶽に対する愛情がうかがえる
そうそう「山と渓谷4月号」にも掲載されたようだ。

ただ、この道、沢を回りこむ細い道もあり、結構スリリング。
自然に視線は下に、慎重に歩を進めることになる。

突然、前方から悲鳴。
「なんだ!」顔を上げる。
自分の直前を歩いていたパン屋の女将さんが、
遊歩道にせり出した立木にぶつかっていた。
そのまま後ろにのけぞり、沢に落ちてゆくではないか!
それはまるでスローモーションのようであった。

この沢には名も無かったが、これ以降「パン屋沢」と
名が付けられるだろう。。。

などと冗談を言っている場合ではない

幸い、沢は浅く、受身も取れていたので、怪我はないようだ。
沢を登り、遊歩道に復帰。しかし、ズボンはびしょ濡れ状態。
話を聞くと、やはり下向きに歩いた為、立木に気がつかなかったらしい。
立派な木であるが、この場で切り倒すことに決まった(?)

頂上への所要は、約2.5時間。
参加者全員に配慮した為、標準と比べて大分遅い感じだ。

自分は、念願の熊野神社本殿に参拝。
参加者に御神酒が振舞われる。
車で先回りされたのか、宮司様は正装でいらっしゃった。

宮司様を中心に全員で記念撮影。
その後、昼食となった。温海嶽山頂部は平地が多く見晴らしもよい。
登山の道程で、採取してきた山菜等含め沢山ご馳走になってしまった。
あれ?お昼買ってこなくてよかった感じだぞ。

昼食中、山頂から見える山々について説明して頂いた。
月山、朝日、飯豊、鳥海など。摩耶山と日本国がまたいいらしい。
海側では、鼠ヶ関の向こうに粟島がみえる。
残念ならが、佐渡ヶ島までは見ることはできなかった。



楽しい昼食の後下山。
他ルート(旧拝殿地)には未練があるが、
今回は団体行動。諦めましょう。。。

沢沿いの道の、下山は慎重に。
みんな無事に熊野神社里宮に到着です。


直会殿では、孟宗汁のふるまい。
なぜか?自分が参加した感想を述べることになった。。。
テンパって何言っているかよく分かりません
そういうことは、事前に言っておいてくださ〜い。

そんな余談はともかく。
登拝前にお話しておいた資料と御朱印を宮司様より頂く。
資料の内容は、下記の通り(宮司様より掲載許可済み)。

正直なところ、式内社としての根拠資料としては弱い感じである。
資料が焼失、存在しないことが惜しい。
(縣社には昇格している)

ただ、現状 否定する資料もないので、
式内由豆佐賣神社は論社2社として掲載してゆくつもりだ。
そして今後も引続き調べていこうと考えている。
(でも最優先は、胆沢川神社だけど。。。焼石登らんと)

いずれにしても、温海が、
 お湯よし
 人よし
 自然よし
と、三拍子揃った場所であることは間違いないであろう。
高速のICもできることで、今後の益々の発展を期待したい。


また、秋の閉山祭登山にも参加したいと思う。
きのこ汁じゃ〜


熊野神社縣社昇格考證課通過論文
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本社を以て延喜式内社由豆佐賣神社に充つるに就ては古来他に論社の存在あるを以て、
今遽かにそれと決定するを得ず然れども地方の古社にして蓋し武藤氏の頃より
領主の崇敬を受け祈祷を命ぜられたる際には本社より守札を献ずるを例とせるが如し、
江戸時代に入りて元和年間酒井氏藩主として入部するや爾後同氏累代の崇信を
受く、今其の主たる事項を挙げれば社地平清水より蝋漆役を免除したる事、
社殿の榮造の時に大壇那となりたる外城下及群中へ勧化を許し又木材を給したる事
藩主巡國又は入湯の際には代参を派し祈祷を命じ初穂を献ずるを例としたる事等にして
就中宝永六年長床を建立翌七年引続き社堂造立の時には大壇那と為りて
之が工を起したるは見るべき事實とす其他獅子頭の廻村を許し
天明二年忠徳の代棟札論争の時之が和解に努めたる等藩主との交渉頻りにして
その事歴見るべきものあり
 思うに本社は古くより巨多の山地を有し多数の社坊を擁し社運甚だ有勢なるに
加之此の地温泉湧出せるを以て自然藩主との関係を密接ならしむるに至りしもの
なるべし、上述の如く本社は地方の古社にして領主、藩主の崇敬見るべきものあるを
以て由緒上縣社に昇格せられ支障なしと認む

