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関東の神社めぐり プチ神楽殿掲示板
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[9] 【北海道・東北】神社・御朱印情報
日時: 2009/09/11 11:16:18
名前: 御津垣  ID: 5rUlEDtM
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2013/01/28 20:50:23

北海道および、東北6県(青森・岩手・秋田・宮城・山形・福島)に関する
遠征報告・御朱印情報をお願いします。
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膽澤川神社 旧跡を探る1 ( No.61 )
日時: 2009/12/12 13:55:36
名前: 御津垣  ID: DPa.wFrs
編集: 【回数】 12回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/12/20 15:09:40

膽澤川神社の石碑

若柳元山田 茂井羅堰の分流付近にある。※地図を参照
------------------------
 延喜式神名帳陸奥百座内
 膽澤川神社 
 別当
 横枕屋舗孫左右衛門
 奉寄進之
------------------------
この石碑は、1947年に明神川原で発見され、
現在の地に移し建てられたものである。


膽澤川神社は、大同2年(807)坂上田村麻呂の勧請と伝えられる。
主祭神は、「沢女命と水速女命」の2柱である。
『胆沢風土聞誌』(1773)によると「膽澤川神社は祭神水速女命」。
『胆沢郡誌』(1974)では、「祭神沢女神と水速女神」とある。


もとは、胆沢川上流にあったが、社地が欠け崩れ落ちて
「字横枕に遷座」されたという。

『風土記御用書出』(1777)には「横枕明神社跡」と記され、
社屋は洪水によって流失し大祭のみが執行されていたらしい。
この時点で石碑が埋もれてしまっていたかは不明であるが、
横枕に膽澤川神社に疑定されるものが
存在していたことは確かなようである。


明治初年代に、土橋に於呂閇志神社遥拝所が建てられると、その隣に社屋を再建。
明治40年に合祀されて於呂閇志膽澤川神社として現在に至っている。


※横枕屋敷は、現在の「字上田中」にあたる。
 寛永(1624〜1645)以来の家系の集落である。


参考「旧跡をたどる胆沢の歴史散歩」
   「胆沢町史」
   「『安永風土記』記載百姓屋敷調べ : 220年前の散居の復元」
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「鳥海山大物忌神社本社 古社地を訪ねて」補完 ( No.60 )
日時: 2009/12/12 13:03:15
名前: 御津垣  ID: EMLCA0Nw
編集: 【回数】 9回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2011/09/04 22:20:03


・荒神ヶ岳本社の焼失

享和元年三月上旬の記録

『鳥海山煙気之控』
三月上旬(新暦では四月上旬)、山上に登りて見るに、
瑠璃の壺あたりより焼け始め、荒神ヶ岳本社付近は大谷となり、本社は見えず。

『鳥海町史』
雪中登山して鳥海山の噴火を見る。
荒神ヶ岳御堂は焼け崩れ、長床は三棟とも破損し、
本社御堂は影もなくなっている。噴煙が所々に見える。



・新山と現本社地の形成

享和元年七月中旬の記録

『文化大地震附鳥海山噴火由来』石辻阿部政吉筆記
十日ばかり過ぎて、少し煙が薄らいだ。
山頂を見たところ、いつしか七高山と荒神岳の間に厳々たる大山が湧き出ていた。
その後、月を追って焼も薄くなった。
文化八年(1811)、山頂新岳附近の地を平均して本社(神社)を建てた。
その後少し煙気もあったが、文化九、十年までに、噴火活動は終わった。




参考資料『鳥海山 −自然・歴史・文化−』 発行 鳥海山大物忌神社

写真
 ・古社地 石祠
 ・古社地 大黒様
 ・新旧本社位置関係(外輪山から) 赤丸部分が古社地
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高泉神社 ( No.59 )
日時: 2009/12/12 10:20:13
名前: 御津垣  ID: 2N45qF3I
編集: 【回数】 12回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2016/01/23 16:28:12

高泉神社
【御祭神】水速女命、大己貴命、少彦名命、建御名方命
【祭祀】 例祭 5月4日(旧4月29日)
【鎮座地】酒田市大字北沢字空沢32
【旧社格】村社
【駐車場】なし
【御朱印】なし