 昭和十一年十二月二十六日
------------------------------------------------------------------------------


写真
 ・里宮拝殿
 ・温海嶽本殿覆屋
 ・熊野神社本殿
1309770500-1.jpeg 1309770500-2.jpeg 1309770500-3.jpeg
温海熊野神社その1 ( No.88 )
日時: 2011/06/29 23:44:37
名前: 御津垣  ID: tSYUbgMo
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/06/29 23:49:27

熊野神社
【御祭神】由豆佐賣神、大己貴命、少彦名命
【祭祀】 例祭 5月3日
【鎮座地】鶴岡市温海湯温海67
【旧社格】県社
【駐車場】なし


出羽国田川郡由豆佐賣神社といえば、当然 湯田川温泉の由豆佐賣神社である。
主な式内社関連著書にもそのように記述されており、
誰も疑うことはないであろう。
自分もその一人であった。山形県神社誌を見るまでは。

同じ鶴岡市の温海温泉、そこに鎮座する「熊野神社」由緒に
式内由豆佐賣神社であると記載されているではないか。

もちろん、それをそのまま信じることはできないが、
ただ、式内社の著書を妄信してもいいものであろうか?

そんなことで、素人に結果なんて出せるわけないが、
(忙しいからやめとけばいいのに)調べ始めたのであった。
もちろん調査するにしても限界がある。
調査は、主に本によるものになるが、残念ながら資料は少ない。
いづれは伺って直接関係者に確認してみようと考え始めた。
当時は2010年冬。春を待つことになった。


やがて春。
山形出身の同僚が出産の為、山形市に戻っており
その出産後の冷やかし、ん? ごほん、お見舞いついでに
とりあえず伺うこととなった。
いや、大分失礼な感じだな。これ。。。

新潟経由で北上。道の駅あつみ「しゃりん」にて車内泊。
先日、大槌でのボランティアや、陸前高田の氷上神社へのお見舞いで
被災地を見ているので、以前と違い海沿いに長く留まるのは若干怖い。

翌朝、温海温泉に向う。
車を林業センターに停め、早速神社へ。
温泉街は満開の桜である。温海川沿いの桜並木は見事である。
足湯や、休憩所はよく整備されている。
なぜ、このような時にカメラを忘れてしまったのだろう?

神社に参拝する。非常に大きな神社だ。
ただ、神職は常駐されてないようだ。

簡単な由緒等ないか、地元の観光協会に向う。
実は、道の駅にいる間、携帯で「温海嶽開山祭・登山会」の情報を
入手していたので、そちらの申し込みをしようとも思っていた。


観光協会にはすぐに到着。
当然かも知れないが、見ず知らずの自分にも気持ちよい対応をして頂いた。
上記の申し込み後、由緒について伺うと『温海嶽』に関わるリーフを
わけて頂いた。