−由緒(山形県神社誌より)−
 三代実録に清和天皇の貞観七年二月二十七日、出羽國従五位下高泉神とある。
 丈余の清滝空沢山半腹の厳壁に懸り壮観を呈する。
 古来より之を以って神座とし、不動明王を安置し、旧幕府時代には高泉参りと称して、
 白衣の道者が絶えることがない繁盛を極め明治初年まで続いた。
 維新後更に、水速女命を祭り高泉神社と公称し、明治九年二月二十四日村社に列する。
 同十二年旧址に拝殿を再興。
 往昔は社領等有ったが天正年間幕府に没収せられ、今に旧社領地跡として
 大夫田の名称を残す。
 又、明治九年二月二十四日、蔵王権現として栄えた御嶽神社も村社に列せられ、
 大正二年十一月十七日、高泉神社に合祀し、旧御嶽神社境内を飛地境内とする。
 大正六年、本殿を建立、大正八年五月十一日神饌幣帛料供進神社に指定せられる。
 昭和三十二年社殿屋根を銅板葺に改修する。



それは国立国会図書館で、出羽國の不明の国史見在社調査の為、
「山形県神社誌」を調べていたときのことであった。
なんとなくめくっていた酒田・飽海の項で、『高泉』の文字が目に留まる。
酒田の高泉神社の由緒(上記)には、高泉神は当社であるとあるではないか。

三代実録にある高泉神といえば、秋田市の旧国幣小社 古四王神社。
これは江戸後期の国学者・紀行家・民俗学者である菅江真澄が残した
「真澄遊覧記」鳥梅の花湯の項の中にそのような記述があるからである。
寺内に縁があり、古四王神社宮司とも親交があった真澄が、口伝を書き綴った
ものと思われるが、その根拠は明らかではないようである。※


単純な自分は、温海温泉の熊野神社と同じように実際に訪ねて、
もっと詳しい由緒があれば分けてもらおうと考えた次第。

時は7月中旬。毎年の鳥海山参り(毎年雨付きT_T)に合わせて
訪れることとした。
神社への道は比較的分かり易い。国道345を北上し、344と合流する前の
「酒田地区広域行政組合リサイクルセンター」を目当てに右折すればよい。
少し戻る感じにはなるが、川上に向かえば左手に「高泉神社」が鎮座している。

泉とあるだけあって、社頭には湧水がこんこんと溢れていた。
鳥居の写真を撮っている間にも、農作業の前に喉を潤していくのか
軽トラックが数台やってきてはさっと行ってしまう。

社号標には、かつて書いてあったであろう社格の上部に、
控えめにではあるがはっきりと『国史現在』とある。
境内は緑にかこまれ、そこにほどよく日が差し込んで気持ちがよい。
蚊がいなければもうちょっと佇んでいたいくらいだ。

参拝と写真撮影を終えて、社頭に戻ってくると、また別の軽トラックがきて
喉を潤していく。自分もご相伴に与ろうと後ろに並ぶ。
ちょっと世間話程度に宮司様の御自宅や、神社の由緒などをお伺いしてみる。
どうやら役員クラスの方だったようで、いろいろと教えて頂けた。

上記由緒にある不動明王を祀ってある場所が、元宮でいまは車道もあり簡単に
いけるので行ってみたらどうだというではないか。
それではと御礼を述べて立ち去ることとした。
あっ、これから鳥海山登るから水汲んでおこう。

ちなみに御嶽神社は、社頭前の山腹のようであるが、
この季節は足を踏み入れるには如何な状態であった。


元宮は、比較的簡単にたどり着けることができた。
ただ、これを見て訪れる方は、空沢からはしばらく道が狭いので、
344との合流地点から八森自然公園の裏に回る方法を薦める。
片側1車線の走りやすい道ができている。

さて、この元宮であるが、嘗ては林道があり、
水が出ている箇所に祀ったのであろうが、現在では広い道路脇にポツンとある
感じである。

石造りの社の裏に回ると不動明王の像が水に打たれて祀ってある。
では参拝と、社殿の扉を開ける。開けた瞬間、扉の裏側や内部には蠢くものが。。。
これは!!カ○ド○マである。
おいおい。勘弁してください。一匹ならともかく、これはないでしょう?
内部に入る勇気はありません。外から御参りします。
そして、早々に退散!ああ、ちょっと心臓に悪いです。
(え〜、中の写真は載せません)

このようなことで高泉神社の参拝は終了した。
ちなみに宮司様にも、お話を伺おうと思っていたが、参拝後はまだ8:30前。
境内にある御自宅ならともかくまだ早い。
それにこっちも登山の準備もあるしので、滝の小屋登山口に到着してから電話をした。