熊野神社に関わる記述もあり、それは以下の通りである。



「温海温泉観光協会リーフ」
------------------------------------------------------------------------------
 温海嶽の山頂には「熊野神社」の本殿が祀られている。社伝によれば養老5年
(721年)に僧行基が紀州熊野権現を勧請したとあるが、素朴な山岳神として
かなり古くから信仰されてきたものと思われる。温泉が湧出すると温泉神として
の性格も併せ持つようになり、湯蔵権現と崇め湯蔵権現堂を建立し祀った。
 大和朝廷の中央勢力が、越後から荘内に進出したとき、最初に接した山岳神は
温海嶽と摩耶山であったろう。平安中期926年に編纂された「延喜式」神名帳
に登載されている出羽国田川郡三座の一つ「由豆佐売社」は、
湯田川の由豆佐売神社ではなく、温海嶽の神であると主張してきたが、
昭和20年(1945年)主祭神を櫛御気野命から由豆佐売神に訂正の申請を
して内務省より承認された。式内社の「由豆佐売社」は温海嶽にあったという
ことが公式に認められたわけである。
 温海嶽は、はじめ周辺村落住民の山岳神としての信仰をうけ、浜温海の社人が
祭祀を行っていたが、いつの頃から金峰山南頭院系の修験が山麓の平清水に住み
つき、温海村の発展と共に次第に発言力を増し、社人との間にしばしば紛争を
おこした。
 戦国期の荘内領主武藤氏の祈願所として社領500町歩を、また120石を
与えられていた。江戸時代には荘内藩主酒井公の祈願所として崇敬され、
周辺氏子村落からの各登拝路も整備され、平清水の上の長床に拝殿が創建され、
信仰登山も盛んになった。今も、山中のそこここに往時をしのぶ古い石碑や祠が
埋もれていたり、修験者が篭ったという岩屋なども残されている。
 現存する山頂の本殿は天明3年(1783年)に造替完成したものであり、
また拝殿は、大正11年(1922年)に長床から現在地に移し建立したが、
昭和26年(1951年)の温海大火で類焼したため昭和33年(1958年)
に改築したものである。
 温海嶽熊野神社の氏子は今は、温海・湯温海・湯の里・一霞・釜石坂・米子・
暮坪・小菅野代の8集落で、5月3日に例大祭が斎行される。神事芸能として、
獅子舞(二人立獅子)、巫女舞が伝承され、祭時等に奉納されている。
 社領(境内地)は広く、温海嶽の山域のほとんどを含む約280町歩ある。
------------------------------------------------------------------------------


その2(温海嶽開山祭)へつづく。
姉体新山神社(奥州市) ( No.87 )
日時: 2011/06/23 18:12:00
名前: 御津垣  ID: LBwvhbPI
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/06/23 18:34:59

新山神社
【御祭神】天津彦穂邇邇藝命、大日霊命、建御名方命
【祭祀】 例祭 4月16日
【鎮座地】奥州市水沢区姉体町字天神林28
【旧社格】村社
【駐車場】なし


岩手県大槌町の災害ボランティアに参加した翌日に
奥州市内のこちらの神社に参拝しました。

ちょうど、例祭の前日であった為、
社務所には氏子総代の方々が集まっておられた。
震災の影響だが、境内は問題ないように見えたが、
社号標付近の石碑は無残な姿となっていた。

さて、この新山神社については、
奥州市に編入前の前沢町史において、以下のような記述がある。


前沢町史 P.258〜260 該当箇所抜粋
------------------------------------------------------------------------
〜前略〜

以上は「延喜式」に出る「胆沢七社」であるが、これに別説がある。
出典の根拠は明らかでないが、
 ○和我叡登挙神社
 ○胆沢川神社
 ○石手堰神社
の三社に替って、

 ○鎮守府八幡宮
 ○新山神社
 ○若宮八幡宮
が入り、磐神社、駒形神社、於呂閇志神社、止々井神社と共に、
この七社が「胆沢式内社」という伝承が古くからある。

〜略〜

○新山神社
 水沢市姉体町(旧下姉体村字天神林)に在り、
延暦二十年(801)坂上田村麻呂の勧請、大同二年(807)社殿創立と
伝えられている。中世葛西氏ならびに胆沢の地頭柏山氏の寺領及供物料の寄進、
近世伊達氏の参勤をみるなど由緒ある神社である。

〜略〜

しかし、この三社は「延喜式」に見えないから、
その意味では「式内社」といえないが、いずれも安永風土記にも書かれ、
共に古くからあった神社にはまちがいない。

------------------------------------------------------------------------

根拠が明らかではないのに、
なぜこのような記載ができたかのかは分からない。

もしかしたら、神社の由緒にそのような記述があるのか?
と、岩手県神道青年会で由緒を見るもそのような記述は見えない。
所管している駒形神社宮司にも確認し、
氏子さんたちが作られた資料(※)を見せて頂いたが、
それらしい記述を見つけることはできなかった。


結局 新山神社が、延喜式内社か否かについては、
土俵に上がる以前の問題(記述資料がない)であった。
ただ、創建年代も古く、非常に由緒があり
また、地域の鎮守様として慕われていることは
間違いないだろう。


※大変失礼な言い方だが、村の鎮守様レベルの神社では、
 非常に立派な資料であった。
 氏子さんたちの熱意がうかがえた。


写真
 ・社頭
 ・拝殿
 ・参道入口
1308820320-1.jpeg 1308820320-2.jpeg 1308820320-3.jpeg
瀧山神社登拝 ( No.86 )
日時: 2010/10/25 21:38:09
名前: 御津垣  ID: BQyPjv5s
編集: 【回数】 3回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/08/22 21:20:56

それは、夏の暑い盛りのこと。
実家から転送されて届いた暑中見舞い。

送り主は、蔵王温泉の旅館山形屋。
「國史見在社 酢川温泉神社」宮司様の旅館からであった。

印刷の文面に、手書きの文がつづく。
『竜山神社が昭和二年頃建立されて大変古くなりましたので
今秋から明春にかけて新しく建立される事になりました。』


瀧山神社(竜山神社)は、西蔵王の瀧山山頂に鎮座する神社である。

瀧山は、刈田岳、熊野岳、地蔵岳などと比べて知名度は低いが、
蔵王はもちろん、山形市街、朝日連峰、月山、鳥海山と眺望に優れ、
コースも変化に富み、かつ比較的簡単に登ることができる。
自分は、名山の一つだと考えている。


瀧山神社(竜山神社)の由緒の概略は以下の通りである。
参考: 『山形の蔵王』 山形市観光協会発行
-----------------------------------------------
708(和銅元)   岩波石行寺、行基菩薩開基、観音堂創建
709(和銅2)   半郷松尾院、行基菩薩開基と伝える。
834〜(承和年間) 龍山開山のため、口の宮・堀田山神社開基と伝える。
851(仁寿元)   瀧山神社創立。
           離宮熊野神社(現 蔵王山神社)
           口の宮酢川温泉神社と、三社一宮。
867(貞観9)   最上郡霊山寺、定額寺指定。三百坊栄える。
873(貞観15)  朝廷、酢川温泉神に、従五位下。
973(天延元)   龍山惣門・鳥居ヶ丘石造明神鳥居、建立と伝える。
1109(天仁2)  成沢八幡神社石鳥居、建立と伝える。
1187(文治3)  西行法師、来訪。
1258(正嘉2)  北条時頼、龍山三百坊の腐敗・堕落・横暴を怒り、
           閉山させたと伝える。
           瀧山山頂から今の中桜田に遷座。
1865〜(慶応年間)西蔵王高原に、慶応年間に建立と見られる、
           三百坊石鳥居が残っている。
-----------------------------------------------