宮司様のお話では、元宮ではなく本宮と仰っていた(以下本宮とします)。
また、残念ながら、分けられる由緒書きや、御朱印はないとのことであった。
ご対応頂き有難うございました。

※古四王神社と同じ寺内地区には、高泉神の論社「空素沼神社」がある。
 こちらと誤認した可能性も捨てきれない。


写真
 ・社頭
 ・本宮     
 ・不動明王像
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お疲れ様です ( No.58 )
日時: 2009/12/04 23:06:20
名前: 御津垣  ID: QdDZiPd2

はい♪山はいいですよ〜
雪山とか、ロッククラインミングとかは特殊ですけど。

冬場からいきなり登りはじめると、筋を痛めそうなので
当分は、平地でのウオーキングがよろしいかと。
春から栃木・茨城・秩父の軽めの山で慣らされるのが
いいと思います。山頂に神社もあるところですかね

さて、今回のことですが、本当に「縁」としか言えません。
自分が山中に迷子にならなければ、このようなことは
実現できませんでしたし、何がきっかけになるかなんてことは
分からないものです。
駒形神社の権禰宜さんとは、戦前の御朱印帳がきっかけですし。
もちろん、その後 登拝祭や例祭等で伺ってますが。

普段は、参拝・写真撮影・御朱印&由緒書授与との一連の流れで
立ち去る神社がほとんどです。
ですが、その一瞬でも、礼儀を忘れずに「一期一会」の心をもって
今後も巡拝したいと、今回のことでより強く思いました。
(慇懃無礼にならないように、謙虚な心で > はい 。)


さて、しばらく東北の旅はお休みです。
また来年です





さー、業務多忙でさぼっている記事書きますか〜
お疲れ様です ( No.57 )
日時: 2009/12/02 09:52:52
名前: 神楽  ID: XE5sdE3Y

詳細なレポありがとうございました。

読んでいて、山っていいなーって思いましたよ。
やはり自然っていいですよねぇ。
それに宮司さんたちとなんて、普通ありませんし。

私も山を始めてみようかなって。
まずは低いところから。
金鑚でヒーヒー言っているレベルですけど
氷上山登拝その4(完結) ( No.56 )
日時: 2009/11/29 12:32:12
名前: 御津垣  ID: JGcRK27k
編集: 【回数】 2回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/11/30 23:53:06

西御殿参拝後、小屋に戻り朝食と片付け。
そして1時間ほど仮眠をとることになったが、
自分は眠くないので(熊が怖いので)近くで写真撮影することにした。

その間に登山者が、3人ほど小屋を訪ねてきた。
煙突からの煙がやはり気になるようだ。

1時間後、本格的に片付けと荷物をまとめて下山することに。
朝食時の会話から、下山後「霊泉 玉の湯」温泉に浸かってから、
氷上神社に戻ることになっていた。

玉の湯。登山道の中間地点を走る林道を竹駒側に走ったところにある。
ちょっと熱めのお湯。残念ながらかけ流しではないようだ。
温泉に浸かり疲れを取り、ついでにアイスを食べる。
宮司様の奢りです。ゴチでした。

さて、いよいよ氷上神社駐車場にもどる。
写真は後日郵送することと、また来年時期がきたらご連絡すること。
もろもろお礼をのべて退去することに。
場所がら寒くなりますし、正月の準備でお忙しいと思いますので
くれぐれも、お体に御労りください。

この後は神奈川に戻ることになるが、
特に予定もないので水沢の駒形神社に参拝してから帰ることにした。
宮司代務者様はいらっしゃらなかったが、禰宜さんらがいらっしゃた。
今年最後の東北。よくよくご挨拶して退去した。
よいお年をお迎え下さい。
次回伺うのは、きっと奥宮造営の頃でしょう。


ちなみに、権禰宜さんにもご連絡。
今回は残念でしたが、次回もまたお誘いしますよ



では。
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氷上山登拝その3 ( No.55 )
日時: 2009/11/29 12:26:41
名前: 御津垣  ID: DUBzxna2
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/11/29 20:31:38

2時頃、同僚が突然起きます。なんだろう?
(自分の寝袋 春夏仕様で寒く眠りが浅かったので簡単に起きれた。
ちなみに、同僚に渡したのは−24度まで耐えられる寝袋。嵩張るので
登山には不向きであるが今回は持参。)