5月の例祭では、三地区
 「蔵王温泉」※1
 「神野(かんの)」※2
 「中桜田」※3
の氏子が、瀧山に登拝し祭典を続けている。

※1 酢川温泉神社の奥宮でもある。

※2 蔵王温泉から見て、瀧山の反対側。
   瀧山三百坊があった場所。最上石鳥居も有名。

※3 国道13号。東北芸術工科大学付近。
   口宮(里宮)が鎮座。


瀧山には、ここでも書いているが昨年5月に登拝している。
御社殿の状態が良くないことは実際に目にしていたし、
山形屋に逗留した際に宮司様から建て直しの考えがあることも
聞いていたが、予想外に行動が早い。
昨年の登拝の頃は、まだカメラの機能を把握してなかったので、
いずれ撮り直しをしなくてはいけないと考えていたのだが、
今秋までに伺う必要がでてきた。

しかしながら、秋までは他県での用事(70%駒形神社さん)で
身動きができない。
実際の行動には、10/16まで待つことになった。

その週は珍しく問題の多い週であった。
出発の金曜日も問題対応の為の残業を強いられた。
疲労した体に鞭を打つように、急いで帰宅し荷物を詰め込む。
一路、山形蔵王へ。

東北道の渋滞もなく、順調に距離を稼ぐ。
途中休憩をはさみ、瀧山前のゲレンデ駐車場に到着は6:00過ぎ。
天気予報では、晴れの予想であったが雨が降り始める。
ついさっきまでは、晴れていたのになんという天気の変化であろう。
今回は、撮り直しがメインなので、雨なら登拝はしない。
車中で眠りながら天候の改善を待つことにした(不貞腐れてます)。
天候の改善が見られたのは10:00過ぎ。
漸くである。天気予報はやはり当てにならない。

もろもろ用意をし、登山口出発は10:20。
特に迷うことはない。ほとんど一本道。
途中、蔵王温泉が一望できる場所、火口壁が見える場所などで
休憩をとりながら、頂上到着は11:18。
帽子が飛ばされるほどではないが風が強い。
下で晴れていたのに、また曇ってしまっている。

参拝後、食事をしながら天候の改善を待つことにした。
風除けのため、御社殿の前の茂みに背を預けるようにして座り込み
ラーメンを作る。はー、風で寒かったからスープの暖かさが有り難い。

しばらくすると、別のコースから2組の登山客。
寂しかった頂上が賑やかになる。
時間があれば、刈田岳まで縦走しても楽しいのだろうけど。。。
登りはじめも遅かったし、まだ天気が回復していないので
動くこともできない。今日は、ここだけで諦めよう。


どのくらい待ったのだろうか。
風で雲が飛ばされ、青空を覗かせる。
日の具合も考え、ここだというタイミングで急いで撮影。
決して満足のいく状態ではないが、このコンディションでは仕方がない。

撮影後は、寒いので急いで下山。
さっさと着替えよう。着替えていると後ろから声が。。。
目の前の喫茶店の方だった。
珍しいナンバーだったので、下山するのを待っていたようだ。
山の様子や、神社の話をしているうちに、時間も過ぎていく。
その後、立ち話もなんなのでということで、喫茶店でコーヒーを
ご馳走になりながら、ゆっくりお話をした。
しかし、ご馳走にばっかりになってはと、
程よい(?)時間で、退去することに。

2:00ちょっと過ぎ。
大分早いが、荷物だけ預けて外湯にでも入ろうと山形屋に。
玄関に入ると、社長さん(宮司様)がお出迎え。

とりあえず、荷物を部屋に入れさせてもらってから
酢川温泉神社に参拝することにした。
その後、再度宿に戻って、カメラを置いてから公衆浴場に。
残念ながら、宿の前の「上湯」は工事中。
ちょっと道を下って、「下湯」に。
はー、いい湯だ。肌がつるつるになります。
そうそう、自分は知らなかったが蔵王の湯は、全国で二番目に酸性が強いらしい。

その後は宿に戻り、夕食まで部屋でのんびり。
夕食は、今回は軽めに。
前回は蔵王牛コースだったが、ちょっと量が多すぎたので。

夕食後、今度は宿のお風呂を頂いたら、
宮司様をつかまえていろいろ質問。
(すいません。お疲れのところm(_ _)m)