どうやら、夜半から振り出した雨が、窓際から漏れてきて、
良かれと敷いたブルーシートを伝って腰から尻辺りを濡らしたようだ。
その後、ズボンを脱いで下着のまま寝たようだが、あとから聞いた話では
下着もずぶ濡れだったらしく、寒くて寝れなったようだ。
ともかく、朝になり状況が分かったので、急いでストーブにマキを入れて
もろもろ乾かすことにした。
しかし、ご来光を拝みにいく時間になってもダメそうなので、
宮司様の着替えを借りることにした。

いざ出発。風が寒い 。6時過ぎに頂上に到着。
日の出を待ちます。雲のせいで海からの日の出は期待できないようだ。
昨日見えた五葉山、焼石連峰も厚い雲に覆われてみることができない。
予定より遅れること10分ようやく太陽が姿を見せる。
参拝して、昨日伺えなかった西御殿に向かうことにした。
途中「まわり石」をまわってみることにしてみたが、ビビリが入り断念。
これ無理です。いやいや昨日の雨で滑るから安全を考えただけ

祈祷ヶ原経由で、西御殿に到着。
また覆いを開けて参拝させて頂くことに。
これにて、目的は全て達成。

昨夜のお話で、次回は、ツツジの咲く6〜7月頃、
宮司様の「その頃なら時間がつくれるかも」とのお話もあり、
再度氷上山か、宮司様ご希望の早池峰山に伺うことを
計画したい。



つづく
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氷上山登拝その2 ( No.54 )
日時: 2009/11/29 12:23:14
名前: 御津垣  ID: DUBzxna2
編集: 【回数】 1回   【名前】 御津垣  【最終日時】 2009/11/29 20:27:53

さて、いよいよ時間にもなり氷上山に向かう。
自分たち神奈川組は宮司様の車に。
途中残念ながら下山される権禰宜さんは
ご自分の車で向かうことになった。

中央コースの中間地点に車を泊めて、登拝開始。
鳥居で一礼は当然。同僚は、三人を見てマネ
四人分の食材と、お酒。相当な量を運び上げます。
それでも、1時間弱で、小屋のある祈祷ヶ原に到着。
荷物を小屋に置いて、軽くして早速 中御殿・東御殿に向かいます。

いよいよ覆いを開けての本殿参拝。感動ものです。
檜の立派な御本殿でした。
早速 新たな気持ちで参拝。そして、4人で記念撮影。

つづいて、氷上山頂上の東御殿。
御本殿の形状自体は3社とも同じだが、そこに祭られている御祭神は
各々違う。故に個々に参拝する意味がある。
明日は、ここでご来光を拝むことにする。

※ちなみに、2週間前くらいに平凡社の取材で、
神奈川から参拝された方がいたとのこと。
「先こされて残念だね〜」との宮司様の弁でしたが、
あんまり残念という感はないのです。
余談ですが、3社の本殿ともに三重県出身の方のご寄進とか。
夢の中でのお告げがあり、ご寄進されたようです。
玉山金山の土地を購入された大層な資産家だったとか。

また、覆いも本当は開けて本殿を誰でも拝観できるように
したいと宮司様は仰っておりました。
自分としては、有難いお話ではありますが、色々なお社を見てきて
「千社札」「悪戯書き」等 残念な状態が多くあったので
現状としては反対です


さて、日も暮れてきたので急いで祈祷ヶ原に戻ります。
本来なら西御殿もこのまま伺うところでありますが、
権禰宜さんの下山時間を考え、今日は断念することに。
明日、権禰宜さんを除く3名で伺うことになった。
非常に残念ですが、権禰宜さんを祈祷ヶ原で見送ります

では、小屋で食事の用意です。
まずは、水汲みとマキの用意。この小屋は手入れが行き届いており
マキストーブはもとよりマキや、鉄板・網・鍋・容器等が常備されている。
自分たちで用意したものは、寄付することにした。

水汲みは、小屋近くの水場。頂上付近になぜこんなに!
というくらいの水がコンコンと湧き出ている。冷たく美味しいです。
鍋にこれでもかというくらい汲んでいく。(夜汲みに行くのは怖いから)
食材の調理前に乾杯。宮司様に乾杯の音頭をとって頂く。
途中 権禰宜さんから電話。無事下山したようだ。
(ちなみに車についた後、車道を走っている時に熊に遭遇したようだ。
不安になるだろうから、言わなかったらしい。)

大量の肉・野菜をストーブ上の網(アルミホイルを敷いて)で焼きます。
簡易蛍光灯を持ってきたので明かりも問題なし。
飲み始めは16:30前。非常に早い時間です。
ストーブを囲んで飲み食い。そして、宮司のお話が弾みます。
高校教師だった頃のお話や、部長で甲子園ベスト4まで行ったことなど。
最後の方は、こちらの民謡を披露。
うーん、自分も南部牛追唄くらい覚えておくかな〜
楽しい時間はあっという間に過ぎていきます。

それでも、ご来光もあるので就寝することに。時間は23時。
翌起床は5:30予定。日の出は6:30



つづく
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氷上山登拝その1 ( No.53 )
日時: 2009/11/29 12:18:02
名前: 御津垣  ID: 2vMsXcjY

九州・関西の記事をほっぽりだしての報告です
11/27〜28で、陸前高田の氷上山に登拝してきました。
参加者は、
 氷上神社 宮司様
 水沢駒形神社 権禰宜様
 御津垣同僚
 御津垣
の4名。

目的は、氷上山中の式内3社の本社本殿(ご開帳)の参拝。
以前迷子になったときに助けて頂いた縁からなった、今回の登拝。
2ヶ月前からの計画になります。


神奈川出発は、前日深夜。
同僚を途中で拾い、一路東北道に。
同僚は、神社に特別関心がある訳ではなく、登山でのシェープアップが主目的。
(本当?山小屋でのBBQが目的では?
仙台出身で、雪道に慣れているのでいざというときの保険になるので
自分としては大助かり。

ちなみに計画にあたり、色々と用意してきたのだが、
2週前あたりから、大阪出張が発生。
戻ってきたのは、出発前夜。
急いで、2名分のパッキングをした。
(同僚は、登山の経験がないので、もろもろこちらで用意。)


さて、東北道は佐野SAで仮眠をし、運転を交代。
前回のSWと違い道は空いている。
順調に距離を稼いでいく。

駒形神社の権禰宜さんとは、一関のイオンで9時に待ち合わせ。
食材を購入して、氷上神社に向かうことにしていた。

一関には、7時ちょっと前に到着。
時間があるので、吉野家で朝食を摂り、その後イオンの駐車場で
時間まで仮眠することにした。
8:30頃 権禰宜さん到着。どうやら寝袋を忘れたようだ。
改めて、購入するとのこと。うーんやっぱりもう一つ持ってくるべきだったか。

9:00オープンなのだが、ぞくぞくと地元ナンバーの車が集結してくる。
「なんだ?」「年末ジャンボ?」「今日って大安?」「いや友引だよ」
てな会話をすることに。
どうやら、特売の広告(秋刀魚と玉子)がでていたので、そちらが目的のようだ。

ようやくオープン。肉、酒、ツマミ等を購入。
これで準備万端。権禰宜さんも寝袋を新たに購入したようだ。
出発前にトイレに行くことに。

トイレから駐車場に戻ると、なんか権禰宜さんの様子が。。。
なんでも急用がっできて泊まれなくなってしまったとか。
うーん残念 だけど、仕方ない。
ともかく登拝だけは一緒にし、一人下山することに。


運転を交代し、自分の先導で陸前高田 氷上神社に向かうことに。
途中 曇天から晴天に。うん。やっぱり空は青がいいです。


氷上神社到着は、12時ちょっと前。
待ち合わせ時間の1時間前に到着してしまった。
まあ、参拝と昼食及び準備で、時間も経つでしょう。
とりあえずは、参拝とご挨拶に伺う。
手土産は、「赤福」。

参拝後、食事を社務所内で摂らせて頂ける事になった。
宮司様や奥様のもてなしが凄い状態。かえって恐縮です


つづく
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遅くなりました ( No.52 )
日時: 2009/11/11 20:27:30
名前: era  ID: Xetw4QTo

御津垣さん。返事遅くなりました。
駒形根神社・荒雄川神社ともに御朱印
ありますよ。ただ駒形根神社は、要連
絡です。宮司さんが体調を崩している
ので神社の実質的なことは息子さんが
取り仕切っているのですが、学校の先
生なので電話で時間調整が必要です。
あと式内の温泉神社も御朱印あります
よ。ここは連絡なしでもOkかも?

お〜鳥海山のネタ感謝です。来年参拝
予定なので参考にさせてもらいます。
非売品の本欲しいなぁ。

冬の東北は厳しいから気をつけてくだ
さいね。寒いですし道も怖い!
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