まず建立のスケジュールから。
なんか、自分が聞いてくることを分かってらっしゃったようで、
いろいろ資料を用意してくださっていた。
三地区合同の会合でのメモからだと以下の通り。

瀧山神社建立スケジュール
2011年
 5/8  瀧山神社例祭
      神社清祓
 5/10 解体工事開始
 5/13 ヘリコプター資材運搬
 5/15 基礎工事
 5/30 落成式


下で、組んだ御社殿を一度解体して、ヘリで運搬。
頂上で再度組み立ての算段らしい。

また、御社殿の装飾案など色々とお話もあった。
装飾については、酢川温泉神社の元宮である薬師神社にある飾り
蟇股(かえるまた)を同じようにつけるのも一案らしい。

ちなみに、この薬師神社の蟇股(かえるまた)は、
昔は十二支分あったらしいが、盗難で丑と兎のみしか
残っていなかったとのこと。
しかし、東北芸術工科大学の方々が、他の干支の彫刻の作成や、
残っていた丑と兎の修復をしてくださったらしい。
いい話だ。

ちなみに、東北芸術工科大学は、酢川温泉神社の扁額もその後
修復していたようだ。


夜も遅くまで、お話していたが、さすがに明日に響くので
部屋に戻ることにした。
その際、資料を5冊ほどお借りした。
これは、自分はまだまだ寝れそうもないな〜
と思いつつも、時間を忘れて読みふけっていたのだった。

(借用した資料)
・東北芸術工科大学 蟇股製作報告
・東北芸術工科大学 扁額修復報告
・蔵王温泉観光協会発行案内(復刻版)
・吉備津彦関係本 
  ※蔵王温泉は、吉備津彦と関連があるようだ。
   日本武尊に従軍し、蔵王温泉に縁のある吉備多賀由がそれのようだ。
・ヘリコプター荷上げ写真資料


翌朝、資料はちゃんと返却。
その後は、地蔵岳・熊野岳・刈田岳まで登り、宮司様の宿で改めてお風呂を頂いてから帰宅しました。
ちょっと疲れたけど、よいリフレッシュとなりました。
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確認できた御朱印について ( No.85 )
日時: 2010/09/27 02:31:33
名前: あず  ID: .NUDG29U

>御津垣さま
こちらの掲示板にはお世話になっております。自分も近隣の神社ばかりな生活です どうぞ登山の際はお気をつけ下さいませ。

昨日、多珂神社(南相馬市原町区)などを兼務している相馬小高神社で伺ったのですが、多珂神社など兼務社はほとんどの日が無人で、祭典日などしかいらっしゃられないそうなので事前に確認したほうがいいようです。
確認できた御朱印について ( No.84 )
日時: 2010/09/22 18:51:05
名前: 御津垣  ID: Ny6a8CF2

>あずさん

はじめまして。
情報有難うございました。

早速リストを更新させて頂きました。
今後も情報があればよろしくお願い致します。

自分は、最近 山ばかりで巡拝の続きが滞っている状態です。


では失礼します。
確認できた御朱印について ( No.83 )
日時: 2010/09/18 04:22:42
名前: あず  ID: OIB8vU7U

はじめまして、御朱印をいただけた神社ですが…

伊具郡 熱日高彦神社
熱日高彦神社(角田市島田)
御朱印:あり(参道途中の社務所でいただけました。)
駐車場:?

名取郡 多加神社
多賀神社(仙台市太白区)
御朱印:あり(社域の東の宮司さんのお宅でいただけます。「莚」の字の緑色の印です)
駐車場:あり

曰理郡 鹿嶋天足和氣神社
鹿島天足和気神社(亘理郡亘理町)
御朱印:なし
駐車場:なし(参拝の際は、そばの都市公園に停めるのがいいと思います)
*境内には鹿嶋緒名太神社と位置不明の鹿嶋伊都乃比氣神社の石祠があります。





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